「子供を見る」
というのは
家事をしながら忙しいなかでキリキリしながら
「横目で」見る
のではなくて
文字通り「見る」のである。
「観る」の字でもいいのかもしれない。
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はっと気がつくと子供が
・・・
土間に水たまりをつくって長靴でバシャバシャやっていたり
100本くらい入ったクレヨンの缶をひっくり返したり
犬のゲージに入って寝転んだり
白い壁にマジックで落書きし始めたり
包丁で野菜を切りたがったり
お客さんが来たとたんに「だっちー(抱っこ)」になったり
机の角に頭ぶつけて泣き出したり
トイレに入ろうとすると「ぱいぱい、ねんね」と言い出したり
同じ絵本を何度も何度も読んでと言われたり
起き抜けにいきなり本を読んでと言われたり
寝る前に毎日同じ本を読んでと言われたり
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そういう時に
余裕があって
ただ落ち着いて「見る」
ことができると
子供といる時間はとても楽しい。
同じことでも
自分が余裕がない状態だと
機嫌よく対応できないのに
自分に余裕さえあれば
逆に、笑って面白がれる。
特に、小さな子供がいるのに
親が毎日締め切りのある仕事を抱えていると
どうしても眉間に皺の入った顔を
子供に向けるようになってしまい
子供の顔がくもってくる。
これは、わたしの体験談だから
全ての女性に当てはまることではないだろう。
しかし、眉間に皺を寄せて毎日母親やっている女性がいたら
こういう風に考えられないだろうか
今やっているその仕事は
誰か他の人に頼むことができないか? と
もしかすると、
今、誰もやらなくてもいい仕事かもしれない、と。
今掃除をしなくても
誰も困らないかもしれない
今洗濯をしなくても
誰も困らないかもしれない
今食器を洗わなくても
誰も困らないかもしれない
旦那が困るというのなら、
旦那がやればいいのだ。
大人なのだから。
お母さんが機嫌が悪くて
困るのは誰か。
まずは、子供だ。
そして、夫だ。
わたしは、一体
誰のことを愛して
幸せになって欲しいとおもっているのか。
わたしは自分がまず幸せになりたい。
そして、欲をいえば、自分の幸せのために
子供も幸せをかんじてほしい、とおもう。
夫も幸せでいてほしい。
小さな子供の幸せ、は
母さんといっしょにいること
それから 母さんが笑っていること
だから、母さんは
自分の機嫌を、良くさせることばかり
選んで行くのが
よいのだ、とおもう。
わたしの場合
子供を「見る」時間
他のことは
なにもしていない時間がたくさんほしい。
家事をするより、仕事をするよりもずっと。
子供はわたしの趣味で娯楽で、贅沢なのだ。
(ゆ)