2011.3.11の震災のあと
その前後で大きく変わった
自分たちの創っていた「社会」というのが
どういうものだったのか?
震災があったということで
これからどういう風に変わらなければならないのか?
誰もが(大なり小なり)
自分にそんな問いをかけながら
生きてきたのだとおもう。
わたしは、あの前後で
あまりにも自分が一瞬で変わってしまった。
はっきりいって、「原発が爆発した」というニュースを聞いただけで
それまで我慢して、社会(とおもっていたものに)合わせていた自分を呪ってしまった。
例えば、雑誌を読むにしても
“ビフォアー震災” の号は、しばらくの間まったく読む氣がせず
“アフター震災” に出た雑誌や本も 紙の活字は時差があるので
震災に言及していないものは読めなかった。
インターネットで手に入る新しい記事を
紙の活字以上に読み始めたのは
わたしの場合は3.11が契機だった。
活字を欲していたのだ。
ある日、震災という
価値観が大きく変わるような出来事が
おこって
さらにそれから
原発の事故があったので
一度起きた
「価値観の変換」は
そこで止まらず、変換が起こり続けた。
これは、せんそうとか
テロとか呼ばれている
そういうものと
まったく同じだろう。
現代の日本は、目に見える形で
せんそうはないのだが
せんそうみたいな
破壊力をもって
多くの人の価値観をぶっこわし
そこで根こそぎなにかを変えてしまう
歴史的な出来事がおこったのは
明らかだった。
結局
わたしたちのような
「せんそうを知らない世代」における、
せんそうなんだなと、おもう。
そして、
地震が起こした破壊は
誰の目にもはっきりと見えるけれど
放射能は、目に見えなかった。
ここで
価値観が一夜で変わっただけではなくて
微妙なグラデーションの価値観の分離や融合が生まれた。
今、2017年になるのだが
この微妙なグラデーションの価値観の分離や融合は
色を濃くしながら
日本から、世界中に広がっていっている。
それは
「個人」や「愛」や「家族」や「コミュニティ」
そういった、今まで考えるのをあとまわしにしていたようなことを
それぞれがとてもたくさん考えるきっかけにもなった。
「しごと」や「お金」などということに関して
その前後で大きく考え方が変わった人も大勢いる。
この時代に生きているものは
全ての人がなんらかの影響を受けたとおもう。
自分がかならず 死ぬのだ、ということ を忘れては
本当には生きられないのだ。
たくさんの人に
いっぺんにそう思わせる出来事が
たまに起こるのだ。
地震のあと、原発事故のあと、
子どもをどうするか
それはわたしたち夫婦の最大で共通の問題になった。
今までの大人が創ってきた社会は
ヒエラルキーのトップのところからして間違っていた。
これから、どうすればせんそうをしないですむ平和な社会を
創れるのか、ほんとうに回答を持っている人など
今の大人には誰もいない。
「今までわかっていること」ではもう、ダメなのだ。
夢想家と言われようが
ぜひ生きているあいだにこの目で見たい世界は
せんそうが無い世界、なのだ。
けっきょくのところ
生き方として
「子ども」に聞く
ということしかないのではないか。
今から未来へ生きる人しか
その方向性を知っている人はいないのではないか。
宇宙をひとつの人体だとすれば
人間ひとりひとりはそれぞれの役割をもって
自ら生まれているはず。
子ども二人と毎日一緒に過ごしているが
わたしは彼女らに
強制的になにか勉強しろとは言えない。
なにを勉強すればいいのだ??
なにを勉強したら、人間はみんな賢くなって
この世からせんそうが無くなって
それぞれが幸せに暮らせるんだろう。
こんな大きな問題を解決するために
唯一言えることは
子どもひとりひとりの才能を最大限伸ばすことが肝要。
(学校の成績を伸ばす、という意味では無い)
たくさんの天才が出てきて
今のこの閉塞した社会を変革していける人間がたくさんいる社会になるしかない。
この世の中で
生きるために希望を持とうとすると
この子どもたちに経験して行ってもらうしか
ほんとうにないのだ。
そのためには「教育」も今まで通りでは無理なのだ。
そんなレベルじゃない天才たちがたくさん育って
コペルニクス的というか
モーツァルト的というか
今まで誰も考えつかなかったような解決策をinspirationで
降ろしてもらわないと
このままゆっくり人間はいなくなる。
人間がいなくなっても
べつに地球はぜんぜんいいんだけど。
「核廃棄物を安全に処分する技術はまだ見つかってはいませんが
今の科学技術の進化は早いので
あなたたちが大人になるころには、解決しているはずです」
これは、わたしが子どものころに
小学校の先生たちが子どもに向けて説明していた内容。
あれから何十年もたって
わたしは立派な大人の歳になりましたが
先生、なにも変わっていないし
ますますひどいことになりました。
わたしたちは、70年代中頃に生まれて
人口も多い世代でもあったし
「教育」の中で「管理」され
「暴力」も容認された最後くらいの世代じゃないだろうか。
さすがに今は先生たちも「暴力」までふるわなくなったのだろうが
あのころの中高には、
竹刀を持って校内を歩く体育教師、
などという人間がいたのだ。体罰専門である。
あれが教育だったのだろうか??!!
本氣で、今の子どもたちの中から
たくさんの世界を救う天才がでてほしければ
大人ごときが「管理」や「体罰」なんて
与えてはいけないのだ。
しっかりと尊敬して
対等以上に扱わないと。
と、ここまで書いたところで
うちの「かわいい爆弾」が
ぱいぱいよー、っと寄ってきたので
いったんおきます。
てらぞのゆう