2017年03月06日

お風呂


今朝はやたらに早く目が覚めたので

起きて、まだ真っ暗な中
お風呂に入りました。


うちのお風呂は180リットルも入れるとたっぷりになる
小さなバスタブです。

家をつくる時に
お風呂も証太が、佐々木剛くんの手を借りて作りました。


最初は、重たそうな古い猫足のバスタブをネットで発見して
「これがかわいい」とかおもっていたのですが...

お風呂を作っている時
近所に住む備前焼作家の先輩 近藤正彦さんに

「追い炊きできないと、絶対に後で後悔する」

と、力一杯アドバイスされて

なんだか納得。




小さなバスタブにしたのは

これは違う友人の家に遊びに行ったら

「大きなバスタブのお風呂を持て余してシャワーばっかりつかっちゃう」

というかんじだったので



一日に何度も気軽に入れるように
小さめにしたのです。


今では


小さくてもいいから
深いバスタブで
首までお湯に浸かりたい派、です。


真っ暗な中
温かいお湯の中につかって深呼吸していると

覚えてないけれど

「子宮の中」は

こんなかんじかな〜?


なんて、おもえてきます。




小さめのバスタブで困るのは
家族全員では入れないことですかね。


ま、そのくらいなら
たまに温泉の家族湯でも入ればいいかな。



小さいお風呂で
「追い炊き」できる、とか
お皿洗う時にお湯がでるとか

そういうことに毎日
わりと新鮮に贅沢をかんじます。














posted by terra at 07:37| 岡山 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

坂爪さん はるちゃん 桐島洋子さん



坂爪圭吾さんという若者がいます。

彼は影響力の大きいブロガーで
一方、身ひとつで家の無い生活をしています。

書いていることが
いつもほんとに新鮮。

それはナゼかというと、
生き方で見せてくれるからですね。


わたしは読書家、というのではない
どちらかというと
活字中毒、という癖があって

字を読んでいるのが好きで
本や雑誌が手元から放せないのですが

ここ最近は紙の本よりも
webでブログを読むのが好きになって、
何年も続けて読んでいる人が
何人もいます。

多くは自己啓発ジャンルとか「子宮系」とか
いわれている人たちなので
お話会、やセミナーなんかをやっているので
出会えるチャンスもあるんだろうけど

「会いたい」とかは特におもわなくて
 ほんと、ただ
「おもしろい小説」
の代わりに読んでいるのです。

なので、面白がっているだけで
ご本人に還元もできないんですが。



有名なブログなので
ご存知の方は多いと思いますが
未読な方はぜひ
読んでみてください・・・




いわゆる「有名人のブログ」ではなくて
「web中でしか見たことの無い人」
のブログばかりが

なんでこんなに
面白いのだろうか・・・と
不思議におもいながら。

そういうのははおもしろいのに出会ったことがない。




✳︎





常々



女性ブロガーの極まったのが
子宮委員長はる さんだとしたら

男性ブロガーの極まっているのが
坂爪さんだなぁ、と

おもっていました。


なんか逆のベクトルのようで
同じエネルギーみたいで。
ふたりともすごく純粋に突き詰めて
突き抜けているかんじ・・・





方や、はるさんの方は


風俗*嬢出身で
父親がわからない子どもを妊娠して
お腹の子どもの父親では無い男性と結婚
子育てはその父親が主に担当
ただいま別居中
子どもは男性の方へ


・・・単純に文章にすると

なんだこれは、
すごい泥沼なのか??? と
なりそうなのですが


ブログ見てみたらすぐわかるけれど
雰囲気は「幸せなピンク色」です。

わたしはこの人のブログを読むと
笑えることが多くてけっこう元氣になります。

なんかパワーがもらえるんでしょうね。
ありがたいことです。


はるちゃんは全国ツアーで岡山も来るらしいんですよ。
わたしはなかなかに出不精なので、行かないんですが



「あー、来るんだね〜、はるちゃん 」って
おもいつつ、見てたら

岡山はチケットが最初にソールドアウトになったんです。

もしかして
岡山は、はるちゃんファン多いのかな。


「子宮委員長はるの子宮委員会」
     ↓ ↓ ↓








方や
坂爪さんです。



今日、久しぶりに拝見したら



イイこと言ってる。
まだ子どもいないのに

正直に言いますと、テストで100点を取ったこどもを心の底から「お前、すごいな!」と褒めることができない(このまま優等生のレールを歩き続けてしまうことにある種の危機感を覚えたりもする)小生ではありますが、単純に、自分で釣った魚を三枚におろして刺身にしてくれたり、自然農法で育てた野菜を大量に持ち帰ってきてくれたり、大工の見習い体験を経てボロい自宅を修繕してくれたりなんだりしてくれた暁には、心の底から「お前、すごいな!」と賞賛できるような気がします。


こういうたとえ話も
リアルでいいなとおもいます。


うちの場合は、
長女は小学校へ行ってないから
いまのところそういう機会がとりあえず無いのですが
たぶんテストで100点取った子どもは
きっと一応褒めますけどね。
たぶん「一応」だろうね。

でもこれって、実際は
次女がわたしは学校に行く〜 って言って
行くようにでもならないと
分からないですね・・・


次女はどうするのだろうかー


ただ、
子どもが漁師になったり、百姓になったり、大工になったり、
ピアニストになったり、焼物家になったり、

まぁ、なんでもいいんだけど


デザイナーでも、シェフでも
カフェ店主でも、助産師でも

なにかやりたいことやっていて
その成果を見ることができたり
果ては、助けてもらったりした日には


感動するでしょうね、きっと・・・




坂爪さんはまだお子さんがいらっしゃらないから
想像の範囲外なのかもしれないけれど


子どもって、なにかしたから 
ありがたくおもう、というものでも無いですよ。


たとえば普段、
長女が、今ピアノの練習中、という時
だんだん上手になっていく音を聞いているだけで
日々、感動しているし。


次女は
舌ったらずが残った
かわいい口調なのに
大人と同じように喋るようになって


「今しか無い喋り方」を
一日中起きてから寝るまで喋っている。

楽しくてしょうがない。


いるだけ、一緒に暮らしてくれるだけで
すごい楽しみと幸せを与えてくれる存在です。







はるちゃんは
かわいい息子のじゅんせい君と
離れて暮らし始めたみたいです。

わたしはというと
子どもと離れるなんて無理だなぁ

わたしのこの40代というのが
落ち着く年齢なんだろうか。


はるちゃんはまだ30歳くらいだったとおもうので
あと10年くらい先のはるちゃんも、なにしてるのか
楽しみにしてるのです。







そういえば、昔の
桐島洋子さんを思い出しますよ。

洋子さんにはソラを産んだ後読んだ本で出会いました。
だから10年くらい前かな。

この方も規格外れたお母さんです。

洋子さんは子ども3人を方々に預けて
ベトナム戦争に記者として従軍したりしてしまう。

次女のノエルさんを産んだのは
客船のベッドで一人の自力出産。
それも、お金がそれだけしか無くて
旅行費用を出したら
出産費用まで回らなそうだったから。

なんか豪快な方です。

私たちの母親世代を啓蒙していた方みたいですねぇ。
でも、こんなにギャップがあったら
啓蒙にならないですよね。

飛び抜けて突き抜けて
変わった女性だし、勇氣があるし
それはとにかく魅力的ってことでしょう。




洋子さんは 70年代から今も活躍されています。

自分の特異な人生をばーんと本にして
読んだ人に衝撃を与えましたが、

今まさに はるちゃんはそれを
オンタイムなブログでやっているところなんですね。


そういえば本にも載っていたけれど
今活躍している
洋子さんの娘さん息子さんたちは
お母さんについてなんて言ってるんだろうとおもい
ちょっとみてみました。

けっこう氣になる編集者がやはりいるんですね。
ちょっと検索しただけで
すぐに聞きたいことが出てきました。
家族じゅう有名人だから。


桐島洋子さんの長女
桐島かれんさんのインタビュー
子育て、について
⇩⇩⇩





もう、自由で放任すぎて
自立するしかなかったそうです。
反抗するにも反抗することが無かったらしい。


インタビューにも載っていましたが
桐島家は、洋子さんが30代の終わりの年
アメリカ ニューヨーク州の田舎の家を借りて
家族でしっかり暮らす1年、を作ったそうです。


この経験が姉弟みんなにとても良い影響を与えたらしく

もの書きのシングルマザーが大黒柱で
とにかく人生の前半は家族がバラバラになりがちだったのが

この1年があったおかげで
家族の結束は強まり

なにより、普段あまり一緒にいられなかった
お母さんがずっといるという幸せを
凝縮して味わえたことで
子どもたちは満足したんでしょうね。


子どもと過ごす時間は
「量より質」よ、なんて言葉も聞きますが

「質が高い」って
こういうことかな、と思って本も読みました。



丸出しな人たちが好きです。
























posted by terra at 20:58| すきな人 面白い人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

薪ストーブ

こんばんは
今日はとっても寒いです。


うちの暖房は
鋳物の薪ストーブひとつ。

2階建なので
家全部というわけにはいかないけれど
1階部分はこれで全部暖まっています。
非常に助かります。


家を建てた時にはまだ薪ストーブは
つけていなくて
建ててから3〜4年経ってから
やっとこさ鋳物ストーブを
友達のお父さんのお店で購入。



ここ⇩⇩⇩


冬の寒さを体験した後は
やはり、田舎生活に
薪ストーブは必要だ、ということになったのだよ。


それまでは灯油ストーブを使っていたのだけど
とくに夜になって寒くなると
まったくカロリーが足りないの。

朝市で出すお菓子を夜中に作っていたころは
灯油ストーブをすぐ傍に置いて震えながらやっていた。


薪ストーブはほんとうにいい。

この暖かさと
木の香りと
窓から見える炎


薪ストーブを使い出した年には
家族が一人増えたようなかんじ。
あったかい家族。
寒くなったら薪をどんどん食わせる。



そのころまだ3〜4歳だったソラも
すぐにストーブに慣れて
証太に教えてもらって
火も一から上手に起こせるようになっていた。


子どものころから火をおこせるなんて
かっこいい・・・




薪ストーブを使うには
木を買っていては
ラチがあかないので

まず木を見つけて
拾ってくる、もしくは貰ってくる
そしてそれをいい長さにして割る、
といった仕事が必要。


うちの場合
証太がこれをばっちりやってくれるので
ありがたく、楽しく、
薪くべだけ
やらせてもらう。


薪を準備するのには
斧だのチェーンソーだのが
欠かせない。


でも、わたしはチェーンソーや
草刈機といったモーターがついてて
歯が回ってる機械類が苦手。

高校生の時に
早朝アルバイトしていた近所のパン屋で
食パンを切る時に
すこーし指を切ってしまったことが
あります。
あの、回転する丸い歯です。

最近の食パンを切る機械は
指を切らないようにガードがついているみたいなのですが
そのころはガードは無くて剥き出しでした。

なので(?)その店では代々バイトの人は
だいたい1度は指を切っていて
わたしの時は、まぁ絆創膏レベルだったけれど
ひどいひとは、けっこうやっちゃってたらしい。


すこーし切っただけだったのに
血がたくさん出て
わたしは血を見て倒れるようなことは無いのだけど
いやまぁ、ぞっとしました。

それで刃物が苦手になったわけではないのですが。


幸い、証太は
薪しごとは好きな分野でもあるようで
薪運び の時以外は
特にわたしに手伝って欲しいとは言わないのです。

それから、話を聞いてみると薪割りは
男子のしごとの中で
楽しいことの方に入るらしいんですよね
証太の場合ですが。



だから、寒い中、手伝えなくて
悪いなーって思っていたわたしは
取り越し苦労でしたね(w


手伝えなくて、というよりは
お役にたてなくてゴメンね、ってかんじですけどね。












三宅洋平くんの三宅商店に
うちのカップを取り扱ってもらいだしてから
1ヶ月ちょっとですが
嬉しいことにでたくさんの方に
購入していただいているようです。


さいしょは三宅商店で焼きものまで売れるのかなぁ?って
おもってました。







備前焼は釉薬をかけずに焼く
焼きしめ、という陶器です。

氣体はすこし通すけれど
水は漏らない、というのが
本来なのですが

前回の窯の作品の中で、カップに
3日間水を入れっぱなしにしていたら
ついにしみてきた
という方がいらっしゃいましたので

もし、そういうことがあったら
お気軽に直接お知らせくださいね。

 ⇩⇩⇩
















今日現在
残り あと1個 です。


カップはあと一つになりました。
食べ物と一緒で
最後の一個ってなんだか残りますね。


わたしは、残ったカップ
いい焼けだとおもいます。










✳︎後記✳︎



完売しました! 
購入してくださった
見てくださったみなさん
ありがとうございます。

また次の販売も
よろしくおねがいします。



posted by terra at 22:44| 岡山 ☁| 焼物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月11日

仕事と音楽


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。









✴︎








結婚式の引出物のしごとをいただいて
包装作業をしながら
音楽のことを話していた。

うちは音楽を聴くのは今だにCDです。


モノにかこまれて育って
モノ好きになった世代のわたしたちは
1972年と74年生まれ。

「音楽」を買う時も、CDでほしいのです。
形がほしい。ジャケットを手に取りたい。

究極やっぱりレコードでしょう、という
本格的な音楽好き、というわけではないのですが


しごとをしながら家で
好きな音楽を聴ける、というのは
この仕事をしていて良かったなぁ、
と思うことの中で
かなり初歩の方の話です。






仕事と音楽のこと









若い頃はふたりともロックをよく聴いていた。
好きだったのはとくにパンクロックです。






ランシドのライブに行ったら
前座がラフィンノーズだった。という頃。

パンクの人っていうのは痩せているイメージがあるんだけど
実際に見てみたら
白人さんは、良いガタイしてる人が多かった。

だから、前座のラフィンノーズが出てきて
チャーミーはほんとに細いなぁと、思ったけれど

ランシドのラーズやティムがでてきたら
喧嘩強そうで
怖そうな兄ちゃんたちだったのだ。



パンクミュージックが流行るかどうかというのは
社会環境によるのかな



あのころはなぜだか
いいパンクミュージックがどっと生まれていたとおもう。


なんといってもニルヴァーナがまだいた。


大学に入学したころに
カートコバーンが自死してしまう。

彼はロックアイコンですごいアイドルだったから
彼が死んだ国から遠く離れた日本で
喪に服している友人までいた。

奥さんだったホールのコートニーラブのライブには
2日続けて行ったんだけど
日々全くテンションが違って面白かった。

3日間のライブの
2日目は会場もすいてて、コートニーがMCで
「尼さんみたいな気分よ」とか言っていたんだが

3日目は最終日ですごい人だったから
彼女はそんなことを言ってる暇は無かった。

どちらの日の彼女も魅力的だった。




とはいえ、我々の
ファッションはパンクではなかったのだ。

とにかく、なんとか系のファッションが苦手なのだ。
なんでもない服が着たかった。


思想は全くしらないのに
ヒッピーファッションは好きだったので
タイダイのTシャツや
裾がヒラヒラしたパンツをふたりとも愛用していた。
リラックスタイプの服が好きなんだね。



そのころのわたしたちは似たような体型だったので
20代のころはTシャツからスニーカーまで
ほとんどの服を共用していた。





今は やきものや になって
ごつい上半身になった証太だが

(土しごとは上半身の筋肉が異様につく)

昔はひょろっとしていてかわいかった。



ふたりのミューズは そのころからずっと
パティ・スミス




ニューヨークパンクの女神さまだけど
パンクだからとかじゃなくて
あの顔も格好も声も
膝の刺青も
なにからなにまで大好きなんだ。


だから、うちには
神棚はないけれど
彼女のオリジナルプリントを
うちの家を作った時から
ずっと壁に飾っている。


.<br />#雛人形<br />#pattismith


























しごとをしていると
心地よい音楽が必要になる。

北山耕平さんの
ビートルズやイーグルスの記事を
スペクテイター誌 で読んだ証太が
ビートルズもやっぱりいけるんじゃないか、と思って
CDを棚からひっぱり出してきて

聴いてみるんだけど


ロックを聴いてると
あらゆるしごとをしたくなくなる

ということに何度か目に氣が付いた。



今は、仕事中に聞いてるのは
レゲエが多いです。

一見、ますます仕事がしたくなくなるんじゃないかと
おもうけど

レゲエは焼物しごとに合うようです(当社比)

しかし、クラシックもジャズも聞きます。









牛窓に家と窯を建てて住みながらしごとをし始めて
10年になる。


初めのころ、自分がなにを考えていたのか
記録しておけばよかったなとおもう。



家を建てながら窯をつくりながら
初めて子どもを生んで暮らして
初めての独立開業期。



楽しいこともたくさん
苦しいこともたくさん





一日があっという間。
一年がこれまたあっという間。


目が回るような日々だった。


証太はとにかく
好きだった 釣りやビリヤードなんて
ずっとやることもなく
やきもの だけの日々。



わたしはといえば
土の上に
長方形の箱みたいな家を建ててもらって
住んで。

子どもと一緒に
その中で一日中うろうろしている。

たまに庭にでて生ゴミを埋めたり
庭の草を抜いたり 球根を埋めたり。

子どもや犬と散歩にいくくらいが外出。



ほんとうに長い時間
この家の中にいる。


でも、10年たっても
ぜんぜん飽きない。

それどころか
わたしはできれば
もう今はどこにも行きたくないのだ。


わたしは
ほんとうにあまり外出しないので
初めのころは
友人知人がやってきて

飽きないのか、とか
もっと外に出た方が良い、とか言って

色々に誘ってくれていたので
いけるときには行くのだけれど


ほんとうにわたしは
基本的に
家にいて飽きることなんか
まず無い。

ということに自分で氣がついた。

氣がついた時は
え、みんなそうじゃないの?ってかんじだったけど。


そもそもそういう人なんだろう。
小さい頃から。



引きこもり
という言葉があって
なんだかいけないことみたいに言われているけれど


家にいて
ずっと楽しいのだったら
それはとても素敵なことだよ。



昔の人になったみたいだな。







今は
家の中にいて
ほぼ毎日
だれか来客がある。


どこからか、来てくれて

お土産を持って訪ねてくれたり
やきもの を買いにきてくれたり

それから一緒にご飯を食べたり
焚き火を囲んで、話をしたり
お酒を呑んだり

しごとだったり、遊びだったり。

その境目も無くなって来た。


いろんな国から来る人たちにも会える。


カナダ、ドイツ、ポーランド、イギリス、

イタリア、スイス、スウェーデン、

フランス、ウルグアイ、イラン

オーストラリア、、、

わたしは外に出ているよりも
ここにいた方が
たくさんの人と知り合っているかもしれない。




わたしは、人がどこかから来るたびに
この家が丸ごと船になって
新しい港につけるイメージが湧いて来る。




家を建てて間もない時に
二階で布団を敷いて
皆で寝ていた時
(そのころは空と3人家族)

雨なんか降ると
うちの屋根は一枚スレートだかトタンだか
板をペタッと載せているだけだから
雨音がすごい

ザザザザザァ〜
と屋根いっぱいに広がる激しい音を聞きながら
目と閉じていると

まるで
家族が乗り込んだ難破船が
大波に揺られているように思える。

でも怖くはない。
そばに家族がいるから。

愛する人たちは皆
安らかに眠っている。
その寝顔をただ見ているという
幸せがあるんだと
親になって初めて知った。


外は嵐でも
雨風凌げる家さえあれば
そしてそこに家族がいれば
わたしは簡単に幸せになれる。






家の入り口から
色々な人が入ったり、出たり。

船は色々なところに航海するから
何年かの間にちょっとづつ、
お客さんの顔ぶれも変わってくる。



この船がわたしの家。














そうだ
音楽の話だった。




船旅に音楽は必要だ。



ミュージシャンは
船中でライブをすると
チケットが安くなったり
只になったりするらしいですよ。



うちにもたまに
ライブをしてくれる友人たちがいて
家にいながら生演奏を聴ける
なんていう贅沢な時間がある。



#蛯名宇摩<br />#寺園証太窯出し展示週間<br /><br />宇摩ちゃんありがとう。津軽じょんがら節は、やっぱり最高に気持ちよかった〜
























それから今幸せなのは
自分の選曲した素敵なCDをプレゼントしてくれたり
わたしたちの好きそうな曲を
勝手にセレクトして置いて行ってくれる
DJの友人たち。





なんて素敵な人たちだとおもうよ
DJっていう人種は。




ミュージシャンも
ずっと歌ってるもんね。歌好きなんだなー
人間ジュークボックスみたいだよ。



あとは空のピアノの練習を聞いてるのが
今のわたしの好きな音楽だな。










ソラ、ピアノ教室のクリスマス会<br />.<br />(この席が「撮影席」なので  フレームいっぱいです<br /> 画面がふらふらしてすみません、<br /> iPhone持ちながら目で見てたので(^^;)<br />.<br />いつものピアノより<br />タッチの軽い鍵盤だから<br />最初は指が滑ってしまったのだそう。<br />後半慣れたって。<br />そういえば、朝来てリハーサルも無くて<br />次々弾いていく子どもたちって<br />肝が太いというか天真爛漫というか。<br />.<br />3回目のクリスマスで<br />バッハのインベンションが弾けるように<br />なって親はびっくりです。<br />子ども、尊敬する。<br />.<br />#piano #soraの生活<br />.<br />ゆ

































posted by terra at 17:15| 岡山 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

ソラの誕生日に・子どもはいつまでお乳を飲み続けるか


今日は長女ソラの誕生日。
10歳になります。





今は夜中3時。
わたしはこの時間によく目が覚める。

夜、授乳して布おむつ替えるのを
だいたい2セットやると朝。


証太はなんでもやる素敵なお父さんだけど
これだけはわたしの仕事なのです。


モモが生まれた時は 
久しぶりに夜中に何度も起きるの
だいじょうぶか、とおもっていたけれど
今は寝ながらオムツ替えるのも慣れてねぼけながら出来る。


次女モモは2歳半。
まだ日中も夜も授乳中なのだ。
オムツは夜だけ。





今、わりと珍しく寝言を言ってます。

😴「とんでいっちゃった〜」
😴「ねこも。。。」


なんの夢を見てるんだろう。




あとどのくらい授乳が必要なんだろうか。



そういえば、
子どもにおっぱいをあげている時
はっと氣がついたことがあって

それはつまり

「授乳はれっきとした性 行為だ」

ということでした。



柔らかくいうとまぁ、ただスキンシップですから

アイフォンもってメールしながらとか
ブログ読みながらとか

そういう授乳は、性 行為としては
相手に対して(自分にも!)失礼、っていうことに
思い至りました。



だって、セ ックスの最中に
アイフォン離さない、とかテレビ見てる、とか
そんなの失礼っていうよりも
時間の無駄におもえる・・・ことないか?




授乳中は子どもの頭に自分の鼻をくっつけて
「子どもの匂い」をかいだり
「ぽにょぽにょしたお尻や太もも」を触らせてもらったりして
子どもの可愛さを堪能させてもらう時間にしました。


そしたら、最近は
次女モモ自ら「おっぱいと、ほん!」と言って
絵本をたくさん持って来るので
最近は、絵本の音読をしながら授乳中のことが多いです。


子どもの成長に応じて
刻々と移り変わっていく
授乳スタイル、、、






✳︎✳︎✳︎




長女ソラが生まれた時
彼女はほんとに痩せ型で2000gしか体重がなくて
それでいて、月満ちて生まれたまったくの健康体の新生児でした。

わたしは、実家で自宅出産したのだけれど
生まれたばかりの彼女と離れたくなくて
体重がいくら少なくても
健康なんだからだいじょうぶ
わたしの母乳でまかないたい!と
今思えば、この母乳プロジェクトに意気込んでいました。
病院で産んでたら自動的に保育器に入ると言われていた体重だったから、
氣が張ってたなぁ。



最初の一週間くらいは
「低体重児用ミルク」っていうのを提携していた病院からもらって
言われた通りに母乳に足して飲ませていたのだけれど

あまりにわたしのおっぱいがビュービューでるので
この身体に従えば、要するに
こんなものを飲ませている場合ではないのだろうとおもい
粉ミルクはすぐやめ。


30分に一度の授乳から始め、
ソラは4歳までおっぱい飲んでいました。









✳︎✳︎✳︎   


授乳やめた時のこと


この世に断乳とか卒乳っていう
言葉があるのは知ってはいるが
とにかくそういうのは苦手で、できません。



そのままーにしていたら
子どもが自分で勝手に辞める時はいつなんだろうとおもいながら
欲しい時に欲しいだけずっとおっぱいあげていたら
4歳のある日、ソラは

「も、いっかな 」

の一言で、自分ですぱっとやめました。



昨日、うちと同じような姉妹の母の友人と話していたら
長女に3歳までおっぱいをあげてて
最後はやはり長女が自分で「もういい」ってやめたそうですよ。



「このまま黙って授乳させていたらこの子何歳まで飲むのかしら」
おもっているお母さんが、いたらですね
もし女の子だったら
3〜4歳で自分から辞める可能性は高いよ、
とは言えるかもしれないです。


でもこういうことも、
ほんとにサンプルが少ないですね。
だって、あまりいないですもんね。




ずっと母乳飲んでいると
虫歯になる、とか
男の子だったらマザコンになるとか、
好き嫌いが増えるとか・・・
いろいろ言われることもあったな^^;


あまり興味がないからわからないけど
「まことしやかに」伝えられますよね。

それどころか、

母乳だけだと栄養が足りないとか(!)

・・・粉ミルクの方が母乳よりも栄養がある、とか
どこの誰が真面目な顔して言うんでしょうね。

粉ミルクは牛の乳で、
母乳は人間用の乳なんですけど。

借りてきたものと、オーダーメードなものと
どっちがよりぴったり合うだろうか。

動物の中で
好んで他の動物の乳を飲むのは
人間だけじゃないのかな?きっと。







自宅出産や助産院出産の人が友人にも多いのですが
実はそんなに大きくなるまで
おっぱいやっている人ってあまりいない。

多産だったりすると
次の子どもがお腹にできたから
おっぱいやめました、っていうパターンは多いから。


赤ちゃんがお腹にいる時は、流産しやすいから
上の子の授乳はやめるように、って書いてある本なども多いけれど

「わたしは上の子におっぱいあげてたけどだいじょうぶ
 だったよ」

という5人以上産んでいる友人(何人もいる!)
の貴重な証言もあり。






妊娠と出産のこと、それから育児のこと。

妊娠する前は、
勉強しないと分からないと思い込んでいたのだけど

本当は身体が知っているんだろうなーと
うすうす分かっていて

でも、今もう自分で出産する方法は
サンプルが親世代に無くなってしまったので
それを実践によって
実験して実証していくしかないことなのです。


ほんとうは!
育児にも出産にも正解も正しい道も無いわけだ。
だって、やり直しも出来なければ、検証もできないから。


だから、お母さんは
心おきなく、自分の生みたいように産んで
自分のご機嫌を大事にしながら
好きなように子どもと一緒に暮らせばいいの。


「育児」っていう言葉も、
便宜的にそう言うけれど
ただ「自分が好きなように子どもと一緒に暮らして」
いるだけなんだよね。
そういう認識です。



自分が」っていうのが大事なの

「夫の」でもなくて「父母の」でもなくて
「病院の先生の」でも「本に書いてあった」でも
「みんなが言ってる(誰だ?)」でもなくて

とにかく、出産も育児も
産む人が、好きなようにすればいいの。

それが、もっとも後腐れないのです。


病院で産むのが自分のリアル、という人は
病院で産まないと、きっと満足できないのではないかなー?

自宅出産はわたしはとっても好きですが
誰にとってもベストというわけじゃないんだとおもいます。






わたしには、
今生の子どもはソラとモモふたりだけなのですが
この2回の出産と育児で
すごくたくさんのものを貰ったなぁとおもいます。



10歳のソラと、2歳のモモ。


いつもどうもありがとう。
母を体験させてくれて感謝しています〜


モモが生まれるまで
ソラのことが大好きすぎて
次の子どもが生まれるのが恐い気持ちがあったんだ。
次の子どもが、ソラほどに好きになれなかったら
どうしよう とおもっていた。


わたしは子どもは
ソラひとりで完璧に満足していて
「ソラに妹か弟がほしい」
という気持ちだけで授かってしまうことを恐れていました。


その氣持ちにちゃんと整理がつくまでに
7年かかりました。



モモが生まれてきて、そんなこと
恐れることは無かったんだなぁと
おもったのです。


生まれたての子どもは圧倒的に可愛かった。
もう、すでにお腹の中にいる時から
愛していることはわかっていたのだけど
新生児のころに一緒にいるだけで
頭がぱかーんと開いたような幸福感はほんとに天国でした。
ソラも一緒に家族だけでした出産だったから
ほんとうにリラックスできて
さいこーだった。


あれを体験しただけでも
出産ってもうそれ自体が人生のギフト。





今おもえば、わたしは心の使い方が
子どもが生まれるまでとても狭かったのだろう。


愛は、そんな心が狭いものじゃないんだね。
好きな人が増えるごとに
愛する世界が広がっていく。






愛するソラ
愛するモモ


いつかこれを読むことがあるかなー?














posted by terra at 05:20| 岡山 ☀| 百日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

女性性 男性性


前回のこれ


▶︎ゴルフボールが当たったはなし


わたしと同じく、
ゴルフ場から飛んで来たゴルフボールで
頭を怪我をしたお子さんがいる親御さんから
メールをもらいました。


やはり、そういう事故あいるんだな、とおもいました。
事故にあって、同じような人を探していたようです。
メールの文面から感じたのは
事故の後遺症を氣にしながら
なんとか自分たちの氣持ちの落としどころを探っているようした。


次、時間があったら
わたしが自分を癒して再生させるために
「どういう経路をたどったか」
そういう話を書きたいとおもっています。

わたしのすごく個人的な癒し方だったけれど
同じような事故にあった人にも
すこし役に立つかもしれない。

なんで自分がそんな事故にあったんだろうって
皆、不思議だとおもう。


人生には
必然しかないということを
より強くおもうようになるかもしれない。




前の記事を書く時
事故の経緯を説明するために
過去の感情を
探して掘り返しました。

それは
辛いことなので
何度もやりたくないけれど
一度は放たないと、手放せないのだとおもう。


わたしは起こったことを
すぐにタイムラグなく書くっていうことに
慣れていなくて
自分がなんとかなってから
思い出してから書かないとならないのだけど。






ブログに書く、という以前に
相方の証太は出会ってからずっと
わたしの私設セラピストでいてくれて

なにかあるたびに
話を頭から終わりまで
聞いてくれる人なのだけど
今回は大変だったとおもう。


ゴルフ場やうどん屋の人のかわりに
証太がわたしに怒鳴られつづけていた。


なにせ、ゴルフ場の支配人だとか
謝りに来たゴルフボール打ったゴルフの下手なOBの人も
わたしが氣がすむまで怒るのに
値(あたい)しない人だった。

会社の責任者でさえないし
自分の腹からの言葉もでてこない。

話しても解るまでに何年かかるかわかんないし
だいたい、死ぬまでに解るようになるのかさえ謎なんだから。

(打った人は一応謝りに来たんだけど、
 その時に、帽子から靴までゴルフウエアだった! ほんとシラケる。
 デリカシー全く無いんだなぁ。
 悪いこと言わないからゴルフ下手だし、
 運も悪いから早く辞めたらいいのに、と思う)



わたしは男性は好きだけど
レベルの低い「男性性」は嫌い。



悪いけど「ゴルフ場」って、
 わたしからみると
低レベルの「男性性」のかたまり
みたいに見えるのです。

男性性のかたまりが
女性(と子ども)に対して、
一方的な暴力を振るったわけですから
その構図に対して
ほんとうに腹がたった。




なんども言うようだけど

福島で事故をおこした原子力発電所と
サイズの大小が違うだけで
本質はなんにも変わりはないわけです・・・



経済最優先」で
地域の安全性なんか全く見ていない。
まわりで遊んでいる子どもへの影響、そんなのは知らん。

あの「長船カントリークラブ」など、
ただボール打って
一級河川の河川敷を占領して
遊びたい「おじさん」たちの溜まり場。

\だったら、ちゃんとその中だけでやれよ〜/




証太に向かって
わたしが怒る時

わたしは、証太にというよりも
「男」という勝手な生き物
に対して怒っていることが多いから

彼は「男を代表して女に怒られている」人に
なっちゃうんだよね。
(かわいそうに・・・)


ここまでくるまで何世代も何百世代も
「男性」たちが自分たちの遊びをこじらせて
「戦争」したり
「経済戦争」したり
「受験戦争」したり

男が競争がしたいのは3歳のころから変わりません。

女性が出る幕がないくらい
やりたい放題してくれたよねぇ。




今、もう確実に
時代は変わってきていて
このままではいかない。



男性優位社会はもう
いったんおしまいです。

行き過ぎたものは中庸に戻る。


男性の中の女性性を高めていくことが
これから大事ですよ。

そして、女性はちゃんと男性に
ほんとうに言いたいことを言って
お互いの違いを認めあい、高め合っていくことが必要だよね。

世の中にどうして
女と男しかいないのか、それには意味がある。





先日17年ぶりにSwedenから日本に来た
ケンさんとゲータというとても素敵なカップルにお会いして
楽しい時を過ごしたのですが

お二人は「日本の男性が変わった!」とおっしゃっていました

17年前に来た時にはいなかった
子どもを一人で抱っこしたりおんぶしたりしている
「お父さん」を、たくさん見掛けたらしいのです。

Sweden では、ずいぶん前から普通の光景だったらしいです。




もう、変化は自然に始まっているんだ。






ラベル:授乳
posted by terra at 10:33| フラワーエッセンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月06日

ゴルフボールが顔に当たった話2

松本旅行の感想も書きたいのですが

今日は寝る前に






これをまた読み直していたら

「わたしだったらこの後半部分は長すぎて読まんなー」と

おもってしまったので

こちらに後半書き直してみます。なるべくたくさんの人に読んでほしい。


まー、この内容については

内容がほとんど「怒り」なので

書くのが辛いわけです。


でも、普段は

わたしは「幸せでありたい」「幸せでいたい」と

そうおもって暮らしているのに

こういう話を思い出すのも非常につらい。

こういう事故に遭うと、凹む。





でも、なぜ思い出して拙い文で無理やり書くのかというと

ゴルフ場からまた同じことで被害を受ける人がでるのは

勘弁してほしいとおもうからです。













ここから↓ 前回の話の後半




二人目の娘モモは5月の初めに生まれたので

あと約2ヶ月ちょっとで生まれるという

大きなお腹で

岡山の長船にある「一文字」という、

うどん屋さんが月に一回主催する朝市に

家族で出店していました。



今も吉井川のほとりで行われる

「福岡の市」という朝市です。

▶︎「うどん 一文字」 


早起きは苦手だけれど毎月楽しく出店していました。




「福岡の市」の会場のすぐ横吉井川の河川敷に

「長船カントリークラブ」という「問題のゴルフ場」があります。

▶︎長船カントリークラブ

各ホールごとに表情がそれぞれ異なるコースレイアウトによって、
プレイヤーは一打一打にドラマティックな興奮を覚えることでしょう。

↑ホームページにはこんなことが書いてありますが
ドラマティックな興奮なんて覚えられてはこまります。

危険なんですから。

すぐにネットの張ってある場外に

ボールが飛んで行ってしまうつくりなのです。

今でも子どもがボールを拾って遊んでいるんです。

「禁じられた遊び」という映画をおもいだしました。





その日の「福岡の市」が始まってすぐに

一番端に出店していたわたしたちに

「本日の紹介」のためのマイクがまわってきました。

いつもはわたしは店の中(簡易の屋根がついている)から

マイクで話をするのですが

その月はメニューが増えて値段などがうろ覚えだったので

その屋根を出て店の前に出した看板を見ながら

マイクでそれを読み上げていたのです。

喋っていると、いきなり

右の顎の部分を

大きな人からぶん殴られたような

痛みが走りました。

それと同時にマイクが拾った

「ゴッ」という硬いものが当たる音。

そしてわたしの

「痛ー?! ゴルフボールだ!?

という声がマイクで拡張されて会場全体に響く。



ゴルフ場から飛び出してきたボールが

ダイレクトに私の顎に当たったのです。

農家の友人のアキラちゃんは

たまたまマイクで話ている私をずっと見ていたので

 その瞬間もじいーっと見つめていたそうです。

突然ボールがヒットして びっくりです。

もちろん他にもいたたくさんの出店者やお客さんたちも大騒ぎです。


事故自体は以上。

それからが異常です。





わたしが今、こうやって文章に

事故のことが書けるようになったのは

夫の証太に、ことあるごとに

怒りを何度も何度も聞いてもらったからです。

それから

友人のキネシオロジストにセッションしてもらったから。

フラワーエッセンスの施術者に処方をしてもらったから。

整体の先生に施術しながら話しを聞いてもらったから。

有能な歯医者の友人にかかりながら話しを聞いてもらったから。

紹介してもらった弁護士の方にも話を聞いてもらったから。

それ以外にもたくさんの友人に、腹立たしい思いを聞いてもらいました。



ゴルフ場はとにかく、誠意あることはなにひとつしていないのです。







ここで、話は飛躍しますが


はっきり言って、

原発もゴルフ場も一緒です。

自分で一方的な事故を起こしておいて

責任はとりません。

反省もしません。







岡山でゴルフをするプレイヤーの方は

このゴルフ場は避けた方が良いとおもいます。


いつ誰に怪我をさせてしまうのかわからないからです。

ご近所の方、通りかかる人、車の方も、



万が一ということはほんとうにあります。

そして、一度あったことは二度も三度も起こります。



実際に、このそばのうどん屋さんは

2回も窓ガラスを直撃でゴルフボールに割られて

すべて保険で直して、それで双方良しとしています。




「保険さえあれば解決できる」この考え方は非常に危険です。

根本的な解決を、ぜひ望みます。




怒りに任せた文章を読ませて
関係のない方には
ほんとうに申し訳ないのですが
これだけは言いたい。



とにかく、なによりも

二度と、ボールが外へ

飛び出さないようにしてほしいものです。

今でも外に出てきたボールで子どもが遊んでいるんです。

それができないのなら廃業してほしいのです。



繰り返し言いますが

原発も、ゴルフ場も

外にいる人に迷惑を一方的にかけるのだったら

無くても全くいいんですよ。

そんなもんだって、わかったらいいんだけど

なんであんなに不遜なんだろう。



ここまで


















posted by terra at 02:18| 岡山 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | フラワーエッセンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

「岡山展」ー長野県松本のラボラトリオにてー

長野県松本にある「ラボラトリオ」は

木工作家の井藤昌志さんが主催する
セレクトショップです.





▼ラボラトリオ


10月7(金)から、ここで
「岡山展」という催しが開かれます。


なぜ、松本で「岡山」なのか?
・・・ということはさておき


かわいい桃太郎のDMが届いたので
今日、長野方面の方々へ発送いたします。
.<br />#井藤昌志 さんの主宰する<br />松本「LABORATORIO 」にて<br />http://laboratorio.jp<br />.<br />「岡山展」のごあんない<br />.<br />10/ 7(金)〜24(月)<br />.<br />岡山のいいもの+おいしいものが届きます。<br />.<br />#Dove&Olive(革) <br />#翁再生硝子工房(硝子)<br />#菊池流架(金属)<br />#ぐらすたTOMO(硝子) <br />#須浪亨商店(いぐさ) <br />#寺園証太(備前焼)<br />#長島慶明(陶器) etc.<br />.<br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br />.<br />◎会期中のイベント .<br />.<br />●8日(土) <br />い草のワークショップ<br />「びんかごを編もう」<br />14:00〜1時間ほど ¥1,500 定員:5名 .<br />●9日(日) 亀田カレー ワンデイカフェ<br />チキンカレー+バターチキンカレー <br />二種盛り ¥1,100 .<br />●21日(金) 「ぼくらの岡山案内。」 (岡本仁+坂口修一郎 著) <br />出版記念トークイベント  18:00〜(無料)<br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />7日在廊します☺︎

初日 7日にはラボラトリオさんへ伺います。
2013年のクラフトフェア以来の松本、たのしみです。



初めましての方も、
再会できる方も、
どうぞよろしくお願いします。











岡 山 展

10/ 7(金)〜24(月)

岡山のいいもの+おいしいものが届きます。


Dove&Olive(革) 翁再生硝子工房(硝子)菊池流架(金属)
ぐらすたTOMO(硝子)  須浪亨商店(いぐさ) 寺園証太(備前焼)
長島慶明(陶器) etc. 


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ◎会期中のイベント
 

  ●8日(土) い草のワークショップ「びんかごを編もう」

         14:00〜1時間ほど ¥1,500 定員:5名
 

  ●9日(日) 亀田カレー ワンデイカフェ

           チキンカレー+バターチキンカレー 二種盛り ¥1,100
 

  ●21日(金) 「ぼくらの岡山案内。」 (岡本仁+坂口修一郎 著)
       出版記念トークイベント  

        18:00〜(無料)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*** お問い合わせ先 ***
• faber LABORATORIO
  長野県松本市大手 1-3-28 神山ビル2F
  Tel: 0263(88)7706
  Mail: info@laboratorio.jp



posted by terra at 15:35| 岡山 ☀| 展示会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月30日

ゴリラのお母さん


えーと、お弟子志望の子が来たところからだ。



このお弟子志望の子を、リー君 とうちでは呼んでいる。
別に中華系では無い。岡山県出身。32歳。



個展の時にお客さんで来てくれて
「遊びに来てもいいですか」と聞くので、いいですよ、と言うと
ある時連絡もなく家にやってきた。


彼は、ものすごく無口である。




↑ここに書いたけど
うちはウーフに来てもらおうとおもって
小屋を借りていたから

まぁタイミング的にはいいかんじで。

ここに寝泊まりして働いてもらうことにした。

リー君には申し訳ないが、お給料はまだ出ない。

だけど、寝泊まりと3食は一緒に食べて
たまにガソリン代を支給するっていうことにした。


証太曰く
「まだほんとうにやりたいのか
 わからないから
 長期のウーファーだとおもうことにする」


証太は7年修行したけれど、彼はどうなるかな。





それで、なにが「主婦のしごと」なのかって言うと

弟子の子が来てわたしが氣をつけたことは

まるで産後の女の人みたいに

「わたしが家事をなるべくしない」っていうことなのだ。

せっかく人手が来てくれたのに
わたしがお弟子の「お手伝いさん」になったらいかんわけだ。


しかも、昔から「男子こそ厨房に立て」っておもってるんだから
ただの修行の一環として、台所しごとをしてもらいます。

だって
料理もしないで、
陶芸家になんかなってもしょうがないでしょう。




手が空いたわたしは「氣がついたことだけ」をやっている。

(シンクを磨いたり、階段を拭いたり、窓を拭いたり、服のシミをとったり、
 フキンを煮洗いしたり、枕カバーを繕ったり、保存食をつくったり・・・
 いろいろある)

おかげで台所が日に日に綺麗になっていく。ありがたい。

リー君も 皿を洗ったらシンクまで洗うようになった。
テーブルを拭く時は、サイドのところまで拭くようになった。
風呂に入ったら流したじぶんの髪の毛を捨てるようになった。
(もちろんトイレは座ってする)


それで、わたしは時間が空いたから

朝から晩まで

2歳の子どもの
「ダイスキダイスキー」「ねんねんパイパイー」
「えほんよんでー」

9歳の子どもの
「だいすきしてー」「だっこー」「本読んでー」

に、フルタイムで対応できるわけだ。


これは大きいよ。

ご飯3食つくってたら
こんなの笑いながら対応できないのよ。


昔、家事しすぎて
疲れて怒りながら証太に言っていたことは

「わたしを優しい母さんでいさせてよ!」


昔からおもうんだけど、わたしがやりたいのは

ゴリラやオランウータンのお母さんみたいに
年中子どもと一緒にいて
だっこしたりおんぶしたりして
「おなかすいたー」と子どもが言ったら

「お父さん、おなか空いたって」
と、オスに言う。そうすると
オスがバナナやマンゴーを取って来てくれる。



子どもと遊ぶのがわたしには楽しいしごとだから
それ以外のことはどんどん手を離したい。


手を離さないと新しいものは手に入らないって
わかってるからね。





だいたい、わたしのこの10年の
「主婦のしごと」の歴史っていうのは
どんどんできなくなっていく、
やらないことが増えていく歴史なのだ。

いや「できないことを明らめていった」っていうことかな。


やめたこと
1.自動車の運転(できるかも、とおもうのを辞めた)
2. 生協の週一の注文
3. お金の勘定(財布を持ち歩かない)
4. 子どもと自分だけの外出
5.  草刈り(草刈機の)



わたしは、こういうことはみな不得意だから
ぜんぶやってもらいたいっていうのを4~5年かけて理解してもらった。
「できないことはやらないでいいんじゃないか?」って
じぶんにも理解させた。



つまり、わたしだけしかできない家事っていうのは
もう無くしたかったの。


家事が女のしごとだなんて決まってないもんね。もともと。








津留崎徹花という、カメラマンの友人が
田舎に移住したい気持ちとその家族の冒険を
連載しています。コロカル、というwebマガジンにて。

今回はうちのハナシ。
↓↓↓











posted by terra at 22:53| 岡山 ☀| 主婦のしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

ハンモック



歌の絵本がある。
童謡を歌えと モモに言われるので
毎日、この本で歌いながら授乳していたら

ハンモックに乗りながら
新しく覚えた言葉を披露してくれた

「あなたの、おうちは、どこですか

「あなたの おうちは ぼこだー?」
「きいてもわからん〜」

( by犬のおまわりさん )

2歳4ヶ月の子どもに

「あなたの」と言われる。
「どこだ〜?」は「ぼこだ〜?」

だった。後から訂正。
ぼこだー?は、うちの流行り言葉になる。


ソラと一緒にウケる。


ソラは、モモのこと

「やたらめったら面白くなってきた」らしい。




今日は屋根にあたる雨の音を聞きながら

3人でハンモックに乗る。



昨日は

ちょっとくたびれた証太がハンモックで寝てて

その下の布団でソラとモモとわたしが寝てて

ソラが、シアワセだなぁ〜 と言った。


モモが「だいだいだいき」と言った。

「だいだいだいすき」のことだ。


わたしはなぜソラが「シアワセだなぁ〜」と言ったのかがわかって

うれしかったのだ。















posted by terra at 17:42| 岡山 ☀| 百日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする