おはようございます。
てらぞの家のゆうです。
2017年窯焚きが始まってから3日目の朝です。
今年は、6月に予定していた窯焚きが
証太のぎっくり腰で延びて
とうとう8月の窯焚きになりました。
窯詰め最終日。
今回は神奈川から来た助っ人コンちゃんと
いつも手伝ってくれるナッちゃんにたくさん手伝ってもらいました。
コンちゃん、なっちゃん
ほんとうにどうもありがとう。
ゆうは途中から猛暑のため腎臓が弱って
2日ほど寝込みました。
そうそう、腎臓の弱めな方がいらっしゃったら
氣をつけてください。
「夏バテだ」っておもっていたら
実は腎機能の低下だったりするので
「身体全体の力がでない」とか
「足に重りをつけているようだ」とか思ったら
なにはともあれ、数日横になった方がいいですよ。
腎臓は背中の真ん中あたりにあるので
そこを手であっためてマッサージするのもいいです。
あと、水分補給と、「塩」が足りてないことも多いのです。
詳しい話は東城百合子さんの「自然療法」などを読んだら書いてあります。
腎臓の弱い人には陰性と陽性があって
対処法がそれぞれ違うので
塩分をむやみに控えるだけだと
体質にあっていないことがあるのです。
そもそも塩分をとることを恐れなければならなかったのは
「食塩」をとっていたころの話で
ミネラルをたくさん含んだ「海塩」は
ちゃんと必要量とるべきもの。
暑い時期には塩舐めましょう。
いい塩に限りますが。
ゆうは最近、暑かったので足首を温めるのを忘れたり
ゆっくり湯船に浸かってかなったりしたのが
けっこう身体に来たかんじがします。
やっぱり「冷えとり」は良いんでしょう。
今はサンダルに冬用のアルパカのレッッグウォーマーで
過ごしてます。
笑っちゃうんだけど
40代ってほんと、体力が低下していくこと、
つまり老化を楽しむというか
認めていく時期なんだなぁっておもいます。
はるか昔からみんなこうやって
身体が動かなくなってきたとか
調子がよくないとか、変わらないことを
言い合っては、生きてきたんだな。
わたしは老化がけっこう楽しいと言ってはへんだけど
面白がってます。
身体、うごかん。

子どもをみていると
もう、病氣のとき以外は絶好調ですから
用事が無くても飛び跳ねている。
大人は体力を温存しようと
なるべく無駄に動かないようにしているのに。
窯詰め時期からはさきほどの
コンちゃんやなっちゃんや
いろんな方に
お世話になったんだけど
なによりも長女ソラが
「わたし今回、たくさん手伝うよ!」
と言ってくれて、元氣に動いてくれるので
ほんとに助かる。
ソラは窯焚き大好きなんだそうです。
もちろん今でも「お母さん抱っこ!」って言ってくれる
かわいい子どもですけれど
考え方といい、行動といい、
もうほぼ大人と対等。
子どもは
「お世話が必要な時期」を過ぎたら
ほんとうにパートナーとしてやっていける仲間になるんですね。
ソラにかんしてはもうわたしは
「子育て」してる感覚にないんです。
お互いのことを「相談」しながら「応援」しながら
「同居」しているようなかんじ。
わたしは自分に4歳と7歳離れた弟がいるし
友人の子どもの男の子もみてて思うけど
男の子の10歳だと、こうは行かないんですね。
男の10歳はまだまだ、子ども子どもしてて
やらせないと自ら手伝いできる子どもは少ないです。
女と男で発達が違うんですね。
小学校なんかでは同じことを男の子にも
女の子にもやらせていますが、無理が多いんだろうな。
ここは各人に対応していかないと
同じことを一斉にしていても
女の子は退屈だし、男の子にはまだ早い、というこも
多々あるでしょうね。
もちろん各自差があるので、おおまかな話ですよ。
こんなことで怒る男の人もいないとおもいますが。
念のために。
わたしは、子どもができてから
なにの話から始まっても
だいたいは教育の話に収束していきます。
これってわたしの身体の実践から来た生の教育論なんです。
子どもを学校に行かせていないから
(正確に言うなら「行かせていない」のではなくて
「行かない氣持ちを尊重している」という)
受け取る人によっては
そこんとこがラフな人だと思われている節もあるんですが
教育のことを考えていないんではなくて
逆なんです。
わたしは相方に
「わたしは教育ママだよ」ってよく言うんですが
「教育ママっていうともうイメージ固まってる言葉だから
なにか他に言葉を作ったら」と言われています。
もちろん、一般的な意味でいう「教育ママ」じゃないですよ。
「お受験」やら興味ないですから。
しかし、わたしくらい子どもの教育について考えている人も
なかなかいない、とも言われます。
自分でもessentialな意味での「教育母さん」だとおもいます。
教育にかんしては良いと信じたことの「実践」しかしない。
ほんとうの氣持ちでやるしかない。
日々に落とし込むまで。
子どもの前にいる間の自分の態度
かける言葉の一つ一つまで氣をいれること。
「自分」なんかもうあんまり興味ないんです。
今は「子ども」に一生懸命で人生OK。
一生懸命にできなかったら、きっと死ぬとき後悔するでしょう。
わたしが生まれてきてから
ほんとうに自信を持って
一生懸命やった、できる限りやった、って言えるのは
恋愛と出産と子育てだけなんですよね。
うちの猫たちみたいなもんです。
それだけは、もう
「これ以上はできないくらいやりましたので
あとは流れにまかせてお願いします」の境地です。
・・・
ともかく、ソラ、本当によくやってくれています。
3歳のモモのお世話も自発的にやってくれて
「小さいお母さん」のストレスももう体験している。
もう、ほんと子どもに与えてあげられるのは
経験する場しかないんです。
家で仕事するっていうのは
そこんところが自分たちの生業と一緒にできて
良いところです。
昔は仕事の中で子育てと教育一緒にやっていたんでしょうね。

8月24日、証太45歳の誕生日に点火しました。
(ゆ)
posted by terra at 06:02|
窯焚き
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