昨日の記事のつづき
Lucie Rie展にて
美術館のTVモニターで繰り返し流していた
彼女の制作風景。
小さな電気窯で
ひとつひとつ丹念につくっていく様子。
リーさんとうちの焼物は
まったく逆ほどやり方が違う。とおもった。
リーさん、若いころ結婚したことは
あったようだけれど
焼物をやり始めてから
家族は持たずに
ハンス・コパーや バーナード・リーチの
協力を得て制作していたという話。
☆
リーさん は
電気窯で
さまざまな釉薬をかけ
女性が
男性の協力をもとに
つくった焼物
うちのは
薪窯で
無釉で
男性が
女性の協力をもとに
つくる焼物
なりたちが真逆でしょう。
それなのに
それだからなのか
証太にも、わたしにも
とても学ぶところや気づきや
これからのモチベーションになるヒントに満ちた
展覧会だったのです。
証太は言葉ででてくるのはゆっくりな人なので
作品で昇華されるのを待ちましょう。
楽しみです。
会場にも、きっと自分でも「つくる人」
けっこういたとおもう。
みんな目が真剣だったもの。
「つくる人」は
見るところがわたしとはぜんぜん違うんだろうね。
うちの場合
証太は「つくる人」で
わたしは「みる人」
いつもそうだったな。
わたしは「みる」だけだけど
それはそれは真剣です。
☆
焼物って、やっている人がとても多い工芸です。
クラフトフェアで出店者を見ていても
8割がた焼物で
あとの2割で木工・金工・布もの・紙もの など
というかんじ。
土と水と木と火があればできるから。
☆
うちの焼物のやりかたは
焼物という小宇宙を創造するために
登り窯を手でもって長い間「焚く」という祭りで
マジカルなことがおこることを
祈っているわけです。
窯の中で何日間も火で焚かれて
狙うに狙えないほどに
多様な変化をして窯から出てくる焼物は
すでに自分たちの手を離れて
まるで鉱石みたいな自然物になるから。
☆
ルーシーさんは
そんな窯の変化ではなくて
釉薬と、綿密に計算した電気窯の
温度の完璧な変化で
自分が狙った通りの
トルコ石色や、ピンクや、エメラルドや、白や、
黒や、ブロンズや、ゴールドや、様々なときめく色をつくりだした。
その配色が、なんと絶妙な。
☆
リーさんの展示会
悶えながらガラス越しに
ひとりでブツブツ
かわいい、ほしい、かわいい、ほしい
と言いながら、全部見る見る見る。
ちなみに
帰って家で調べてみたら
ボタン一つ3万円から。
しかも市場に出回る数はごく少ないみたいだ。
もう、つくる人がいないっていうのは
こういうことなんだな。
あのカップアンドソーサーも
あのビネガーアンドオイル入れも
フラワーベースも
サラダボウルも
すべて今はガラスケースの中。
花魁みたいに。
あでやかな色に魅入られて
触れてみたいが
触れられない。
美術館で、となりに立ってた人も
「う・・・し 志野みたいだ・・・」
とか、つぶやきながら白い花器を凝視していたなぁ。
みんな自分の世界。
みんな自分とリーさんの焼物の世界に入っていて
幸せそう。
あまりに美しい焼物をつくってしまって
誰かのテーブルの上ではなくて
こうして様々な都市の美術館から美術館へ
疲れを知らず旅をして
たくさんの人を幸せな気持ちにさせてきた器たち。
リーさんがどれだけ
強く優しく美しかったか
そこからわかります。
☆
そんなリーさんが
結局、家族を持たなかったのは、なぜだったのだろう。
常に、周りに魅力的で才能溢れる男性たちがいたにもかかわらず
誰とも結婚せず、同居せず、ひとりで世界をつくりだしていた。
聡明で、才能豊かで、ノーブルで、ユーモアがある、
あまりに完成されすぎ、しかも美しいリーさんという人は
パートナーを必要としなかったのか。
リーさんの時代は
まだまだ女性が自分の名前ではたらくだけでも
難しかったのかもしれない。
その上に、主婦までなんて
とんでもないとおもったのかもしれない。
今と同じ感覚では
彼女の人生をはかることはできないけれど
☆
実物を見るというのは
ほんとうにいろいろ考えさせられるものだ。
今まで、写真で見るだけでは
彼女の女としての人生まで
おもうことは無かったのだ。
手で作ったものは
それだけ
たくさんの情報をもっている。
作った人の肉体がなくなっても
やはりそこへ込めた魂は
なくならないのだな。
(ゆ)
ラベル:登り窯
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