ソラはお腹にいた時から体重が
少ない赤ちゃんだった。
お医者:「小さいですね」
わたし:「なにか原因があるんでしょうか」
お医者:「わかりません」
わたし:「・・・・・」
毎回この会話を繰り返したなあ。
臨月ごろにはお医者さんが
「責任が持てない」から
「病院で産んだ方がいい」
と言っていたみたいなのだけれど
この場合
誰が「責任が持てない」のか?
医者でしょうか。
わたしでしょうか。
お医者さんはこの場合、出産は
「自分の責任」だとおもっているのですね。
わたしは命に関することって
「究極的に責任は誰ももてないものなのだ」から
「わたしの責任でさえない」し
「医者の責任」なんてものが、
あるってまったくおもわなかった。
だから
「結局家で生みたい」
と思っていたので
この二人はこの時、
あまり話が通じなかったわけです。
☆☆☆
妊娠後期は、わたしの頭のなかは
↓こういうことで始終
ぐるぐるとしているわけです。
文章にしてみるとこういうかんじ、というだけだけど。
子供は自分で生まれてくる。
好きな時に、好きなやり方で。
女が自分の体をつかってこの世に命を降ろすのが出産なんだな。
結局生きる死ぬを人間はなんともできないよな。
お医者さんだって
命に責任なんかとれないよな。
そもそも責任って、なんなのだろう。
いざという時の延命治療なのか。
子供には生まれるという
意志がある。
もし生まれてすぐに死ぬのだとしたら
そういう人生を選択して生まれてきた命だったのだとおもう。
どんな命なのか、それを全うするまでは
誰にも分からない。
結局、子供を宿した母の気持ちと身体にそって
やるしかないのだ。
それがいちばん子供の意志に近い選択なのだから。
☆☆☆
結局、生まれてみたらソラは
脂肪がとても少ないだけで
まったく健康体の赤ちゃんだったわけです。
そういうこともそりゃあるよな。
大人だって人それぞれ体格が違うんだから。
体格というのは個性です。
平均値っていうのは
あくまでも平均するから平均値なわけで。
平均にみんなを近づけようという努力は
意味がない。
エコー検査が発達したって
毎月毎週のようにエコーで見てみて
体長を計ってみたって
その赤ちゃんが
「ただスリムなのか」
「病気をもってて痩せているのか」
それさえも
分からないんだったら
エコーってなんのためにやるんだか。
ソラの妊娠時
あんまり何回もエコー検査ばっかりされたうえに
なにも得るものがなかったので
次の妊娠の時には
2回だけ。
あんまりエコーやりすぎるのも、
いいわけないでしょう。
そのこと考えると、
わたしは珍しく反省してしまいます。
(ゆ)