2017年05月11日

男が料理し、女が食べる家、寺園家。わたしがなぜ料理をしなくなったか。


今日はなんだか朝から頭がぼんやりするし

朝、モモにねだられて散歩に行ったあと

疲れて昼寝したのです。



向田邦子さんはエッセイで

なにをやっても中途半端で上手くいかない日は

角の崩れた豆腐をおもいだす、と言っていたなぁ。

今日なんかそういう日だったみたいです。



ともだちまで「調子がわるいの〜」と言って家に来ました。

満月の前日だからかもしれないよね。









今、うちがどういう時季かというと

相方はずっと窯詰めまで、びっちりと朝から晩まで制作中です。




初窯出してからもう7回目だったかな。窯焚き。

いつもこのかんじになる。

細いトンネルに自らはまっていくみたいに

もう、ぺったりと家にいて、ずーーーっと忙しい。





相方の偉いところは

その中で、今、家族のご飯を毎日作ってくれているところです。




しかも三食ぜんぶ。
(子どもの調子によって二食の日もあり)







わたし、証太がご飯を担当してくれるようになってから

ほんとうに心が軽くなりました。





子どもが生まれてからは

基本的にはわたしが家事担当になってたんだけど

実は料理は負担だったんだよね。



子どもが生まれる前までは好きだったんだけど、料理。




きっかけはモモがお腹にきてのツワリのころから

なんだかご飯が作れなくなってしまった。

むりやりつくると、美味しくないものができてしまう。



それまでは、なにかとありあわせでも

美味しいものがさっさと作れていたのですよ。

うちはやたらお客さんが多い家で

ともだちに、「いっつも台所にいるね〜!」と言われるほどに

ごはんやお菓子ばかり

作ってばっかりいたようなかんじ。

もともと甘いものが特別好きじゃないのに

市に出店するほどお菓子つくっていたから

わたしはほんとに自分が好きなことじゃないことに時間つかうのが

好きなんだなーって(苦笑)自分でへんな感心してしまうのだ。




それからモモが生まれて、

産後のお世話を証太がずっとしてくれて。

3ヶ月くらいは上げ膳据え膳をやってもらって天国みたいだった。




で、産後3年だけど、もうそれ以前には戻らなくなった。

証太はわたしのお世話をする前は

「家事なんてできるよ〜じぶんにも」っておもっていただろうから

実は自宅出産する目的の一つは

相方が、とことん家事に疲れるまで

一度やり続けてもらいたかった。

わたしは家族を養うために外で稼ぐ、とかやったことあるんだから

あなたも家族のための家事をやり続けて

「もう今日の晩御飯がおもいつかない」とかいう状態を体験してほしかった。

誰かにわたしのお世話を任せて自分は仕事に、というふうに

逃げをうってほしくなかった。

わたしたちのパートナーシップはそこ。対等、というのがほんとうに基本。





それで、やってもらったんだけど

ありがたく、このとおりに

最初は張り切って料理も洗濯も掃除もしていた人が

2ヶ月もたつと「もう晩御飯おもいつかない・・・」ってなってくれた!ありがとう!

おかげで、今、「3食ご飯作るだけだったら、できるわ」っていう時が来たわけだ。





産後は、回復するごとに

だんだんわたしも料理ができるようになるだろう、と少しはおもっていたのだが

(証太もそうおもっていたとおもう)

わたしの場合、なんだかもう台所に興味が出なくなった。



産後に、いろいろな自分の内面のことがガラッと変わるのは

ソラの時にも体験していたので



今度はどう変わるのだろう・・・?




って楽しみにしていた部分もあるのだけど

まさかの展開だった。





女が料理をしないといかんのではないか?? と

自分でも深いところでおもっていたんだろうね。

そこを手放してしまうなんて、いいのか〜?

そんなのアリなのか〜? って、いう恐れみたいなのを感じていたのだろうなー。





でもね、おもいだしてみると

わたし、ハタチのころから、常に、ずーーーっと

男の人の好みを聞かれたら

「とにかく料理が上手な人(ベテラン主婦レベルで)」

って、答えていたのです。



きのう書いた日記には

「大企業のサラリーマンじゃない人」

という希望も書いていたな。なんだこりゃ。




ということは

20年以上前から希望してたのです。

それが、形になったという単純な話。





昔から、男の人に手作りの料理を作ったり

お菓子作ったりするのが、苦手なのです。興味がわかない。

逆に、作ってもらうとすごく嬉しいのです。







ともだちにこの話をすると

「えーー、ゆうちゃん変わってる!」

って、よく言われました。

10代のころから女の子って、クッキーとかケーキとかつくって

男の子や、ともだちにプレゼントするの好きな人、多いよね。

わたしももらったことある。







でも、ほんとに、たまたま男友だちに(なにげなく)

「ゆうちゃんの料理も食べたいなぁ」と言われた時に

身体中が ゾワゾワゾワ〜っとしたので

ああ、これは本心だ、と自分で納得しました。



なにの影響なのかわからんけど

お父さんがやきものの作家で

お母さんが、料理上手でお菓子なんかも手作りして・・・

っていうのが

なんか多くの人がいいなーっておもうファンタジーだったり(?)

なんとなく、みんなそういう目で見てくるん(氣がするん)ですよ。



わたしも、そりゃそうできたら見た目なんだか良さそうかもしれないけど

なんかそれわたしじゃないなーっておもうわけです。ははは。








そもそも、肝心なのは、うちのパートナーシップの場合

わたしが料理ばっかりやっていても

うちの家事は氣持ちよくまわっていかないのです。

家事は料理だけじゃないものね。

料理って1日に3回とか真面目につくっていたら

ほとんど1日仕事です。ほかのことあんまりできない。





証太は、わたしの20年前からの

予言かまじないかを体現するかのように

料理はなにを作ってもすごーく美味しいのですが

洗濯、掃除、庭仕事、その他諸々、は、面白くないみたい。








わたしはけっこうバランスの人なんで

証太が洗濯得意だったら、洗濯やってもらっただろうし

(ところで、ふとしたことで知ったのですが
 小野哲平 早川ユミさんのコンビは 哲平さんが洗濯、だそうですよ!)

掃除好きだったらそれをお願いしたんだろうけれど

そうじゃなかったんですよね。




わたしと相方の組み合わせだから、こうなった、というのが実態です。







庭仕事なんて

前に来てた手伝いの男の子も一緒になって

わたしが庭に植えていた

ライムの木、花梨の木、金柑の木、みかんの木、柚子の木、

を、ばさーーーっと 草刈り機で やっちゃってて





ほんとに、なにを考えてんだ〜〜〜?! って

毎回、怒ってんですけど

これ、ただ庭仕事に興味が無いってことなんですよね


わたしが、興味ない時に料理しても美味しいものができないように、

興味がない木は、刈っちゃう。




草刈り機を動かしている時

特に男性はゲームやってる脳みたいになっているようです。


草をとにかくばさー ばさー、って右に左に刈っていくのが

楽しくなっているらしい。


小さい庭木のことなんか気にしちゃいないんです。


(氣にできる男の人もたくさんいるとおもいますけどね)



わたしがする庭の草刈りは

スミレ、ユリ、オオバコ、タイム、オレガノ、カモミール、ユキノシタ、ウツボグサ、などの

庭に住んでほしい草花を避けながら刈るのでとても遅いのだけど

おかげで10年もたつと、植えなくても一年中いろんな花が咲いてくれるようになるのです。




子どもでも大人でも

持っている才能を活かして適材適所

というのがいいなー。



.<br />庭のバジルが大きくなってて嬉しかった.<br />.<br />#トマトスパゲティ<br />#shotaterazono<br />#備前焼<br />#bizen






















相方に作ってもらうと、嬉しくて美味しいのです・・・





ああ、わたし、今でもコーヒーを淹れるのは好きです。




















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2016年04月08日

愚痴とノロケと

先日の日記には

わたしは女子会が好きではない

女の人とのおしゃべりも苦手

と書いたのだけど

ちょっと補足しておかなきゃならない。


話ししてて楽しい女友達はたくさんいるのです。

歳をとるごとにそういう女友達との会話の良さを感じてもいるし。



なんだろ、当たり前だけど

自分を満たしてる人と話すと男だろうが女だろうが

楽しいよね。




面白くないな〜とおもうのは

本音を言わない人と一緒にいる時だよな。

同じ人と話していても

「あ 今こいつ、本音で話してるな〜」と気づくと

ちゃんと気を入れて聞こう、とおもう。




何がいちばん聞きたくないかというと

やっぱり


旦那の愚痴(嫁の愚痴)

The・時間の無駄。


わたしは
ノロケなら聞く。けっこう喜んで聞くとおもう。

ノロケで返すこともする。



問題なのは


愚痴のふりをしたノロケ


ほんとに聞かされるのが嫌。迷惑。




ノロケるなら、ちゃんと惚気てほしい。
(ノロケってこんな字だったのか・・・)



愚痴は 相方 に 直接 言ったらいい。




愚痴っている間は

自分が癒されてないということだからさ

問題は自分だとおもうよ。









そういえば、今朝起きて

モモにご飯食べさせてたら

昔のショータのいやーな一言が思い出されて

起きたばっかりの彼に向かって

怒るっていうか

おもいっきりクドクド愚痴を言っていた。



こういう感情って

決して無くならないから

本来すぐに言ったらいいんだけど

ちょっと我慢して蓋してたら

へんな時にへんなところから出てくるんだよな〜




ソラが生まれたころのわたし

ショータと一緒にうちの実家で家出産までしたのに

まだまだ気を使って言えてなかったんだよね。



でもって、出産と子供と一緒に暮らすことが

我々の大きな学びだからさ。

これも学んだことのひとつだよ。

「パートナーに、気を使わない」



まぁ、もともとショータは

器が広くて、心が優しくて

ほんとにいい男なんだけど(←ノロケ)



あのころは彼もまだ「弟子」から上がってすぐだったし

そっから「男」になるには

わたしがもっとビシビシやらないといけなかったのだが

わたし自身がそうやって自分を出さずにいたから

産後もやや鬱になったし


 ※ 助産師さんが出産の翌日

 骨盤を矯正的に締めちゃったのも鬱の原因。

 (助産師さんにしてみたら奉仕の心でやってくれたのだ・・・
  熱心でいい助産師さんだったんだよ)

 これ、誰かに役に立つ話だとおもうので

 今度まとめを書きます。

 ソラの時と、モモの時で、

 自分で人体実験したので

 わたしはよーく分かりました。

 産後に骨盤は強制的に矯正したら

 とにかくよくないという話。




男を鍛えるのはと、仕事





それで、女の話し聞くのは男の義務だから!

女と暮らしたい、結婚したいとおもったら

男は愚痴を聞く気でいないと。

耳を塞いだり、逃げたり、家に帰らなかったりする

男の人、多いよね〜

鍛えられる機会を逸してる。

成長しないもん。





男どうしで連んで遊ぶのはいいけれど

仕事に逃げるのもよくある手だけど

それだけじゃ男は上がりませんよ、ほんと。




女も、女同士の愚痴の言い合いってのは

男が仕事に逃げるよーなもんだっていうのを

直視したらいいんじゃないかい。





今ではショータも

そんな日常にすっかり慣れて

ごめんね〜って素直に謝るので

(そしてハグハグする)←ノロケ


またひとつ、わたしのトラウマ的な

怒りのマグマが癒されるのです。

はぁ、よかった。

今回はほんとうに氷解した。




あたし、悲しかった!

寂しかった!優しくして欲しかったのに!

という気持ちを表すことが必要なんだろね。

愚痴をいうにも。

あとで、赦しあってハグハグできるように

怒れたら、いいんでないか。

ほんとは愛し合いたいわけだから。

( ↑ 自分に言ってる)








「いつの話ししてんだよ!」とか

言うような男はいらないなぁ・・・







女が本音を腹から出すほどに

男は、より、いい男になるんだよ〜























posted by terra at 01:19| 岡山 ☔| 女と男について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

がんばらなくてもいいんだよ

うちにはいろいろな人が
訪れては話して行くんだけど

女友達と話してて
いちばん口からでちゃう言葉が

「がんばらなくていいんだよ」なんだよね。

がんばりすぎなんだよ。
特に女の人。




結婚する前には
楽しそうに生きていた女の人たちが

結婚してこどもができると
とたんにむちゃくちゃがんばり出して
旦那の顔色ばっかり見だしたりする。

自分がそういうのが好きで
自然と体が動いてやっちゃうならいいんだけど
実はけっこう無理してるなーとおもう。



わたしは自分が気がつかないうちに
そうなってたから
あとから考えて
わかるだけなんだけど。







わたしたちの世代(今の40代)の女子たちは
男女雇用機会均等法なんかできちゃって

社会では女子は男子と同じように
はたらくのがヨシとなってたよね。

大学卒業して主婦になる選択なんて
わたしたちの周りにはとりあえず無かった。


今思えば実に
都合のよい労働力にされてたんだけどね。

男とおなじように働けーって、言ったり
人口へってるから子供産めーって言ったり

どーせいっちゅうんじゃい・・・




男より体力ない上に
男にない生理があるのに
それで男と同じように働くって・・・

でも、そもそも男がつくった会社で
男の働き方で、働いてたなぁ。

わたしはともかく
同僚の女子たちは
よーく働いてたよ
文句も言わずっていうのじゃないけどね
結婚してからの旦那の愚痴とおなじように
仕事や上司の愚痴をガソリンにして
よく働いてた。





でも、そこに生活なんて、ないよねー








わたしは昔から
女子会とか、ママ友とか、
言葉自体があまり好きじゃないんですよ。

ずっと共学好きっていうか
男女も年齢もぜんぶ入り混じった
ばらばらが好き。
カオス好き。

男子ばっかり群れてるの見ても
軍隊みたいに見えるし
そうじゃなきゃ
猿山みたいに見えるし

女子ばっかりっていうのも
やっぱりなんだか不自然に
見えちゃうんだよね。







白洲正子さんがエッセイで

奥さんたちは
女同士でたくさん話をしあって
旦那の愚痴を言い合って
相談しあって
「がんばってるよね〜」
「あなたもがんばってるよ〜」って
言い合って機嫌なおして
旦那と子供のご飯つくりに家に帰るのだ
それでうまくやっているのだ

というようなことを書いていらっしゃったけど


女の人ってほんとにこういうのが
日常的なセラピーになってる人が多いんですよ。
それで、なんとかやっていけてるの。




ところが、わたしは女の友達に
相談なんかできないわけだ。
そんなことを相談できる人がいなかった。

(ひとり、いました。ショータの母上!)


わたしの一番の友達は
昔から常に
相方のショータだったんだから。

仲が悪くなっても
それ以上の人は
いないわけですよ。

だから仲悪くなった時は
辛かったのです。
仲悪くなったって言っても
わたしが勝手に好きじゃなくなっただけで
相手はぜんぜん変わらないわけだ。

よく言われるように
こっちは出産して
ホルモンがどばーっとでてて
あっという間に違う人になってるのに
旦那が変わらないから
ダメになってるだけで、
最初っからダメなら結婚なんかしないしね。

旦那(好きな人)の愚痴なんか
人に言いたくないわけ。

話を聞かせるなら
まず、相方しかいないわけです。
仲悪くなっても
もっとも仲が良い人なんですよ。



うちの場合
サドンデスの話し合い
(大げんか)しか、方法がなかった。

結果、良かったけどね。

いちばん近道だったとおもう。



女友達と愚痴を言い合う女の人は

旦那と別れたいという気持ちが固まっている人以外は

ほんとうは旦那さんと仲良くしたいというのが

望みでしょ?ちがうのかな?

それなら別れたらいいとおもう。




仲良くしたかったら、自分の労力を

女友達との愚痴の言い合いにつかうより

旦那に直接向けるのがいいとおもう。

時間にも体力にも限りがあるからね。



女同士で話しあっても

そんなのぜんぜん解決しないよね。

人間関係は

技術じゃなくて

どれだけ「自分」がほんとうに

おもっていることを相手に伝えるかじゃない。


わたしの場合

わたしと相方とは

おんなじ学校を出て

上も下もないフラットな関係をつくっていたのに

どうして子供が生まれたとたんに

わたしばっかりじっとしていないといけないのだ〜という

わたしの中の憤りを

そのままの形でそっくりぶつけました。

超直球で。






今のわたしは

そんな大げんか

=ただのわたしの暴言吐きの時間、

を経て

自分の嫌いなことはしなくなったのだ。

家事だってしたくなきゃしない。

家事にやりがいを求めない。

もともと、そういう人じゃないのだ。


「婦人の友」とか足でけとばす人なんだ。




わたしの中の理想的な母親だったり

理想的な家の中の状況だったり

そういうことを、求めていた

脳の中の意識を

ちょっと変えた。

変えたというより

元に戻した





好きなことは時間も効率も関係なくやる。

それだけが自分へのセラピーになる。

わからなくなってるんだ

自分の好きなことが。








結局、家事自体が嫌いなわけじゃ無かった。

家事は、家事だとおもうから嫌なんだ。
嫌なのは
自分の偏見からくるものなのだ。

女がやらんといかんという
決まり切ったかんじがほんとに嫌だった。



遊びだ、遊び。全部あそび。

靴下の繕いにはまって
そればっかりやってたこともあるし

山菜採りに行って
それを食べることばかりやってたこともある。

天気がよくて
洗濯したい日は
洗濯ばっかりしてるし

40代になってから
庭をいじるのが好きになってきたし


とにかく、わたしは
自分の子供が好き。

世界中の人がそうだとおもってるけど
づくづく自分の子供ほど
見ていて面白いものはないね〜とおもってる。

だから、ソラともモモとも
たっぷり時間を一緒に過ごしたいし
その間は家事だって仕事だって
ほったらかしたい。


なんだかね〜
自分の意識が中途半端な時は

うちに来る人に
素敵なおうちだね〜とか
そういうことを言われると

それさえプレッシャーに感じていたこともある。
お客さん来るなら
掃除して、料理して、お菓子つくんなきゃいかん
・・・ような圧迫感を勝手に感じていたこともある。




今は、うちは人が来るって言って来ても

掃除とかわざわざしない。

とっちらかってる時もあるし

たまたま掃除の後できれいになってる時もある。

ケーキ焼いたばっかりだったり

意味なくご馳走だったりするときもあれば

なにもない上に

わたしは生理痛で寝てる時もある。




商売もしてるし来客が多いから

それに合わせて暮らしてたら

自分が大変になる。



今はうちの家族が

いろんな状態で暮らしているところに

人がたまたま来るわけだ。






自分たちの周りの友人たちは

まー、すごいがんばってる人が多いんだよね。



今どき、子沢山も多い。

畑やったり田んぼやったり、

保存食いっぱいつくったり。

そしたら旦那さんも忙しいけど

奥さんたちはもう、毎日座る暇もないほど

働く人が多いのだ。


わたしが

「わたしはほんと
 悪妻だよ〜。なにもしないし〜」

とか言うと

みんな良い人だから

「そんなことないよ〜
 たくさんお菓子つくったりして
 働いてるじゃ〜ん!」

言ってくれたりするんだけど
べつに慰めてほしいわけじゃなくて

ほんとはみんな「悪妻」になったら

楽なのに〜っておもってただけなのね。


今は、そんな自分のことを
悪妻だとはおもってないよ。

どっちかというと楽妻だよね。



そしたら
相方にも子供にも
機嫌のいい時が多くなって
よかったなぁという話です。




いい妻とかいい母とかじゃなくて
機嫌のいい人、を念頭において
自分をいたわってあげたらいいんじゃないかな〜

と、昔の自分に言ってあげたいわ。







IMG_7557.JPG










赤ちゃんみたいに生きれたらいいんだよなぁと
いつも思う














posted by terra at 16:29| 岡山 ☁| 女と男について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

料理のできる男がいいわけ



わたしはなぜだか若いころから

「料理ができる男の人が好き」

と公言していました。




なぜだか、と言いましたが

とりあえずの、なぜだか? ははっきり分かっています。

単純に父親が、

ぜんぜん料理できない人だったから。


(ついでに周りにもぜんぜんできる男はいなかった)




そして、

母親がそれを増長させながら

次の瞬間には、同じ件で愚痴を言うのを

見ていて、

これは女って救われないわ、、、と、

子供心にずっとおもっていたのです。



うちの親は

一般的に、というのか

いい親なんで

わたしとあわないところはそりゃあるけど

とにかく善人だし。

今となっては文句言ったら

バチあたるってかんじなんですけどね。





皆、誰でも最初の人生勉強は親からではないかなぁ。

もしも

お父さんが料理上手だったら・・・

お母さんが男に対して手ほどき上手だったら・・・



わたしはそれは世の中のあたり前のことなんだなぁ〜って

対してなにも感じずにスルーしていただろう。



手をあげられたこともあったし

わたしの個性を尊重するよりは

世間体が気になるたちだった。

だから、反抗したよね。

そういうやり方で

教えてくれていたのだ。と、

今は思えます。





我が家は転勤族だったので

親戚や友人のコミュニティーが無いところばかりを

子供時代、転々とした。




孤独に子育てしている親は

子供の締め付けが厳しくなる。

うちの親は

まわりに信頼できる関係の人たちがいないので

子供を常に自分の目の届くところに

置いておきたがるようになった。


わたしは自由にやりたかったし

学校の勉強の本じゃなくて違う本が読みたかった。



大人は大人で

大変かもしれないけれど

子供は子供で

コミュニティーのない家庭の中だけで育つと

経験値が不足しているなぁって

自分でおもって

普通の大人がみると

不良になったなー?という行動をしだすのだよね。




近所に、不良で優しい暇なおじさんとか

面白いおばさんとか、いたらいいんだけどね。



私たちがいた「社宅」っていう場所は

そういう変な人、素性の分からない人は

普段は誰一人歩いていないのです。



今思い出すと

宇宙につくった

人口の基地みたいなかんじもしてくる。





わたしたちの親は、

初めての「核家族」世代だけれども

「孤独な子育て」も初めての世代だったのだ。

自分たちは大家族で育っているのだから。

きっと、初めてのことで

なにも確信がもてないままに

働いて子育てしていただろう。




社宅って

集団でいろんな家族がごっそり住んでいて

お父さんがみんな同じ会社って

考えてみると

ちょっとグロテスクじゃないですか?





私たちのいた社宅は

そりゃひどいの。

人権無視。というか

人権は会社ルール。



A社宅 B社宅、C社宅 ってあって

Aの社宅は「部長職以上」
Bの社宅は「課長職」
Cの社宅は「平・係長クラス」

って、はっきりしてるの。



そのABCは、丘の上に建ってるから

子供はいつも学校の帰り

坂道だらけできつい。


なのに

丘の下にある

同じ会社の社宅(高卒の人専用!)

の親たちは子供たちに

「あの丘の上の社宅に入れるように勉強するのよ」

とはっぱをかけていたという・・・

これはもちろん装飾なしの実話なんだけど

自分で思い出しながら

やっぱりSFかと思ってしまう。


わたしはあそこに住むのは

ぜったいにもういや。

コンクリートで固まった

軍艦島のミニサイズみたいな住宅街。

ぜんぶ一緒。間取りも一緒。




⭐︎

⭐︎

⭐︎




親の心配をよそに

私たち兄弟は

引っ越しが楽しかった。


転勤っていうのは

何年かおきにやってくる

長い旅行みたいなもの

というのが、子供のころは体に染み付いていた。

その土地と別れる時に泣いたのは

最初の時だけ。






⭐︎





おとうさんたちは

たまに

お酒を飲んだ後

うちに流れてくることがあった。



席にもつかず

ずっとおつまみをつくっている母親

夜、皿洗いさせられている10才の私。

おじさんたちは

がはがは言いながら

顔を真っ赤にして

タバコを吸い

飲んだり、歌ったり、

かと思えば大声でキーセン旅行の話。

人の家に来てるというより

完全に飲み屋にしてるんよね。



⭐︎




それでね、わたしは


大人になったら

酒は飲む、タバコも吸う。

それで、男と一緒に飲む。

ご飯はつくらん。

料理ができる男がいい。




・・・ということになったわけです。






⭐︎


同じ幼少期でも

そのまま皿を洗って

ますますお料理上手になって

サラリーマンの家に嫁いで

やりくり上手・・・

という人生の女子もいるでしょう。





でも、わたしはそれでは

幸せをかんじられなかったのだなぁ。





















posted by terra at 23:23| 岡山 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 女と男について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする