おひさしぶりです
みなさんおげんきですか
わたしたち家族は あいかわらず
木に囲まれた小さな山の中で
小鳥の声を聞きながら、しごと中心に日々暮らしています
5月はモモの10歳の誕生日ではじまりました

モモはお菓子をつくるのが小さなころから上手で
いつも家族の誕生日には毎回デコレーションケーキをつくってくれます
この日はモモの日だったので、わたしとソラが一緒にケーキを焼いて、モモがデコレーション
ソラは大きなサイズのキッシュも作ってくれて、家族でお祝い
毎年モモは誰か好きな友だちを呼んで祝っていたけれど
今年は家族だけがいいということで四人と猫2匹でお祝いしました
モモはインスタにあげる写真をとりたかったみたい
リクエストもらったみたいに撮れなかったので、加工したのをあげてました
➡︎ momo insta
10歳。この家でモモを出産したのが10年前
わたしたちはやきものの仕事をするためにこの場所に来て
いちから窯をつくって家をつくって子どもを産んで育てて
自分たちの好きなことをして生きてこれたことがとても幸運だった
若いころ、やりたいことよりもやりたくないことの方がたくさんあったわたしたちは、
単純なことが好きで、複雑なことはできないと分かってから
すごくシンプルに暮らしてきたとおもう
病院で出産することがどうも合わないとおもったので
家で子どもを産んだ
健康診断で行った先のお医者さんに
「犬や猫みたいに家で産むつもりですか?!」と怒られたが
「ぜひそうしたいとおもいます。それが理想です」と言って
まるでうちの猫のノアのように子どもを産んで
猫のように慈しんで子どもたちを育てた
モモは生まれてからずっとこの家にいる
だからなのか、すごく安定感のある人だとおもう
暮らして、しごとをする
証太がやきものを毎日毎日つくって、それをひとつひとつ売るのが
わたしたちのしごと
複雑な世の中で
わたしたちのしごとは、なかなかシンプルなことだとおもう

わたしはそれ以外に、セラピーに必要なくすりのようなものを山の植物からつくり
人の心のカウンセリングをすることや器の直しをしごとにすることもある
どうもわたしは壊れたものや小さな綻びをなおすことがわりと好きなようだ
新しいものをつくるよりも、今あるものをなおして、ぼろぼろになるまで
つかいたいとおもう
単純な箱みたいな家を建てて
大きな石ばかりの小さな土地の上で、日々生活の中からでた野菜ののこりを埋め
米の研ぎ汁をまいて小さな畑をつくり、花や木を植え、犬や猫と一緒に暮らし
たまにしごとを兼ねた旅をした
子どもたちは自分の学びのための場所に学校を選ばなかったので
24時間わたしたちと一緒にいる
わたしたちは、子どもの親であり兄であり姉であり友人であり
先輩であり、ただ、しごとのこと以外では先生にはなれないので
友人たちに先生をお願いしたりyoutube先生にたよったりしている
正直、10年前は、こんなふうに振り返ってみたりする時間など
一瞬もなかったようなきがする
毎日働いて、くらして、少しでも時間があれば休みたかった
きっと今みたいなスマートフォンがなかったら
写真も撮ってないから、こうして思い出すこともできなかったかもしれない
雨の日なんかに、こうやって昔の写真を見ながら
昔の子どもたちのことを思い出す時間はなんて贅沢なんだろう
田舎でも都会でも、小さな子どもを産み育てている時間は
独特で濃密なしごと
できれば一瞬も目を離したくないし
目を離したら死んでしまうかもしれない、小さな生物を守っている大切な時
その時間の中にいるすべてのお母さん、とお父さんは
なにもせずにその小さな生き物のそばにいるだけで、心を傾けているだけで
重大なしごとをしている最中だということを
いつもおもいだしてほしいとおもう
今、日本から距離的には離れた国で
いくつも戦争があって
毎日、子どもたちがひどい死に方をしている
せっかく生まれた貴重な命を
こんな風に同じ生き物が殺してしまうなんて
そんなばかなことがあるのが、どうしても信じられない
わたしは毎日、小さな虫を知らずに踏み潰したり
害虫だとおもってたたいて殺したりしているし
鶏や豚や、牛や魚の肉を、好みに料理していただいたり
植物の新芽や実やタネをむしっては食べたりお茶にしたりしている
わたしたちはベジタリアンではなくて
どちらかというと、肉が好きなので
動物の死体を食べているスカベンジャーだともいえる
生きていくだけで、こんなに日々たくさんの殺生をしている
それなのに、まだ足りなくて
わざわざ爆弾を製造して、同胞を効率的に殺しまくる
他の動物のように、その肉を食べるわけじゃない。ただ殺すだけ
次の世代には、殺された側の憎悪が
殺した側の子孫を殺すだろう
お金が一神教の教祖のようになっているこの人間の世界の中で
どうすればひとが殺し合わずに生きられるのだろう
宗教戦争や土地の奪い合いのように言われている戦争ですが
結局は、お金のため、誰かの権力争いのためなのだ
わたしたちの暮らしているところでは
先月、友人の交通事故があって1歳の女の子が天に召されてゆき
皆まだ悲しみの海のようなところにひたっているようなきもちです
なにもわざわざ殺し合わなくても
幸せに生きているところに、悲劇は突然訪れる
殺さなくても、寂しいことに人間は必ず死んでしまう
命を大切にしたい
せっかくわたしたちは生まれてきたのだから
戦争をするなんてほんとうにもったいないことだ
モモの10歳の誕生日に
わたしの願いは
世界中から戦争がなくなることです
すごくつまらない平和な世界でいい
みんなで面白くすればいいから
文化や芸術というのはそのためにあるんだよね
この世界の片隅で、世界が戦争にならない暮らし方ができないか
今あるものに感謝して生きていけないだろうかと
そんな目で生活をもういちど見つめなおしていきたいとおもう
この月の最後の日です
てらぞのゆう