2019年05月09日

おしらせ、お礼 など


先日の 宙 での寺園証太と、吉井史郎さんとの二人展


たくさんの方にご来店いただき

ありがとうございました。


..証太と大学時代に同級生だった、写真家の馬場わかなちゃんが宙での二人展行って写真を送ってくれた。同じ大学(写真学科)を出て20年後にこうして違う職業の人として再び出会う不思議なご縁。わかなちゃんの本「人と料理」を岡山のsunny friends market で見つけて買った時には、知ってる同級生が本出してるってふたりで読んで楽しんだのだ。この本には岡山で知り合った伊藤環さんかおりさんもでてたのだった。写真も文章もどちらもここちよいリズムと、溢れるほどたくさんの愛がある。わたしも同じ大学で、学校のある街に証太と一緒に住んでいたのだった。まぎれもなくあれはわたしたちの青春時代だったのだが、そのあとの弟子時代もなんだか青春時代の続きみたいになっておって、なにせ弟子なんで、夢でも食べていくしかないし。親になって12年たった今でも現実味がないって言われることがままある我々なんだけど、そのころなんか、ふたりでふわふわ浮いてる、とかよく言われていた。最近では、地に足がついた、もたまに言ってもらうんだけど、逆のことじゃないかこれらは。たしかに地面に近い暮らしではある。長い青春を過ごしたあと、29か30で子どもが生まれて独立して、窯つくって焼物つくって個展開いて...みたいな怒涛の時代が長いこと。久々に会う人に外国行ってたの?とか聞かれたほどに今以上にあんまり外にも出てなかった。家が仕事場だしね。去年から証太は東京に展示会で行くようになった。歳だけは確実にとっていくけれど、わたしたちが大人になっているのかは、ほんまに謎。子どもの頃のきもちもまだまだよくおもいだせるし。いったいおとなってなんやろうとおもう。田舎暮らしが長くなると、東京はほんとにたくさんの人が、小さな場所にきゅっと住んでいるようにおもえる。だからこそこんなふうに瞬間的に人に会える。みんな忙しい仕事と用事のあいだに時間をつくってさっと来てくれてるのだ。まるで谷間に吹く風のように。田舎に住んで、おんなじところで毎年おなじことをして喜んでいる自分たちは、こうやって長い時間をかけて、つくる場所  をつくれてよかったんだなぁとおもう。またせっせと田舎でものづくりして、街のともだちにも見せに来よう。といいつつ、二人展は続きます。明日(火)明後日(水)は 宙 の定休日。それから4月21日までです。ほんとにみんなありがとう。.感謝。 ..photo @wakanababa .#馬場わかな #人と料理.@sorasora1101 .#寺園証太 #宙 #二人展#shotaterazono






















見出し画像は、証太の大学時代の同級生で、今は人氣写真家の
馬場わかなちゃんが駆けつけて撮ってくれたものです。
写真てほんとに撮る人によってまったく表情が違う。

わたしのみたことの無い証太の顔がとても新鮮に見える。

大学時代の同級生たちがたくさん来てくれて。
みんな大人になっちゃって。でもぜんぜん変わってなくて。

写真学科を卒業して、陶芸家に弟子入りして、やきものやになってしまった
変わり種の同級生を、思い出して駆けつけてくれて。

駆けつけて、ってかんじなのね、ほんとに。
東京の懐かしいスピード感。


証太ってきっとほんとにいいやつなんだなとおもう。


福岡で個展を開いたときには毎日
小学校、中学校、高校、それぞれの同窓会になってた。

それで、今度は大学時代のともだちにやきものやになって会いに行けた。

順番が巡ってきたかんじ。


わたしは転勤族育ちなので

こういう縁が長く繋がっていく、っていう感覚が若いころは無かった。

証太を見ていると、縁は切らなければ繋がっていくのだなぁとおもう。

わたしは縁を切ってきたのだなぁ。繋げたがっていてくれた人たちもいたのに。

岡山に来てから定住することになったときは

清水の舞台から飛び降りるような(慣用句)気持ちで定住していったのだけど

さいきんは、ずっとここに住むと決めるきもちや

長いこと縁をもつ、ということを体験して

田舎に住んでから、自分がずいぶん変わった。




今年は海外に展示会で行きたいとおもっていたのだけど

どうやら来年になりそう。

家族で行きたいので、ゆっくり準備する。






















posted by terra at 10:01| 岡山 ☁| Comment(0) | 展示会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月02日

陶 宙 にて 二人展(東京 碑文谷)



○おしらせ○.東京の  陶 「 宙 sora 」にて京都の陶芸家  吉井史郎さんとの二人展を開催します。.宙 の吉田さんは、文面で「寺園さんの地に足がついた生活から生まれる器たちは力強くも優しいのです」と、表現してくれました。.うちはまだこれで地に足がついてると言いがたいのではないかとおもうのですが、うつくしいものをつくりつづけるためには、なるべくそうありたいとよくおもいます。...2019年  4月13日(土) -  21日(日)11:00am-6:00pm.* 16日(火)17日(水)は休み.4月13日(土)、14日(日)は、寺園証太  在廊予定です。.宙  @sorasora1101 152-0003 東京都目黒区碑文谷 5-5-6tel&fax 03-3791-4334.*  ハガキをご希望の方はdmにてご住所とお名前をお送りください。...#寺園証太 #吉井史郎#shotaterazono #bizen #備前焼#展示会 #exhibition#japanesepottery#二人展















東京目黒区の器のお店
「陶 宙」(とう そら)にて
吉井史郎さんと二人展を開催いたします。


吉井史郎さんは京都の陶芸家で
渋くて愛らしいやきものを作られる方です。
宙の吉田さんが相性を考えてくださったのだとおもいますが
今回組ませていただきました。

ご本人も素敵な方だそうで
お会いできるのが楽しみです。





2019年 4月13日(土)ー21日(日)
11:00am-6:00pm 

16日(火)・17日(水)は休み


おおらかでナチュラルな備前。すぐにでも使いたくなる今の生活に馴染む備前。
寺園さんの地に足がついた生活から生まれる器たちは、力強くも優しいのです。
クラシックな雰囲気の中に、吉井さんらしいふくよかさを纏った器たちは
渋くそして愛らしい。見事な技術をさらりと見せ、飄々とした佇まいに奥ゆかしさを感じます。
(宙 吉田さんのDM文面より)



〒152-0003 東京都目黒区碑文谷 5-5-6 
tel&fax 03-3791-4334










[ここに地図が表示されます]






宙での展示、

今窯出ししている作品をいちはやくご覧いただけます。

どうぞよろしくお願いいたします。


寺園 証太 拝













posted by terra at 01:44| 岡山 ☁| Comment(0) | 展示会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

10月21日(日)備前焼まつりにはじめて出店します



_H5O7100.jpg


















photo:kato kohei





2018.10.21.sun  9:00〜16:00

「備前焼まつり」

に、出店することになりました(急遽)

まつりは土日ですが

うちの出店は日曜日だけです。




まつりなので、ふだんの価格の

だいたい2割引きで出品します。

どうぞよろしくおねがいします。






寺園 証太


posted by terra at 13:23| 岡山 🌁| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

ごろ寝のおとも



布団を3枚、畳に並べて家族みんなで寝ています。




証太が張った二階の床板の上に

ゆうのおじさんが昔、

改築の時にとっておいてくれた畳を

6枚並べて敷いて、その上に布団。




そこに、家族で「四本川」の字に寝る。



四人だけど、敷き布団は三枚で、掛け布団は四枚。


だんだんふたりが大きくなってきたら敷き布団を増やす予定。





わたしが文章を書いたりするのは

だいたいがここの布団の上です。


一階で洗濯物を干したあと、

mac持って二階へ。



今日はしばらく海へ行っていた

娘が寝ながら帰ってきて

布団のとなりで寝ています。



わたしの幸せはこんなかんじ。

...この新月かぞくみんなみごとに眠い。月の力にはさからえない。さからわない。.ソラのヨガの間一時間の海。.ショータはおきらく釣りユウとモモは季節外れのワカメ漁。.のあとの.ピザ屋の友だちのチキンカレー。どんどん腕前上がってる。めっちゃ丁寧なサブジ。ふつーにオーガニック。.ワカメも茹でて刻んで玉ねぎまぜて食べたった。茎のとこが食べたかってん。..海で遊ぶ釣り人はゴミ拾いしようね。.切れた釣り糸だらけやん。.いただきっぱなしは良くないで。頼みますよ。.....#新月#海 #お氣楽釣り #維摩ヨガ#チキンカレー #ワカメ漁#カレーを食べたら報告しよう#釣りをしたらゴミ拾いしよう#てらぞのゆう.ピザ屋の友だち@munchs_eiko @munchs_hiroki ...









彼らは、精米に行くついでに海へ「ちょっと」釣りへ。

精米と、釣りと。



























ねっころがって読む、おともの本。







佐野洋子さんの対談本「友だちは無駄である」で


(アマゾンでは文庫本1円から売っていた!

 随分と安い娯楽だからぜひ買って読んだらいいですよ)




佐野さんが友だちときずいている友情のおもしろさ。




人生のなかで自分のうんこもゲロも(比喩です!)

見ていてくれる

そんな友人を何人も持てるなんて、

佐野洋子さんて、ほんとうに自分がオープンなひとだったのだなとおもう。


自分も人のゲロの始末するの、「好きよ」とおっしゃる。




ひとは、欠点があっても他人と友情を築ける。


その欠点を誰かと共有して、

いっしょに笑ってほしいとおもったら

もう、友情ははじまっているのかも。




むしろ、欠点だらけの人間は友だちになりやすい。

自分も楽だから。






自分をオープンにすればするほど友だちができる。









てらぞのゆう






.花かんむり🌸リクエストに応じて母さんつくりましたよ。.花の首飾りも。.あとは花束だ、って時に@chikacikap がちょうど庭の花をブーケにしてもってきてくれて、完成。.子どものイマジネーションに付き合うのはかなりたいへんだけどけっこう好き。.子どものころの感覚を思い出す。.ほんとうにお姫さまだった時代や妖精だった時季があるんだよな。.母さんは昔から夢だったほんとの魔女になりましたけどね。.写真撮ってくれてるのは姉ちゃんです。.....#crystalchild#rainbowchild#fairy #princess#花束 #花かんむり #花の首飾り#魔女#庭の花#足元はこれはこれで良いかんじ#暑くてもレギンス#早くも冷えとり#てらぞのゆう

posted by terra at 19:55| 岡山 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

都会のおもいで


今日はむやみに早起きしました。

3時です。午前3時。



わたしは寝る時間も起きる時間も一定になりません。

その昔、会社員時代は遅刻するんじゃないかなんていう

緊張感がありましたが

今は困りません。



なにか用事がある時は、起きれます。

早起きしてしまったら、起きちゃえばいいし。





それで、こういう風に時間があいたんで


今日は、ゆっくりひとりでお風呂に入って

洗濯機まわしながら、歯磨きをしっかりやる。

それで、今日はブログに一文あげる。




贅沢。

幸せです。





今日も着地地点を決めずに書き始めて

適当に終わりになるとおもいます。


書きたいことは実は、たーくさんあります。

不思議な体験や、楽しいこと。

でも、人生ぜんぶはとても書ききれないし

言葉が下手ででてこない。



書けるところまで書いて、

あとはもしお会いすることがあればお話できたらいいな。

話する方が早いですもんね。









さて・・・


森道市場へ行ったこと

新しく焼物を取り扱ってくれるお店が増えたことなど


.森道市場初日  BOREDOMS!.めっちゃかっこよかったよ。.余韻に浸っていると、その夜コタンのヒデのナビでヨシミさん来店してくれました。@emeraldragonfly.写真撮ってくれたのはちょうどいてくれた靴屋のイケマ。@ikema_ ..うすい備前焼探してる、とおっしゃられていたのでうちへようこそー!でっす。笑!.全方面スーパーハイセンスなYOSHIMIさんなんてなんて素晴らしいことだ。.ステージを降りてきてくれたヨシミさんはほんとに素敵なバイブスの女性でした。...森道市場ありがとう。祭りは生き物だね。...#森道市場2018#boredoms#ooioo















ご報告したいことも、

たくさんあります。



さいきんInstagramに慣れてきて

ちょくちょく写真をあげているので

ご覧になれる方はぜひフォローして、見てやってください。

⇩⇩⇩



今もっとも頻度高くやっているSNSです。

すごいですね、このブログ始めたころには

影も形も無かったサービスなのに、

今ではブログを凌ぐ便利さになっている。

でも考えてみたら

こんなふうに、だらだらと文章を書いて

誰が読むのかわからないところに

流していけるブログという形態を、わたしは好きになってきています。










証太は次の窯のために 土づくりしながら

今は少しづつ、手びねりのものをつくっています。



.2018-6-21 くもり.友だちに.都会から田舎に引っ越して.調子はどう?.とたずねると.つやつやとした顔で.収入がずいぶんへっちゃって.と言う.ずいぶん元氣そうなので.それで、幸せなの?.と、たずねると.すこし、間があって.うん、幸せ.と、言って笑うのだ。.......#寺園証太#てびねりの器#てらぞのゆう#夏至











来年は、東京で2箇所、

二人展と個展がきまっているのです。

関東での展示会は、独立してから

初めてなのです。




場所は、春に目黒の「宙」にて二人展

おそらく秋(未定)に原宿の「playmountain」にて

個展の企画をいただきました。



また改めて詳しくお知らせしますので

どうぞよろしくお願いします。






東京といえば、わたしと証太は

東京の大学へ行っていました

そのころ、江古田という町で一緒に住んでいました。




証太の母には、常々、

結婚する前に一緒に住んではいけない

と言われていたのですが

わたしはそのころ「結婚する氣はなくて同居はしたい」と

おもっていたので

申しわけないけれど言うことを聞きませんでした。

ろくでなしですね。子どもというか。



証太の両親は一般的に見てとても良い親御さんなのです。

わたしはおかしなことを言う女の子だったのです。



おかしなことをいう、とか

ろくでなし、っていうのは

いわゆる、常識、っていうところで 言うとですよ!


親の言うことをきかずに

そういうことを自分がしてきたので

結婚せずに同居することがちっとも悪いとはおもっていません。




逆に、同居してもみずに結婚する方が、

実は向こう見ずなんじゃないかとおもっています。

そんなこと無いですか?

一緒に住んでみないと分からないことがたくさんあります。

一回の恋愛ごとに律儀に結婚して

また離婚して、を繰り返すのもべつにいいのですが

手続き嫌いなので、役所に行く回数はなるべく少ない方がいいのです、わたしは。





わたしが、東京のコンクリートジャングルで、

寂しいおもいもせずに

楽しく暮らせたのは、

証太と出会って一緒に住んでいたのが大きいのです。

大きいというか、ほとんどですね。




東京でワンルームで本当の一人暮らしなんて

今のわたしにも、当時のわたしにも

おもいつかないライフスタイルです。





昔、山田詠美さんの本が好きでした。

よく読んでいた中学生、高校生のころ。

詠美さんは、

心の中で、いとこのお姉さんのような存在でした。



彼女のエッセイで「わたしはひとり暮らしはあきらめた」

というようなことが書いてあって。

その一文を読んだ時に

「ああ、わたしもそうだ」とおもったのを覚えています。



わたしは、詠美さんの本を小説というよりも

年上の人が書いた恋愛の指南書として読んでいたらしく

じぶんが恋愛とやらをせっせととりおこなう歳になると

もう読まなくなったんです。


特に、自分が結婚して、子どもを産んでからは

すっかり読まなくなったんですけどね。


子どもがいたら、詠美の世界にどっぷり浸れないものね。

詠美ワールドはまったくリアリティを失って

わたしは子どもワールドへ誘われたのでした。



子どものいない人生っていうのも、だから、素敵だとおもいます。

そういえば、詠美お姐さんと仲良しだった

作家の 宇野千代さんも、おばあさんになっても可愛かったものね。


子どもとは、かくも親を老けさせ、可愛くなくさせるものなのか。

なのに、ほとんどの女は、ある歳ごろになると

子どもが欲しくてたまらなくなります。

ホルモンのせいだとは分かっていても

分かっていても欲しいものはどうしようもありません。



子どものいない女の人に、歳をとっても

可愛さを保っている人が多いのは

事実です。








ひとり暮らしをはじめて、すぐに証太に出会って

一緒に住みだして、

証太が東京を先に去ってしまったころには

ちょうど大学に入った弟が東京に来ていたので一緒に住んで。




なので、わたしは

結局ちゃんとした、ひとり暮らしをしていません。





その上、

ちょいちょい、意味なく何日も友人の家に滞在したり

毎日のように料理が美味しい居酒屋でご飯を食べたり

飲みにいって、そこで知り合った人と

2軒目行って、またそこで知り合った人と3軒目に行って

結局知らない人の家にみんなで泊まりに行ったり。


なにをしていたんでしょうねぇ。

なにがしたかったのでしょう。


生活している感がぜんぜん無かったですねえ。



たくさん稼いでたくさん使って

ふわふわと街の中を漂って家に寝に帰るような感覚でした。




今おもうと、あのころがあったから、

今の田舎のライフスタイルに出会った時

すごく刺激的で楽しかったんだなとおもいます。



しっかり土の上で「暮らしてる」っていうのが

すごくかっこよく見えたんだな。












ところで、わたしは、今

「フラワーエッセンス」というヒーリングツールを

処方したり、カウンセリングセッションをしたり

ということを、自分のしごとにしています。

これをやることになった経緯また少しずつ書きますね。

スピリチュアルなことたっぷりな話になるとおもいます。



しごと にしていると言っても

まだ、屋号も決めていないし、

名刺もつくってないですが、

今は、それが必要だとおもった友人や

家族に乞われる時に

しっかり時間無制限のセッションをして

(駆け出しなので時間で奉仕です。楽しいし)

良い循環の中で、お金もいただきつつ、

勉強させてもらっています。




スムーズに初めてしまったしごとなので

今のわたしにちょうどいいくらいの頻度で

セッションの依頼をしてもらえるので

ほんとうにありがたいなぁと。





ちなみに、


ただいまのセッションの価格は

トリートメントボトルひとつをつくるセッション


(今のところ制限時間きまっていません)


3,000円です。

メール、お電話などでもセッションできます。


送料は国内500円いただいています。




ご興味ある方はご相談くださいね。

terracoya@gmail.com へどうぞ。

.寺園家のゆうです。昨日はだいじな友人が蒼い顔をしていたので急遽セッションしました。.しかし、この3日間、誰がひいても出続ける #Aspen のカードがまた。.#新月 だからかな。胸のワサワサ、ざわざわ。.『原因不明の、漠然とした、目に見え  ない力に対する恐怖や不吉な予感』.人間だとようするに死に対する不安。「自分が死ねこと」を知りながら生きている動物は人間だけみたいです。.他の動物は死の瞬間まで「生きて」いるのでしょう。.アスペンは、そういった不安や恐怖がでている時に必要とされる #レメディ 。.1935年に #DrBach が発見したポプラの #フラワーエッセンス です。 ..#アスペン を飲むと自分の中にある『 #未知のものへの勇氣 』に氣がつけます。.「 #フラワーレメディ 」はわたしがソラを妊娠している時から使いだした「 #ホメオパシー 」と考え方がとても似ている。.開発者の #バッチ博士 ( 🇬🇧1886-1939 )がそもそもホメオパシー病院で働いていた人だから、あたりまえかも。.各症状や病氣に対応するというよりもより人間全体、人生全体が変化するかんじ。正確にいえば、自分の人生が取り戻せる。.偏りが  #中庸 にもどる。....ああ、#スピ系 ね、っておもう方もいるでしょう。.わたしこそ、そもそもが若い頃から#占い とか #スピリチュアル とかいらない、女子の好きな #おまじない に至ってはバカにしていた人で。.自分の人生は自分でなんとかする、っていう #男性脳優位 なタイプだったのです。.つい最近まで。...しかし、この3〜4年のあいだに、いろんなことが沢山おこり、抗えず、#フラワーエッセンス の 魔女の弟子 になり自分も 魔女 になりました。.魔女改め「#花使い」ってこないだ友だちのひーちゃんがセッション中につけてくれたんですが。.4年前に牛窓に来た #魔女の先生 @manaloamari マリさんは来月から関東に帰ってしまうので、ほんとうに瞬間的でいて永遠の出逢いでした。.マリさんほんとうにありがとう。わたしの人生にこんなに愛で導いてくれた先生は他にいなかった。なぜだか、厳しく導いてくれる人が多かった笑.まだ屋号も名刺もなにもつくってないんだけど、頼まれて友人や家族のセッションをしたり、新しいエッセンスを作ったり、レメディのボトルを調合したりの日々です。.言いたいので魔女っていいましたが、効き目があるのだからしょうがない。.はっきり言って、抗がん剤とか予防注射だらけの医学より、こっちの方が #幸せになれる科学 なんです。.今、医療がまったくいらないわけじゃないし、すばらしい西洋医学のお医者さんもたくさんいるのは知ってるんですが、要はどちらも万能じゃない、ってこと。万能じゃないんですよ。.天上界と、三次元、バランスとっていきましょう。.そもそも開発者のバッチも医学博士だし医療の限界を感じてレメディをつくったわけです。.でもわたしには『魔法』の方が素敵だから科学じゃなくて #魔法 がいいです。.人がその人らしく変化し、本人に戻って行くさまは感動的。.2枚目の写真は ユウソラモモそれぞれの調合ボトル。証太のももちろんあります。.7才までにフラワーエッセンスに出会うとその人生の中で #精神の病 にならない、と言われています。.ときどき、知識の整理を兼ねて、#bachflower を紹介します。.....#flowerremedy #flowerremedies#floweressence #floweressences#てらぞのゆう......




















今までやってきたしごとも

その時その時で、一生懸命、「天職かも?」「適職かも?」

とおもってやっていたのですが



わたしはじつは真面目なので

自分ができないところを鍛えることに

みょうに熱心だったこともあって

そもそも、向いていないことに手をだして

泣くほど泥沼な努力する、

というのを繰り返していたような氣がします。


例えば、営業とか、事務職とか

28~9のころ、リクルートに入社するときなんか

清水の舞台から飛び降りるつもり とは

こんなかんじなのか、とおもっていたのです。



「逆だろ?」と言われるのですが

わたしにとっては

大きな会社の会社員になる、というのは

けっこうな恐怖をかんじることでした。









あ、そういえば

昔、バカラ(クリスタルグラスのブランド)の直営店で

ただの販売員をやっていた時は

毎日ピカピカの美しいグラスやオブジェに囲まれて

1日数組のお客さんと話をするくらいで、たいして忙しくもなく、

暇な時はグラス磨いて、きれいにして立ってればよかったので

向いてるし楽なしごとだなぁ。とおもっていたのですが

いかんせん、これはお給料が安すぎて転職してしまいました。










わたしをフラワーエッセンスの世界に

誘っていってくれた先生というのが

佐藤マリさんという方なのですが

このブログで、ちらっと都会と田舎について語っておられました。


⇩⇩⇩

いのちの水 マナロア マリさんブログ「3次元で生きる」



主にFacebookで活動されていますが、

ブログはまとまった思いが綴ってあって

拝読させてもらっています。




たぶん、マリさんの話というのは

急に読んでも

わかりにくいところもあるとおもうんですよね

キャッチできないひとにはわからない。

でも、だからわたしのような

まだこの世界にタッチしたばかりで

フレッシュなところ、ボーダーに立っているひとが必要になるわけです。


実際、わたしにセッションを頼んでくれるひとも

「マリさんだと恐れ多い」っていうひとが多いのです。

セッション料金も安いしね。

この間口をついてでたのが

「わたしは今、牛窓でいちばんくらいに安い魔女なの」

現在、安売りしてます笑






マリさんは、

フラワーエッセンスに限らず自然療法、

セラピー関連に膨大な知識と経験があり

知識も経験もあるけれど、そこに留まらずに

ずっと経験と勉強を重ねられている方でもあります。


そして、実際に何代も先を見て活動されています。



この方が4年前に牛窓に家族で引っ越して来られて

それから、わたしのフラワーエッセンス歴が始まるのですが

そのころは、勧められてなにかよくわからないままに

飲まされていたというか、試していたようなものでした。




そのマリさんが、わたしの適正を見抜いてくれて

「あなたはフラワーエッセンスを処方するひとになりなさい」

と言ってくれなければ

わたしは、こんなことをやり始めてないですし

彼女がいないと、今やっていることはまったく違うとおもいます。





フラワーエッセンスのことについては

これからもちょくちょく、詳しく書かせていただきますね。




さきほど地震があって、家族も起き出してきたので

今日はここまでにします。





いつもとりとめの無い話を

読んでくださってありがとう。



よい一日をお過ごしください。






てらぞのゆう

..やきものとフラワーレメディ..一緒に納品.けっこう嬉しい。........#寺園証太#shotaterazono#てらぞのゆう#備前焼 #bizen#どんぶり #丼 #器#floweressences#flowerremedies#バッチフラワーレメディ























posted by terra at 08:39| 岡山 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

子どものこと、できることできないこと



こんにちは。


ブログの最初の挨拶は「書いてる時間」でいいんですかね?

今、考えてしまいました。




夕方ちかくの昼過ぎです。





今、わたしは娘がふたり、証太に連れられて

ピアノ〜図書館 へ出かけて行ったので

最初、フラワーエッセンスの勉強(研究?)を始めたのですが

ふと

ブログを書こうとおもいました。






一人になると、焦るのです。





ふだん、あまりにも家族一緒で

多くの時間を過ごしているので

一人で家にいると

「ひとりの時でないとできないことをしないと!」

という氣がしてきて。




ひとりの時でないとできないこと

を考えたら、今はブログを書くことだった

という今です。







結局、子どものことを書こうとおもったんですよね

わたしは書き始めると、最初書こうとおもっていたことと

ぜんぜん違う結末になったりすることが多いので

今日もどうなるかわかりません。

それに、いつも長文になる、という癖がありますが

長文好きな方、よろしくお願いします。









今の、わがやの子どものことです。

困っているわけでも

自慢でもない

現状のはなし。






11才の長女は6才から小学校へ行っていない自宅学習者です。



保育園は3才から行ってましたがずっと嫌いでした。



遊ぶのは好きだったけれども

先生に遊び方や、その時間しなければならないことを

限定されるのが嫌だったのそうです。




保育園に行ってもらっていたのは

親の仕事の事情です。




そのころは窯をつくっていました。

3年かかって。

子どもを見ながらが無理だったんですよね。

親のほうが。






小さな保育園が2年で子どもが少ないため閉園になると

幼稚園に行きました。





幼稚園はわりと好きだったそうです。





さて、小学校ですが

級友にいじめられたわけでも、

朝、お腹がいたくなったわけでもなく




自分で6才の時に5日間だけ学校に普通に行って


「学校は合わないから行かない」


と自分で決定して、それからずっと家にいます。




勉強はテキストをつかって、自分でやっています。

わからない時の先生は親です。







4才の次女には 幼稚園に行きたい! と 言われているけれど

まだ行けていません。





・・・・という家庭環境です。

4人家族が、いまのところずっと一緒に家にいて

仕事したり、家事したり、遊んだりしているわけです。






書き残しておこう、とおもったのは

今、フラワーエッセンスのカードを見ていて

ふと、「この家庭環境はあまり無いんじゃないだろうか」

とおもったのです。



そして、

お話することで


どなたかの役に立ったらいいなとおもいました。




特に、子どもの「不登校」を氣にしたり心配したりして

苦しいおもいをしている人がいたら

(「不登校」とわたしは言いませんが)

こうやって元氣にやってるよ

という人のはなしを、聞いてみてください。










ここから、ちょっと話ははずれて

わたしと車の関係の話をしますね。

はずれているようで、

切実なことなのですが。






わたしが田舎住まいなのに

車の運転ができないので



子ども関係の外出もぜんぶ、

ただでさえ焼物の仕事が忙しい証太が

手をとめてというよりも

毎日の仕事の一環として行かねばなりません。





毎日送って行くとなると

車で10分ほどかかる幼稚園や保育園に1日2回

往復することになります。







ここに来たころ

わたしは、証太がやっている仕事がとても好きなので

できれば自分も車の免許を習得して

彼の仕事を応援したかった。



子どもの送り迎えだって買い物だって、

さいしょ、田舎に移住してきたころは

わたしが担当しようとおもっていたのです。



しかし、何のトラウマなのか

わたしは車の運転席に座るだけで

すごく怖いのです。


手や足がこわばって、普通に動かないのです。

助手席その他、他の席に座るのはだいじょうぶ。

あまり乱暴な運転の人は苦手ですが

あまり飛ばす癖の無い人ならだいたいだいじょうぶです。




結局、免許ことを考えるのが憂鬱なので

車の運転のことは一旦は証太にも諦めてもらった

という過去の経緯があります。




都会に住んでいる時は

いらないから免許をとっていないのだと

自分で思いこんでいたし




田舎に住んでからは

免許は必要だから取りにいかないといけないのだけれど

通うのはたいへんだから子どもが小さいうちは無理だ

と思い込んでいました。






運転したら、自由に自分の動きたいように動けるんだから

免許とりなよ!と

軽く、いろいろな人に言われました。




当たり前ですが、みんな運転できる人です。

証太ももちろん、言っていました。





生きていると

人生の中のいろいろなところで

自分を解放していくことが必要です。




わたしの解放もいろいろなところで

おこっているのですが

この「車の運転ができません」と

証太に伝えた時も、そのひとつでした。



人から必要とされる能力が無いことを

自分で認めることがなかなかできなかったのです。






モモがまだ幼稚園や保育園に行けてないのは

この11年、家族だけで過ごしている間の

フリースタイル感がなじみすぎて

まだ、親の方が

送り迎えの用事をこなす生活にチェンジできないというのが

ほんとうのところだとおもいます。

わたしが運転できたら、また違ったはなしになったかもしれません。




でも、うちの家族は

母親が運転ができないこと

娘が学校へ行かないこと。

に、馴れてしまった。



わたしと証太は

長女が自宅学習者になった時

「子どもが学校へ行かずに家にいる」と

「親の方が実はたいへん」というのを体験しました。




子どもの 好奇心、体力、に一日付き合うと

おとなはたまったものではありません。

仕事どころではないし

家事だって滞ります。




わたしの育児と仕事と家事は

自分で決めたバランスでやっていて

「いつも子どもに機嫌よくいられるほど」

が自分に課した基準です。

だから、なおさらです。




機嫌がいい人でいたい、というのが

わたしの望みです。








もう、証太もわたしも

「子どもが家にいてもだいじょうぶ」な体になっているのです。

やっとこさです。子どもの成長は早いから

たいてい親が追いつきません。



わたしたちは、ちかごろでは

子どもが家にいて盛大に遊んでくれているのは

ぜんぜんかまわない、という親に仕上がっていました。

子どもを見ながら仕事も家事も・・・・

能率はとんでもなく良くないのですが

・・・・できます。







そうしたら、今度は次女は

幼稚園へ行きたいのですって(笑)



うちは、親の主義で

子どもを学校へ行かせていない

のではなく

究極的に子どもの決断に従う、という

教育態度をとっている二人なので

子どもの希望により

自分が変わらなければなりません。









毎日のルーチンって

ほんとに苦手です(私がです)

大学までしっかり留年もせずに

通いましたが、実はとても苦手。



子どものころ、

夏休みの宿題は毎年すぐに終わりましたが


朝のラジオ体操はたまに行けるくらいでした。

そもそも、ハンコ押してもらうのだけじゃ

ぜんぜんモチベーションにならなかった

という理由が大きかったかな?




わたしは、他人にノルマを掲げられても

クリアするために努力することが

どうしてもできないのです。




自分が「これは」とおもった

人、コト、モノ、のためでないと

動けません。





わたしは「学校へ行かない」と言った子どもを

すぐに受容できます。


不安や心配はわたしだってひととおり、しました。

でも、だいじょうぶ。


どちらかというと今から

積極的に学校へ行きたそうな

次女のほうが

わたしたちには難題をもってくるのかもしれません。




でも、それもやっぱり必要な人生のテーマなんだとしたら

楽しんでやっていこうとおもいます。





てらぞのゆう


















posted by terra at 17:32| 岡山 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

【出店】 森、道、市場 2018


愛知県蒲郡市で開かれるフェス

「森、道、市場」をご存知でしょうか。


ご存知なければ、ぜひこちらをご覧ください。





なななんて楽しそうなお祭りでしょうか。




今回、この 森道市場2018 へ 出店いたします。

期間は 5月の11日(金)12日(土) 13日(日)

なにやら、お店は飲食クラフト、あわせて300店舗ほどもあるらしいです。

海のそばの砂浜あり、遊園地を借り切って、その上美味しいお店が目白押し。

楽しいに決まってる設定ですね、これは。



基本的に出店者の一般募集は無くて

声をかけてもらえないと出られないらしいのです。

知ったのが去年で、おーもしろそー!いいなぁ!とおもっていたら

今年、さっそくある友人から声をかけてもらえて

現実化が早いこのごろとはいえ

声に出してもいないのに、うれしかったです。




常滑に焼物やってる友人が住んでいるので(やきものの街です)

そっちの半島には行ったことあるのですが

こっちの半島ははじめてです。



お近くの方、ぜひ遊びに来てください。

備前焼たくさん持っていきますので

触りに来てくださいね。


















posted by terra at 01:00| 岡山 ☀| イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

お金の使いかた



おはようございます。

昨日のブログなんですが。

翌日見直してみたらひどい文章だったのでリライトしました。

何言いたいのかわからなかったですねー!

子どもにじゃまされながら書くとほんとにひどいです^^;








わけあって、今日はお金の話にしてみます。

44歳の子持ちの女のひとつのサンプルです。



わたしは今ほとんど自分のものを

あんまり買わないので

(今使っているMacとか、そういうのは買います)


好きだと言っている

子宮委員長はるちゃんにさえ

お金をなんにもつかってないんですね。

かんがえてみると。


セミナーとか行かないし

商品もなにも買ってない。






前回の話でいうと

patti smith とbjork のCDは、そこそこ追っかけて買いますよ。

ライブのTシャツとかも買います。

そのくらいって言ったらそのくらいです。





冒頭で、「わけあって」って言ったのは

たまたま、この方のブログを読んだからなのです。



「マダムユキさん」



「はるちゃん好きです♡」と言う人たちの中から、
 380人しか実際にお金を払おとする人はいないんですね。
 毎月たったの3000円すら出さないとは、「好き」が軽いなぁ。。。

この事実を前にして私は思いました。
 もしかしたら、はるのファン(信者)も大部分の人たちは私のようなヲチャと同じで、
 ただ彼女を無料のネットコンテンツとして消費しているだけなのかもしれないな、と。
信者とヲチャは楽しみ方は違うけれど、子宮委員長はるの言動や存在を楽しんでいることは一緒です。
信者たちは熱狂し、依存する対象として彼女に群がり、
 私のような者は怖いもの見たさで彼女を中心とした信者たちの輪を外側から眺める。
楽しませてくれているうちは熱視線を送りますが、どうにも私たちは飽きっぽい。
私もはるにはもうすっかり飽きていて、たまにしか観察しなくなっていたように、
 大勢のライトなファンもまた「はるちゃんのことは好きだけど」と言いながら、
 お金を払いたくなるほど夢中になる対象はとっくに他の人へと移っているということかな。
「子宮委員長はる」という存在はこうして消費され、飽きられつつあり、
 じきに終わったコンテンツとして忘れられて行くのでしょう。
今はまだ書店のスピリチュアルコーナーで存在感のある彼女の著書が棚から消える日は、
 そう遠くないのかもしれませんね。





この人の論でいうと、

わたしはファンって言ったらいけないのかな。


わたし、はるちゃん好きですけど

グッズや書籍で買うもの無いんですよね。

さんざんブログ読んで満足しているから本はいらないし

重要なこととして、ピンク色が苦手なのです。

今より幸せになりたい人じゃないから

セミナーとかコンサルが必要なわけじゃない。




無料のコンテンツばっかり消費して

好きだわ〜とか言ってたらあかんかったかな?


と、少し思ってしまいました。





まぁ、日常、仕事に必要なものと

子どもに必要なものと

食品とお酒以外に

他のものもそんなに買わないので

許してほしいところなんですが。








好きです、と言いながら

文章力が無いのか、時間が無いのか

はるちゃんの発信の内容については

ほとんど紹介してないですが

(興味がある人は読めばわかる)

そもそも、

内容がどうのと言うつもりはあまり無くて

こんな人がいるよ!面白いよ!です。




見ているぶんには

桐嶋かれんさんよりも、石田ゆり子さんよりも

面白いですけどね。

かっこつけてなくて赤裸々で。

かれんさん、センス良くて好きですけど(ゆり子さんはあんまり知らない)

べつに文章とか素敵生活が見たいとはおもわない。

キレイキレイな人のかっこいい生活見てて

みんなほんとに面白いのかな?




はるちゃんの場合

美人女優になるような容姿を持って生まれたのでもなく、

patti smith やbjork みたいに特異な

音楽の才能を持って生まれたわけでもなく、



ごくふつうの、しかも水商売をしていた女の子がやっている

自己解放をリアルタイムで公開してくれていたブログですから。

ひとりで身体はって、すごいことだとおもいました。




デトロイトからひとりでスターになるために

ニューヨークに出てきた patti smith。




アイスランドでバンドやっていたのに

自分で自分をプロデュースしていって

世界中のいろんな才能を持った人と一緒に自分を遊んで

あんなになっちゃった、bjork。





でどころは、そんなものですよ。

どんな才能がどんなところで噴出するのか

わからないんですから。






わたしが期待しているのはどちらかというと

はるちゃんのこれからだったりします。




今まではわたしが購入できるサービスが

無かったんですけど

島に移住して、ガーデニング三昧したい、

と言っているので

だんだん面白く成熟していくんじゃないかとおもう。


彼女が、ターシャテューダーさんというおばあさんが素敵、とか

大原に住んでるなんとかさん(ど忘れ)というガーデニングの上手な

イギリス人の女性が好き、とか書いているのを見て

おおー、そうなったか、そうだろそうだろ、と

田舎の豊かさにどっぷりはまっているわたしは思ってしまいましたからね。



あんなことを発信していた女性が

これからどんな風に変わっていくんだろう

という楽しみがあります。

そもそもわたしの歳よりも10歳年下なんです、彼女は。

若ければなにをしてもいいわけじゃないけれど

若いうちにしないとできないことは多いとおもう。




マダムユキさんは、わたしとどっこいの同年代みたいです。

頭いい人みたいで、「子宮系」の人たちのことを

よく調べ上げてばっさりばっさり切っているので

それも読んだら面白かったです。

ちょっと怖いくらいキレキレですけど。






てらぞのゆう











































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posted by terra at 13:53| 岡山 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月31日

結婚


前からなんどか書いているのですが

子宮委員長はるちゃんのブログ、おもしろいですよ。






元旦那さんの岡田哲也さん経由で偶然知ったのですが

ふたりともカウンセラー的な仕事をされていて発見した時は人気でした。

ちょうどそのころ、わたしは百も生まれて幸せ絶頂期だったので

「世の中にこんなに幸せになりたい人たちがいるんだ!」と

そのことに逆にかなりびっくりしました。

あ、なんか傲慢ですかね。

でも、それに関してはまた今度書きます。

わたしはわたしなりに幸せと不幸を感じてきているのです。






面白くてブログを読んでいるだけのファンなのです。

本も持ってないし、なにも商品を購入したこともないので

いただきっぱなしですね。すみません。




実は、自分らしく生きている女性 は、

そもそもみんなこんなマインドで生きている、とおもうのですが

彼女のすごいところは

それを、リアルタイムに赤裸々に、

文字にのこしているところだとおもいます。



特に前半のブログ。

ソープ 嬢をやっている女の子が「自分を幸せにする」過程。







唐突ですが

わたしのとくに好きな女性像をむりやり3つあげると






3,はるちゃん



パティとビョークは年上の外国人でミュージシャンなのですが

ともに、共通しているのは




「パンクスピリット」

「自分らしい女性性の追求」





わたしは女性としてどうやって生きていきたいのかなって

ちょっとわからなくなった時にも、

彼女たちの歌を聴き、姿をみます。

わたしが好きな女性性って

「愛されなんとか」とか「モテなんとか」

とか雑誌の特集みたいな

そういうところに無いので、ロールモデルがないです。

「こうなりたい」っていう女性のスタイルが身近にはなかなかいないのです。

(そもそもみんなそれぞれ自分を生きるしかないんですが)





はるちゃんは日本人で、わたしの10歳年下!

彼女はパンクスだと自分では言ってないですが

この生き方は、パンクでしょう!







そう、今日は

ブログで、彼女が紹介していた方が

またおもしろかったので、のっけます。



谷原由美さん(ヒプノセラピスト)

【結婚したい女子必見】




あの、結婚はですね、

結婚するコツはですね、


結婚したいと決めたら、いつまでにするかを決めて、

この人となら結婚してもいいかなと思ったら、

自分からプロポーズするんですよ、女子のみなさん。


もう一度言いますが、

自分からプロポーズするのです!女子のみなさん!!



男性からのプロポーズなんか待ってても時間が過ぎていくだけです。

そんな時間は無駄です!

男の人なんて、将来とか先のこととか考えていません。

基本的にそんなこと考えない動物なのです。





わー、いいですねえ。

わたしの経験上もこんなもんですよ。

結婚について、なんて書いたことないので

わたしもちょっと書いてみます。





わたしは19歳のころに出会った恋人と10年後に結婚しました。

と、いうと、あまり紆余曲折がなさそうでしょう?

その通りで、恋愛も結婚もしたくなったらした、っていうかんじで

あんまりドラマもありません。


はるちゃんのように、今世の経験からは

話ができないのですが・・・





女友達、男友達のようすを昔からいろいろ見ていておもうことがあります。





「どうしても結婚したい」っていう氣持ちをもっているのは

だいたいは男の人よりも、女の人ですよね。

(じつはわたしは違ったのですが)




「結婚したい〜結婚したい〜」って言っていた男の人もいましたが、

結婚したとたんに4人子どもを成したところをみたら

あれはたぶん「性 欲」だったんだなー



女性の「結婚したい」は 性 欲だけではない かんじしますね。

安心したい欲、子どもを可愛がりたい欲、可愛がられたい欲、とでもいうもの。





結婚したい、と言ってきっちり結婚する女性は

完全に自分主導で、行動して相手を探している友人たちでした。




したい、とおもったことを行動に移して

結婚するからには、まず誰かと出会わないと・・・

いろいろな方法で人と出会っていく過程、

これを経ないと結局結婚できないのです。

間で「けっこう痛い目もみるよ」って教えてくれましたが

それこそが経験の財産、だとわたしはおもいます。





「待ってる」「いい人がいたら」っていう女性は、

そのマインドの間は結婚しないですよ。なかなか。

この時期はじつは

潜在意識では「したくない」んじゃないかとおもう。







だって、だいたいの男性は結婚てそんなにしたくないですものね。

   
   自分の人生が制限される氣がするし・・・・

   責任が重くなる氣がするし・・・・

   結婚式なんて恥ずかしいから嫌だし・・・



実は、わたし自身が     こう思っていたんですよね。

だから、20代のわたしは 結婚したくない女子 だったんです。

そりゃ、珍しかったです。

女性性が開いてなかったのか、結婚観がこじれていたのか。



なので、男子の「結婚したくない」も

ほんとはよーーーーーーくわかります。



いやだよね。

相手を「幸せにしてあげたい」けど

なにしたら幸せになるのかわからないし

恋人といえども、女ってわけわかんないし。

(男と女は違うドウブツですから)




わたしが結婚した理由の内訳はいろいろあるとおもうけど

No.1は

「子どもが産みたくなったから」


それから、、、さみしくなった。一人でがんばるのが。

それから、、、酒のんで、ころんで歯を折ったのが

きっかけになって、ますます憑き物がとれたみたいになって

一氣に「結婚(でも)しよう」っていうことになったのですが。

(自分の中で勝手に)





わたしの相方の証太は

家族がみんなクリスチャンで、幸せな結婚感のもとに

幸せな家庭に育った、幸せ優良児だったので

きょうだいも全員結婚がわりと早かった。


わたしが「結婚しようか」と言えばすぐに「うん!」というのは

わかっていたのですが



うちの場合は、母親が

「結婚なんて女にとって良いことないから早くするもんじゃない」

という考え方をとくとくと語ってくるので

それに子どものころから慣らされているところもあり、

なーんか、結婚したくなかった。



いや、実際そんなカップルもいるんですよ。

男性は結婚したがって、女性は結婚したくない、

というパターンもあるんです! 他にもいるでしょ???

いませんかね?




だから、わたしは、けっこう女友達の動向、男友達の動向を

冷静に見ていました。

うちの場合と逆パターンが世の中多いらしいなぁと。





そして、うちの相方は

なんでこの人は結婚したいって言わないんだろう

っておもっていたのだそうです。あとから聞いたはなし。


「結婚したいって言わない人とは無理に結婚できないよなぁ」って




彼の妹たちや、周りの女の人は

みんな女性が「♀結婚したい!」

と言うからから「♂しょうがないなぁ・・・^^」って次々に結婚しているのに

(ほんとのところ、実際はその方が多いとおもうんですよ)




「♂ うちの相方は、言わないんだなぁ・・・

「♂ やっぱり結婚したくないのかなぁ・・・」



と、おもっていたのだそうです・・・







こんな男の人もいるとおもうんですよ。

(とくに日本人?)





二人とも相手が言い出すのを待って

ダブル待ち受け状態でお見合いしているというコンビ、いませんか?




結婚したいけどプロポーズを待っている女の人って、



自分がしたいのに「〜してほしい」

って、なんかへんじゃないですか???

(まぁ、矛盾しているのが女性ですけど)



エネルギーの方向性が混在していて、スムーズじゃないから、

かなわないんですよね。





就職したい会社には、自分からエントリーするだろうし

行きたい外国に行くためには、自分で旅券をとって準備するだろうし

やりたいことは、自分でみんなやるでしょう?



どうして結婚だけ、待ち受け状態なんでしょうか。



したいことは、自分で口にだして

自分で行動したらいいんじゃないだろうか。

シンプルに。



ちなみに、うちは結婚するときに

最後はわたしが決めました。


「もう結婚しよか」


これだけです。(観念しました・



結局だから、

わたしもプロポーズなどされてないです。

あ、自分からしたのか。



だいいち、付き合い出す時だって

はっきり言葉で言われたりしてないのです。



でも、わたしはそんなことぜんぜんどうでもいいなぁ。

プロポーズの言葉もいらないし、指輪もいらないし、結婚式もいらない。

したくないことはしないし、したかったらしたいけど。




早いもんで、結婚してから

14年くらいたってますけど

今おもうと

結婚しなかったら越えられてなかった

山や谷がいろいろありました。



なにがあってもこの人とずっと一緒にいよう

と、腹を決めるのがわたしにとっての結婚でした。


だから、腹を決めるのに10年かかったわけです。

わたしの場合は。

(重い! 重いんですよ、わたし笑)






しかし、そもそも結婚なんて、自分に都合がよいように

制度をつかうしかないとおもうんです。


「結婚」っていう言葉が一緒なだけで

みんな考えていることはばらばらですから。







それを、ちょっとずつすりあわせていくのが

「生活」「暮らし」だから。



.<br />ソラの作品 <br />10才のときのパステル画。<br />.<br />友だちが欲しいというので<br />結婚祝いに贈ってた。<br />欲しい人がいるとすぐあげるの<br />すごいなーとおもう。<br />.<br />子どもはどんどんつくるので<br />拾い集めて作品を管理するのが<br />ひとしごと。<br />.<br />今日はピアノのミニコンサート。<br />さいきん、モモも習いたがるから<br />どーしよーかね〜 て<br />言ってるとこ。<br />ソラの時は、習いたいっていいだしてから<br />1年以上待ってもらったんだ。<br />大人もいろいろ事情があるので...<br />.<br />.<br />.<br />#homeeducation <br />#homeeducator <br />#絵は描く人に似る<br />#焼物も作る人に似る








てらぞの ゆう













































posted by terra at 14:18| 岡山 | 女と男について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

産後に腰を締めては幸せにならない

たいせつな骨盤の話をします。

もし、出産を控えた方や

これから子どもを考えている方がいらっしゃったら

読んでください。





一人目のソラを産んだあと

助産師さんが毎日通ってきてくれました。

背中や脚を蒸しタオルで温めたあとオイルマッサージをしてくれて

そのあと、腰をくーっとゴムベルトで締めてくれました。

それから産後に「トコちゃんベルト」をすすめてくれました。


「産前よりもスタイルが良くなってほしいですからね」

と、優しく熱心な助産師さんは言ってくれます。


そうすると、お産でひろがっていた骨盤は

するすると元どおりに締まったのです。






マッサージしてもらっている間

「人生の中でこんなに他人に

 大事にしてもらったことがあっただろうか・・・」

と毎回感じるほどに、助産師さんの

真摯なしごとぶりと、愛をかんじました。







しかし

なにやら私の身体がへんなのです。

実家で母がつくってくれたごはんを食べるとき

手に持っているご飯茶碗や味噌汁椀を

毎日のように手からすべりおとしてしまう。

自分の身体がコントロールできない。




子どもが生まれて、すごく幸せな氣持ちのはずなのに

胸のあたりがもやもやと寂しく悲しく

涙がぱたぱたと、あとからあとからでてくる。




自分の心と身体と頭の感じかたのズレが

氣持ちがわるいのです。



生まれてきたばかりの子どもは

無条件にかわいくて

見ているだけでどきどきするくらい

幸せをかんじているのに、




胸の中を風が吹き抜けているかのように

心が虚しいのです。




これはもしかして

「産後ウツ」っていうものなんだろうか?

さすがにわたしも疑いました。



果ては、実家で母と喧嘩にもなり

証太とは電話で喧嘩になり



わたしは子どもの顔を見ながら

毎日のように泣いていました。

ぜんぜん泣きたくないのに、胸が苦しいのです。




その後、

岡山へ子どもと一緒に帰ってきました。

相変わらず

子どもはめいいっぱい可愛いし

子どもの世話は眠いけれど苦になりません。


ただ、虚しい心のうちは変わりません。





その後、しばらく、お産の本を読んだり

いろいろな方のブログを読んだりしているうちに

わたしのこの不調は

「産後に骨盤をしめたためだ」

ということに氣がつきました。






骨盤のことについて

このホナミ先生のブログはとても勉強になります。


名古屋サロンHONAMI 骨盤リセットボディメイク

「トコちゃんベルトのホント。」







お産をするのは、生死の境目にたつようなことですね。

「もしかするとこれで死ぬのかもしれない」

そんなことを全くおもわずに

お産を迎える人も少ないのではないでしょうか。




その象徴ともいえるのが骨盤です。

今まで、そんなことは一度もなかったことなのに

子どもの誕生でいきなり骨盤がぐわっと開きます。



出産以外で、そんなことがあったら

人は死んでしまうとおもいます。



ただ、お産の時には、それが可能です。



わたしは、こうおもいます。

骨盤ががばっと開いた時

女の人は、一度死んで生まれ直すのだと。




母になると、がらっと変化する人がほとんどです。

自分で今までの自分を忘れてしまうほどに。



これは、脳科学者によると

出産によるホルモン分泌で脳が変化するため

らしいです。



骨盤のことを考えると

開いてしまったというのは

「あの世」へ行ってしまった状態なわけです。



お産という、命がけの行為を行って

あの世から子どもと一緒に

「この世」へ戻ってきます。



出産して幸せなのは

子どもの顔を見ているだけで

ホルモンが放出している状態です。

このホルモンのおかげで

お産の痛みにも耐えられるし

産後に子どもの世話もできるのです。




この状態を、なるべく長く続ける

そして、ソフトにグランディングしていくのが

「産後ウツ」を感じずにすむ方法です。



そのためには

「骨盤は無理矢理しめてはいけない」のです。








7年後に、もういちど出産したわたしは

今度は骨盤をなにも触らず

起きるのもトイレに行くくらいで

骨盤が自然に元の位置までもどるまで

布団に寝て、子どもの顔をみながら過ごしました。



そうすると、今度は

幸せすぎる、という状態を経験しました。



子どもが生まれてからずっと

布団の上にいるだけなのに

部屋の景色が

キラキラキラキラ 光っているように見えるのです。



今度は、ひとり布団の上で

100%幸せの涙を流しました。


IMG_1021.jpg




























あの時は、もう言葉ではなくて

ああ、女として人として、最高に幸せだ

女でよかった、人間でよかった。

子ども、かわいい。

証太、ありがとう、空、ありがとう。

生まれてきてくれた赤ちゃん(名前がまだなかったので)

ありがとう。

世界ありがとう。お父さんお母さんありがとう。



そんなかんじの光、キラキラした想いが

わたしの心の中を満たしてくれるのです。

あんな幸せは生きている間に

もういちど味わえるかどうかわかりません。

至上の体験でした。宗教体験のようなものかもしれない。










二度の出産でわたしは、

おもいもかけず

骨盤をどうすると自分がどうなるのか?という

実験をしていたのです。



わたしの経験からの結論は

やはり、骨盤は締めないほうが、いいんじゃないでしょうか?

ということです。





きっと

すすんで産後ウツになりたい人なんて

いないとおもうのです。



骨盤はしっかり寝ていたら

そのままゆっくり放っておいても

ちゃんと元の位置まで戻りましたよ。




IMG_1544.jpg
























posted by terra at 01:37| 岡山 | こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする