あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
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結婚式の引出物のしごとをいただいて
包装作業をしながら
音楽のことを話していた。
うちは音楽を聴くのは今だにCDです。
モノにかこまれて育って
モノ好きになった世代のわたしたちは
1972年と74年生まれ。
「音楽」を買う時も、CDでほしいのです。
形がほしい。ジャケットを手に取りたい。
究極やっぱりレコードでしょう、という
本格的な音楽好き、というわけではないのですが
しごとをしながら家で
好きな音楽を聴ける、というのは
この仕事をしていて良かったなぁ、
と思うことの中で
かなり初歩の方の話です。
♪
仕事と音楽のこと
若い頃はふたりともロックをよく聴いていた。
好きだったのはとくにパンクロックです。
ランシドのライブに行ったら
前座がラフィンノーズだった。という頃。
パンクの人っていうのは痩せているイメージがあるんだけど
実際に見てみたら
白人さんは、良いガタイしてる人が多かった。
だから、前座のラフィンノーズが出てきて
チャーミーはほんとに細いなぁと、思ったけれど
ランシドのラーズやティムがでてきたら
喧嘩強そうで
怖そうな兄ちゃんたちだったのだ。
パンクミュージックが流行るかどうかというのは
社会環境によるのかな
あのころはなぜだか
いいパンクミュージックがどっと生まれていたとおもう。
なんといってもニルヴァーナがまだいた。
大学に入学したころに
カートコバーンが自死してしまう。
彼はロックアイコンですごいアイドルだったから
彼が死んだ国から遠く離れた日本で
喪に服している友人までいた。
奥さんだったホールのコートニーラブのライブには
2日続けて行ったんだけど
日々全くテンションが違って面白かった。
3日間のライブの
2日目は会場もすいてて、コートニーがMCで
「尼さんみたいな気分よ」とか言っていたんだが
3日目は最終日ですごい人だったから
彼女はそんなことを言ってる暇は無かった。
どちらの日の彼女も魅力的だった。
とはいえ、我々の
ファッションはパンクではなかったのだ。
とにかく、なんとか系のファッションが苦手なのだ。
なんでもない服が着たかった。
思想は全くしらないのに
ヒッピーファッションは好きだったので
タイダイのTシャツや
裾がヒラヒラしたパンツをふたりとも愛用していた。
リラックスタイプの服が好きなんだね。
そのころのわたしたちは似たような体型だったので
20代のころはTシャツからスニーカーまで
ほとんどの服を共用していた。
今は やきものや になって
ごつい上半身になった証太だが
(土しごとは上半身の筋肉が異様につく)
昔はひょろっとしていてかわいかった。
ふたりのミューズは そのころからずっと
パティ・スミス
ニューヨークパンクの女神さまだけど
パンクだからとかじゃなくて
あの顔も格好も声も
膝の刺青も
なにからなにまで大好きなんだ。
だから、うちには
神棚はないけれど
彼女のオリジナルプリントを
うちの家を作った時から
ずっと壁に飾っている。
♪
しごとをしていると
心地よい音楽が必要になる。
北山耕平さんの
ビートルズやイーグルスの記事を
スペクテイター誌 で読んだ証太が
ビートルズもやっぱりいけるんじゃないか、と思って
CDを棚からひっぱり出してきて
聴いてみるんだけど
ロックを聴いてると
あらゆるしごとをしたくなくなる
ということに何度か目に氣が付いた。
今は、仕事中に聞いてるのは
レゲエが多いです。
一見、ますます仕事がしたくなくなるんじゃないかと
おもうけど
レゲエは焼物しごとに合うようです(当社比)
しかし、クラシックもジャズも聞きます。
♪
牛窓に家と窯を建てて住みながらしごとをし始めて
10年になる。
初めのころ、自分がなにを考えていたのか
記録しておけばよかったなとおもう。
家を建てながら窯をつくりながら
初めて子どもを生んで暮らして
初めての独立開業期。
楽しいこともたくさん
苦しいこともたくさん
一日があっという間。
一年がこれまたあっという間。
目が回るような日々だった。
証太はとにかく
好きだった 釣りやビリヤードなんて
ずっとやることもなく
やきもの だけの日々。
わたしはといえば
土の上に
長方形の箱みたいな家を建ててもらって
住んで。
子どもと一緒に
その中で一日中うろうろしている。
たまに庭にでて生ゴミを埋めたり
庭の草を抜いたり 球根を埋めたり。
子どもや犬と散歩にいくくらいが外出。
ほんとうに長い時間
この家の中にいる。
でも、10年たっても
ぜんぜん飽きない。
それどころか
わたしはできれば
もう今はどこにも行きたくないのだ。
わたしは
ほんとうにあまり外出しないので
初めのころは
友人知人がやってきて
飽きないのか、とか
もっと外に出た方が良い、とか言って
色々に誘ってくれていたので
いけるときには行くのだけれど
ほんとうにわたしは
基本的に
家にいて飽きることなんか
まず無い。
ということに自分で氣がついた。
氣がついた時は
え、みんなそうじゃないの?ってかんじだったけど。
そもそもそういう人なんだろう。
小さい頃から。
引きこもり
という言葉があって
なんだかいけないことみたいに言われているけれど
家にいて
ずっと楽しいのだったら
それはとても素敵なことだよ。
昔の人になったみたいだな。
今は
家の中にいて
ほぼ毎日
だれか来客がある。
どこからか、来てくれて
お土産を持って訪ねてくれたり
やきもの を買いにきてくれたり
それから一緒にご飯を食べたり
焚き火を囲んで、話をしたり
お酒を呑んだり
しごとだったり、遊びだったり。
その境目も無くなって来た。
いろんな国から来る人たちにも会える。
カナダ、ドイツ、ポーランド、イギリス、
イタリア、スイス、スウェーデン、
フランス、ウルグアイ、イラン
オーストラリア、、、
わたしは外に出ているよりも
ここにいた方が
たくさんの人と知り合っているかもしれない。
わたしは、人がどこかから来るたびに
この家が丸ごと船になって
新しい港につけるイメージが湧いて来る。
家を建てて間もない時に
二階で布団を敷いて
皆で寝ていた時
(そのころは空と3人家族)
雨なんか降ると
うちの屋根は一枚スレートだかトタンだか
板をペタッと載せているだけだから
雨音がすごい
ザザザザザァ〜
と屋根いっぱいに広がる激しい音を聞きながら
目と閉じていると
まるで
家族が乗り込んだ難破船が
大波に揺られているように思える。
でも怖くはない。
そばに家族がいるから。
愛する人たちは皆
安らかに眠っている。
その寝顔をただ見ているという
幸せがあるんだと
親になって初めて知った。
外は嵐でも
雨風凌げる家さえあれば
そしてそこに家族がいれば
わたしは簡単に幸せになれる。
家の入り口から
色々な人が入ったり、出たり。
船は色々なところに航海するから
何年かの間にちょっとづつ、
お客さんの顔ぶれも変わってくる。
この船がわたしの家。
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そうだ
音楽の話だった。
船旅に音楽は必要だ。
ミュージシャンは
船中でライブをすると
チケットが安くなったり
只になったりするらしいですよ。
うちにもたまに
ライブをしてくれる友人たちがいて
家にいながら生演奏を聴ける
なんていう贅沢な時間がある。
それから今幸せなのは
自分の選曲した素敵なCDをプレゼントしてくれたり
わたしたちの好きそうな曲を
勝手にセレクトして置いて行ってくれる
DJの友人たち。
なんて素敵な人たちだとおもうよ
DJっていう人種は。
ミュージシャンも
ずっと歌ってるもんね。歌好きなんだなー
人間ジュークボックスみたいだよ。
あとは空のピアノの練習を聞いてるのが
今のわたしの好きな音楽だな。
ゆ