2017年07月01日

豪雨が残していったもの


先日は牛窓でも、ずいぶんな豪雨でした。

なにかをまるごと洗い流すような雨。



家の屋根を打つ雨音を聞きながら眠るのは

好きな時間なのですが

今回はそうもいっておられないようなことがありました。



証太の登り窯の中に水が流れ込んで

窯の中で乾かして保管していた大皿が

6枚もとけてしまったのです。



そもそも

証太は、ひと月ほど前に

窯の煙突をつくった時以来のぎっくり腰をやりました。



それで、窯焚きの時期を延ばして

8月20日からの予定にしました。
(もともと6月の予定)


せっかく延ばしたのだから

いろいろと作品づくりを充実させて

たくさん新しいのを

作っていたんです。




腰痛を押して

時間をかけてつくった大皿が

あっという間に粘土に戻ってしまいました。







そもそも、窯をつくった時に焚き口の

位置が低くなってしまったのが問題なのですが

10年前のことをとやかくいってもはじまりません。



最初に友人の手作りの登り窯の窯焚きを見て

備前焼に惹かれた証太ですから

窯を自分でつくることは必然だったのです。




10年前、ブログってなんやろ?とかおもいながらも

とりあえず記録していたころ。




ほんと、よくがんばってるなぁ。



最近になって

「自分はけっこうコツコツ型なのかもしれない」

とか言い出した証太のことが

わたしは面白くてしょうがない。

なんてことに、今更氣がつくんだ??

手相を見た人に

「鉄の意志をもっている」とか言われていたじゃないか。

その時も「どこにその意志は行っているんだろう・・・」とつぶやいていたけれど。


しかし、そんなところを尊敬している

もっとも大切な友人でもある相方です。





私の方は、第一子ソラが生まれて、初めての子育てに

かかりきりになっていたころ。

窯を作っていた前半のころは

少し離れたところの長屋で暮らしていたので

私は私で、別の物語があります。





窯、こんな風につくっていたんだなぁ・・・

ぜんぜん手伝いできなかったから

記録が残っているのが今になってみて嬉しいです。



豪雨対策は今までもいろいろやっていて

窯屋根のまわりにレンガを積んだり

水抜きの溝を切ったり、ためしていたのですが

今回の豪雨は雨量も多いし、時間も長くて

たくさんの雨が窯の中に流れ込んでしまいました。




証太は「もっと良いのつくれってことだ」と

自分を励ましています。

もともとけっこう楽観的なんですよね。

でもがっかり感は当たり前にあって

なぐさめるくらいしかできませんが。



2016-5-31<br />日常まであと2日<br />年々早く感じる<br />窯焚きの日々



はやく窯焚きたいなー























posted by terra at 17:51 | TrackBack(0) | 焼物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

薪ストーブ

こんばんは
今日はとっても寒いです。


うちの暖房は
鋳物の薪ストーブひとつ。

2階建なので
家全部というわけにはいかないけれど
1階部分はこれで全部暖まっています。
非常に助かります。


家を建てた時にはまだ薪ストーブは
つけていなくて
建ててから3〜4年経ってから
やっとこさ鋳物ストーブを
友達のお父さんのお店で購入。



ここ⇩⇩⇩


冬の寒さを体験した後は
やはり、田舎生活に
薪ストーブは必要だ、ということになったのだよ。


それまでは灯油ストーブを使っていたのだけど
とくに夜になって寒くなると
まったくカロリーが足りないの。

朝市で出すお菓子を夜中に作っていたころは
灯油ストーブをすぐ傍に置いて震えながらやっていた。


薪ストーブはほんとうにいい。

この暖かさと
木の香りと
窓から見える炎


薪ストーブを使い出した年には
家族が一人増えたようなかんじ。
あったかい家族。
寒くなったら薪をどんどん食わせる。



そのころまだ3〜4歳だったソラも
すぐにストーブに慣れて
証太に教えてもらって
火も一から上手に起こせるようになっていた。


子どものころから火をおこせるなんて
かっこいい・・・




薪ストーブを使うには
木を買っていては
ラチがあかないので

まず木を見つけて
拾ってくる、もしくは貰ってくる
そしてそれをいい長さにして割る、
といった仕事が必要。


うちの場合
証太がこれをばっちりやってくれるので
ありがたく、楽しく、
薪くべだけ
やらせてもらう。


薪を準備するのには
斧だのチェーンソーだのが
欠かせない。


でも、わたしはチェーンソーや
草刈機といったモーターがついてて
歯が回ってる機械類が苦手。

高校生の時に
早朝アルバイトしていた近所のパン屋で
食パンを切る時に
すこーし指を切ってしまったことが
あります。
あの、回転する丸い歯です。

最近の食パンを切る機械は
指を切らないようにガードがついているみたいなのですが
そのころはガードは無くて剥き出しでした。

なので(?)その店では代々バイトの人は
だいたい1度は指を切っていて
わたしの時は、まぁ絆創膏レベルだったけれど
ひどいひとは、けっこうやっちゃってたらしい。


すこーし切っただけだったのに
血がたくさん出て
わたしは血を見て倒れるようなことは無いのだけど
いやまぁ、ぞっとしました。

それで刃物が苦手になったわけではないのですが。


幸い、証太は
薪しごとは好きな分野でもあるようで
薪運び の時以外は
特にわたしに手伝って欲しいとは言わないのです。

それから、話を聞いてみると薪割りは
男子のしごとの中で
楽しいことの方に入るらしいんですよね
証太の場合ですが。



だから、寒い中、手伝えなくて
悪いなーって思っていたわたしは
取り越し苦労でしたね(w


手伝えなくて、というよりは
お役にたてなくてゴメンね、ってかんじですけどね。












三宅洋平くんの三宅商店に
うちのカップを取り扱ってもらいだしてから
1ヶ月ちょっとですが
嬉しいことにでたくさんの方に
購入していただいているようです。


さいしょは三宅商店で焼きものまで売れるのかなぁ?って
おもってました。







備前焼は釉薬をかけずに焼く
焼きしめ、という陶器です。

氣体はすこし通すけれど
水は漏らない、というのが
本来なのですが

前回の窯の作品の中で、カップに
3日間水を入れっぱなしにしていたら
ついにしみてきた
という方がいらっしゃいましたので

もし、そういうことがあったら
お気軽に直接お知らせくださいね。

 ⇩⇩⇩
















今日現在
残り あと1個 です。


カップはあと一つになりました。
食べ物と一緒で
最後の一個ってなんだか残りますね。


わたしは、残ったカップ
いい焼けだとおもいます。










✳︎後記✳︎



完売しました! 
購入してくださった
見てくださったみなさん
ありがとうございます。

また次の販売も
よろしくおねがいします。



posted by terra at 22:44| 岡山 ☁| 焼物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

かわいい ほしい

昨日の記事のつづき



Lucie Rie展にて

美術館のTVモニターで繰り返し流していた

彼女の制作風景。

小さな電気窯で

ひとつひとつ丹念につくっていく様子。



リーさんとうちの焼物は

まったく逆ほどやり方が違う。とおもった。




リーさん、若いころ結婚したことは

あったようだけれど

焼物をやり始めてから

家族は持たずに

ハンス・コパーや バーナード・リーチの

協力を得て制作していたという話。





リーさん は

電気窯で  
さまざまな釉薬をかけ 
女性が
男性の協力をもとに
つくった焼物



うちのは

薪窯で
無釉で
男性が
女性の協力をもとに
つくる焼物



なりたちが真逆でしょう。


それなのに

それだからなのか

証太にも、わたしにも

とても学ぶところや気づきや

これからのモチベーションになるヒントに満ちた

展覧会だったのです。


証太は言葉ででてくるのはゆっくりな人なので

作品で昇華されるのを待ちましょう。

楽しみです。



会場にも、きっと自分でも「つくる人」

けっこういたとおもう。


みんな目が真剣だったもの。


「つくる人」は

見るところがわたしとはぜんぜん違うんだろうね。


うちの場合

証太は「つくる人」で

わたしは「みる人」


いつもそうだったな。

わたしは「みる」だけだけど

それはそれは真剣です。










焼物って、やっている人がとても多い工芸です。


クラフトフェアで出店者を見ていても
8割がた焼物で
あとの2割で木工・金工・布もの・紙もの など
というかんじ。

土と水と木と火があればできるから。







うちの焼物のやりかたは

焼物という小宇宙を創造するために

登り窯を手でもって長い間「焚く」という祭りで

マジカルなことがおこることを

祈っているわけです。



窯の中で何日間も火で焚かれて

狙うに狙えないほどに

多様な変化をして窯から出てくる焼物は

すでに自分たちの手を離れて

まるで鉱石みたいな自然物になるから。









ルーシーさんは

そんな窯の変化ではなくて

釉薬と、綿密に計算した電気窯の

温度の完璧な変化で

自分が狙った通りの


トルコ石色や、ピンクや、エメラルドや、白や、

黒や、ブロンズや、ゴールドや、様々なときめく色をつくりだした。

その配色が、なんと絶妙な。










リーさんの展示会

悶えながらガラス越しに

ひとりでブツブツ


かわいい、ほしい、かわいい、ほしい


と言いながら、全部見る見る見る。




ちなみに

帰って家で調べてみたら


ボタン一つ3万円から。

しかも市場に出回る数はごく少ないみたいだ。


もう、つくる人がいないっていうのは


こういうことなんだな。



あのカップアンドソーサーも

あのビネガーアンドオイル入れも

フラワーベースも

サラダボウルも

すべて今はガラスケースの中。



花魁みたいに。

あでやかな色に魅入られて

触れてみたいが

触れられない。






美術館で、となりに立ってた人も

「う・・・し 志野みたいだ・・・」


とか、つぶやきながら白い花器を凝視していたなぁ。



みんな自分の世界。


みんな自分とリーさんの焼物の世界に入っていて


幸せそう。


あまりに美しい焼物をつくってしまって


誰かのテーブルの上ではなくて


こうして様々な都市の美術館から美術館へ


疲れを知らず旅をして


たくさんの人を幸せな気持ちにさせてきた器たち。



リーさんがどれだけ


強く優しく美しかったか

そこからわかります。












そんなリーさんが

結局、家族を持たなかったのは、なぜだったのだろう。

常に、周りに魅力的で才能溢れる男性たちがいたにもかかわらず

誰とも結婚せず、同居せず、ひとりで世界をつくりだしていた。



聡明で、才能豊かで、ノーブルで、ユーモアがある、

あまりに完成されすぎ、しかも美しいリーさんという人は

パートナーを必要としなかったのか。





リーさんの時代は

まだまだ女性が自分の名前ではたらくだけでも

難しかったのかもしれない。



その上に、主婦までなんて

とんでもないとおもったのかもしれない。



今と同じ感覚では

彼女の人生をはかることはできないけれど






実物を見るというのは

ほんとうにいろいろ考えさせられるものだ。


今まで、写真で見るだけでは

彼女の女としての人生まで

おもうことは無かったのだ。



手で作ったものは


それだけ


たくさんの情報をもっている。


作った人の肉体がなくなっても


やはりそこへ込めた魂は


なくならないのだな。




#ルーシーリー






(ゆ)




ラベル:登り窯
posted by terra at 17:36| 岡山 ☁| 焼物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする