長女 空(ソラ) のはなし。
今9歳で、学校には行かず
homeeducation(家庭学習)を選択しています。
ソラは
小学校を入学式から1週間くらいだけ通学して、
放課後に行ったり
先生が宿題だけ持ってきてくれたり
遠足の日だけ行ったり
図書室の日だけ行ったり
いろいろしたあげく
ふつうに行くのはやめました。
行ってない状態がいつもの状態です。
子供が行きたいといい出さないかぎり
わたしたちから子供に学校へ行けということはありません。
わたしは、6歳の彼女の選択と判断を
尊重して、受け入れました。
子供が学校へ行かないと言ったので
条件なしで、家にいるのを認めました。
小学校の先生が、はじめのうちは
「学校へ来させるようにお母さんから言ってほしい」
と、言って来ていたのですが
わたしは、自分がおもうことは
言えるけど、おもわないことは言えない。と、言いました。
わたしにとって大事なのは
子供が「学校」へ行くことではなくて
自分が楽しいとおもえる好きなところで
好きなことをやって
満足した瞬間をたくさんもってくれること。
学校へ行かない選択をしたあと、しばらくの間
毎日学校に朝欠席の電話をソラが入れていたのですが
ある朝、
わたしは自分が電話をするのが嫌で
ソラにやらせてたんだ。
ソラにひどい強制を強いているんだなと。
ということに はっっと気がついてしまいました。
わたしは母さん顏して、「自分でしなさい」っていっていたけど
これは、わたしがなんとかしてやれることだ。
これをなんとかしないと
せっかくの家庭学習がただの不登校になってしまう・・・
「ソラの意思を尊重する。好きなようにしてください」
と言っていたのに、なんと中途半端だったことか。
先生の立場なんか気をつかったふりをしてみちゃったりして
まったく意味がないことをしていました。
先生だって、ちょっと仕事した気になってしまいますよね。
なにもしてないのに。
たいへんなのは6歳のソラだけ。
わたしがソラに謝って
もう電話も一切しなくていいことにしました。
学校とか役場という公的なところは
立場が大事な人たちが皆働かれているので
こちらが決定したことを
伝えるだけだったら、だいたい通ります。
お伺いをたてると、通りません。
すべては思い通りにできるのです。
しようとさえおもえば。
ソラは朝電話を入れなくて良くなった日から
ほんとうに家にいるのが楽しくなりました。
その日「もう電話しなくていい。家でなにしててもいい」
と言ったら、今まで家にあっても着なかった制服を
いきなり着てみて、
「制服だけは憧れてたんだけど、
制服着たら学校に行けって言われそうで着れなかった」
なんていう健気なことを言うわけです。
それで、その日午前中は制服を着て遊んで、
それからもう二度と着てないです。
着てみたら大したことないし
遊びにくいしってかんじで。
わたしはとにかく
人に無理やり何かをさせるのは
ほんとに嫌なのです。
逆に、好きなことしている人は
そばで見ていたいと
心からおもいます。
うちの相方も
19歳のころから
わたしにずーっと見られてます。
どんどんいい男になっていくので
たのしいです。
ソラは、小学校にはいる前、
隣の敷地にある幼稚園のころから
「小学校はいくかどうかわからない」
と言っていたので
小学校の校長先生や担任の先生に
入学前からそう伝えていました。
わたしは
常に、ソラの代弁者になる、つもり。
社会とか学校とか、そういう、人じゃないもの、じゃなくて
生身のソラの、最も近くにいる人としての
役割をまっとうしたいのです。
まだ6歳だったソラは
「どうして学校に来たくないのか言葉で説明してみて」
と言われてもまだ思考を言葉に変換できない。
母さんであるわたしには
ソラの感情は
感情のまま分かったから
(なぜならまだ繋がっているからね。子供と母さんは)
「理由はまだ言えないけど、嫌なんだな」
というそれだけで十分だった。
たぶん、これはわたしが気付いてやれなかったら
そして、わたしがそれを自分のこととして
表現しなかったら、誰も代弁してやれない。
そうできなかったら、
ソラが20歳になった時に、きっと
「あの時、わたしには母さんしかいなかったのに
どうして助けてくれなかったの!?」
って言われる。
わかってる。
大人になったって
「どうして会社に来たくないのか言葉で説明してみて」って
言われたら、「ちょっと家で考えて来ます」って
言いたくならないかな。
大人になってからじゃ
一緒に会社に行きたくないから
今、今のソラをわたしは大事にしたいよ。
大人の仕事だって、そんなに嫌になったら
職場を変えるしかない。
嫌っていうのは
理由があっていやなんじゃなくて
嫌だから嫌なんだ。
理由はそのあとについてくるのだ。
はっきりいって理由なんかなくていいのだ。
だって、自分の人生じゃないの。
みんな自分の人生じゃないの。
嫌だって言ってるのに
やらせる理由がこっちにない。
大人と同じ回路で話をしないからといって
子供の話がつまらないかというと
そんなことはまったくなくて
ソラと話すのは小さなころからとても楽しい。
子供は小さな哲学者で詩人で画家で音楽家
子供と遊びながら
少しずつ子供が獲得している言葉に
こちらがさまざまなことを教わっている。
たくさんのことを教えてくれても
この大人がつくっている社会に対しては
子供たちが初心者。
でも、今までの大人がつくってきた
ふつうの社会が、そのままでいいって
ほんとうにおもえる?
社会とか親の制約の中で
いい子にしていたとおもったら
結局自分がなにを感じて考えていたのかわからなくなっている
大人がたくさんいる。
子供は誰も
自分がなにを感じてるかわかんないなんて
言わない。
嫌なものは嫌だっていうし
好きなものにはいつだって夢中だ。
世の中のたくさんの大人ができないことを
みんな軽々とやっている。
子供のころはみんなこんなにたくさんのことが
できたのにね。
いつのまに大人になって
いつのまに自分の嫌なことを嫌だって言えなくなるんだろう。
全てを持って生まれてきたこの人たちが
ほんとうにもって生まれた才能を
ゆったりと伸ばして
そのままの形で
皆が得意なことをやって
皆が幸せで皆が楽しく
生きて行けたらいいんじゃないのかな。
学校とか、会社とかは
必ずしも人生に必要なものじゃないんだよね。
あたりまえなんだけどね。
ゆ
ラベル:homeeducation 不登校