今日はなんだか朝から頭がぼんやりするし
朝、モモにねだられて散歩に行ったあと
疲れて昼寝したのです。
向田邦子さんはエッセイで
なにをやっても中途半端で上手くいかない日は
角の崩れた豆腐をおもいだす、と言っていたなぁ。
今日なんかそういう日だったみたいです。
ともだちまで「調子がわるいの〜」と言って家に来ました。
満月の前日だからかもしれないよね。
今、うちがどういう時季かというと
相方はずっと窯詰めまで、びっちりと朝から晩まで制作中です。
初窯出してからもう7回目だったかな。窯焚き。
いつもこのかんじになる。
細いトンネルに自らはまっていくみたいに
もう、ぺったりと家にいて、ずーーーっと忙しい。
相方の偉いところは
その中で、今、家族のご飯を毎日作ってくれているところです。
しかも三食ぜんぶ。
(子どもの調子によって二食の日もあり)
わたし、証太がご飯を担当してくれるようになってから
ほんとうに心が軽くなりました。
子どもが生まれてからは
基本的にはわたしが家事担当になってたんだけど
実は料理は負担だったんだよね。
子どもが生まれる前までは好きだったんだけど、料理。
きっかけはモモがお腹にきてのツワリのころから
なんだかご飯が作れなくなってしまった。
むりやりつくると、美味しくないものができてしまう。
それまでは、なにかとありあわせでも
美味しいものがさっさと作れていたのですよ。
うちはやたらお客さんが多い家で
ともだちに、「いっつも台所にいるね〜!」と言われるほどに
ごはんやお菓子ばかり
作ってばっかりいたようなかんじ。
もともと甘いものが特別好きじゃないのに
市に出店するほどお菓子つくっていたから
わたしはほんとに自分が好きなことじゃないことに時間つかうのが
好きなんだなーって(苦笑)自分でへんな感心してしまうのだ。
それからモモが生まれて、
産後のお世話を証太がずっとしてくれて。
3ヶ月くらいは上げ膳据え膳をやってもらって天国みたいだった。
で、産後3年だけど、もうそれ以前には戻らなくなった。
証太はわたしのお世話をする前は
「家事なんてできるよ〜じぶんにも」っておもっていただろうから
実は自宅出産する目的の一つは
相方が、とことん家事に疲れるまで
一度やり続けてもらいたかった。
わたしは家族を養うために外で稼ぐ、とかやったことあるんだから
あなたも家族のための家事をやり続けて
「もう今日の晩御飯がおもいつかない」とかいう状態を体験してほしかった。
誰かにわたしのお世話を任せて自分は仕事に、というふうに
逃げをうってほしくなかった。
わたしたちのパートナーシップはそこ。対等、というのがほんとうに基本。
それで、やってもらったんだけど
ありがたく、このとおりに
最初は張り切って料理も洗濯も掃除もしていた人が
2ヶ月もたつと「もう晩御飯おもいつかない・・・」ってなってくれた!ありがとう!
おかげで、今、「3食ご飯作るだけだったら、できるわ」っていう時が来たわけだ。
産後は、回復するごとに
だんだんわたしも料理ができるようになるだろう、と少しはおもっていたのだが
(証太もそうおもっていたとおもう)
わたしの場合、なんだかもう台所に興味が出なくなった。
産後に、いろいろな自分の内面のことがガラッと変わるのは
ソラの時にも体験していたので
今度はどう変わるのだろう・・・?
って楽しみにしていた部分もあるのだけど
まさかの展開だった。
女が料理をしないといかんのではないか?? と
自分でも深いところでおもっていたんだろうね。
そこを手放してしまうなんて、いいのか〜?
そんなのアリなのか〜? って、いう恐れみたいなのを感じていたのだろうなー。
でもね、おもいだしてみると
わたし、ハタチのころから、常に、ずーーーっと
男の人の好みを聞かれたら
「とにかく料理が上手な人(ベテラン主婦レベルで)」
って、答えていたのです。
きのう書いた日記には
「大企業のサラリーマンじゃない人」
という希望も書いていたな。なんだこりゃ。
ということは
20年以上前から希望してたのです。
それが、形になったという単純な話。
昔から、男の人に手作りの料理を作ったり
お菓子作ったりするのが、苦手なのです。興味がわかない。
逆に、作ってもらうとすごく嬉しいのです。
ともだちにこの話をすると
「えーー、ゆうちゃん変わってる!」
って、よく言われました。
10代のころから女の子って、クッキーとかケーキとかつくって
男の子や、ともだちにプレゼントするの好きな人、多いよね。
わたしももらったことある。
でも、ほんとに、たまたま男友だちに(なにげなく)
「ゆうちゃんの料理も食べたいなぁ」と言われた時に
身体中が ゾワゾワゾワ〜っとしたので
ああ、これは 潜在意識 だ、と自分で納得しました。
なにの影響なのかわからんけど
お父さんがやきものの作家で
お母さんが、料理上手でお菓子なんかも手作りして・・・っていうのが
なんか人がいいなーっておもうファンタジーだったり(?)するのか
そういうのを期待されているような「氣」がしてしまうのです。
(それさえも自分が自分で自分にかけてる意識なんですが)
そりゃそうできたら見た目なんだか良さそうかもしれないけど
なんかそれわたしじゃないなーっておもうわけです。ははは。
そもそも、肝心なのは、うちのの場合
わたしが料理ばっかりやっていても
うちの家事は氣持ちよくまわっていかないのです。
家事は料理だけじゃないものね。
料理って1日に3回とか真面目につくっていたら
ほとんど1日仕事です。ほかのことあんまりできない。
わたしはほんとの本当は完璧主義者だったとおもうので
ここ真面目にやってたんでしょうね。手の抜き方がわからない。
証太は、わたしの20年前からの
予言かまじないかを体現するかのように
料理はなにを作ってもすごーく美味しいのですが
洗濯、掃除、庭仕事、その他諸々、は、面白くないみたい。
わたしはけっこうバランスの人なんで
証太が洗濯得意だったら、洗濯やってもらっただろうし
(ところで、ふとしたことで知ったのですが
小野哲平(陶芸家) 早川ユミ(布もの作家)さんのコンビは 哲平さんが洗濯、だそうですよ!)
掃除好きだったらそれをお願いしたんだろうけれど
そうじゃなかったんですよね。
わたしと相方の組み合わせだから、こうなった、というのが実態です。
庭仕事なんて
前に来てた手伝いの男の子も一緒になって
わたしが庭に植えていた
ライムの木、花梨の木、金柑の木、みかんの木、柚子の木、
を、ばさーーーっと 草刈り機で やっちゃってて
ほんとに、なにを考えてんだ〜〜〜?! って
毎回、怒ってんですけど
これ、ただ庭仕事に興味が無いってことなんですよね
わたしが、興味ない時に料理しても美味しいものができないように、
興味がない木は、刈っちゃう。
草刈り機を動かしている時
特に男性はゲームやってる脳みたいになっているようです。
草をとにかくばさー ばさー、って右に左に刈っていくのが
楽しくなっているらしい。
小さい庭木のことなんか気にしちゃいないんです。
(氣にできる男の人もたくさんいるとおもいますけどね)
わたしがする庭の草刈りは
スミレ、ユリ、オオバコ、タイム、オレガノ、カモミール、ユキノシタ、ウツボグサ、などの
庭に住んでほしい草花を避けながら刈るのでとても遅いのだけど
おかげで10年もたつと、植えなくても一年中いろんな花が咲いてくれるようになるのです。
子どもでも大人でも
持っている才能を活かして適材適所
というのがいいなー。
相方に作ってもらうと、嬉しくて美味しいのです・・・
ああ、わたし、今でもコーヒーを淹れるのは好きです。
ゆ