先日3月11日で
東日本大震災と
福島原発の爆発、から5年。
多分にもれず
うちの場合もほんとうに激動の5年だった。
ただ、わたしたちの場合は
同じ場所にずっと住み続けての5年だったから
避難、移住、引越しをやむなくされた友人知人の激動とは
また違うことをかんじていたとおもう。
今日は、そんなことを書いてみたい。
この5年
おなじ場所でずっと状況の変化を見ていた。
ここ岡山はこの5年間で体感できた地震が
わたしの場合2回くらい。
それも一瞬揺れただけだった。
日本の中でも相当に揺れないところなのは間違いない。
わたしは7歳までは山口県に住み
それから引越しして15歳まで
千葉県に住んでいたので
関東がいかに毎月のように揺れるか
身体で覚えている。
大人は怖かっただろうが
子供のころは地震などたいして怖くなかった。
ピンポン玉くらいの
雹(ひょう)がやまほど降ってきたこともあったし
関東平野の気象は
中国地方とはずいぶんちがう。
中国地方はまあ、のどかなのだ。
天災も少ない。
海も瀬戸内海だから
波が立たない。
わたしの母は
学生のころ2年くらい東京に住んだだけで
あとはずっと山口に住んでいて
いきなり荒涼とした関東平野の田舎の社宅に
転勤になったので
「中国地方のまあるい山がない」
「地平線に太陽が沈んでいく」
「海が遠い」(広い県だから)
とかそういう風景の違いに
よく、鬱になっていた。
今でも夕方対太陽の沈む時間には寂しくなるらしい。
3.11前のこの場所は
田畑が広がる静かなところだった。
わたしたちは単に焼物がやりたくて
その環境を手にいれるために20代の後半で
住み始めた土地。
田舎暮らしに対して
まったく期待していなかった。
畑をやりたいとか
田んぼをやりたいとか
そういう夢は、おいといて
とにかく修行を無事に終えて
土地を見つけて、窯をつくって
独立するのだ・・・ということにしか
フォーカスがあたっていないので
そんなところが見えてないんですよね。
どっちかっていうと
田舎は、「こわいところだ〜」
と、おもっていた。
都会にいる間に
人の話で聞く、「田舎」のイメージは
・自由にできない
・仕事が少ない
・なかなか友達ができない
・不便
・遊ぶ場所がない
とか、まぁ、そんなひどいものだったのです。
これじゃ、ぜんぜん良いところないですね。
こんな風に想像してたのに
よく引っ越してきたものです。
それなのに
初めて住む、本物の田舎は
・人が親切、
・食物が豊か、美味しい!もらえる!採れる!
・遊ぶところがたくさんある(いつもすいてる)
・仕事をそんなにたくさんしなくても生きていける
・家賃がすごい安い(うちは家建てましたが)
・仲間までいる
地元の人たちは
想像していたよりも
ずっと親切で
その親切心を
ものをくれるという行為で
気前よく表してくれるのです。
・自分の田んぼでつくったお米をくれる人、
・無農薬の野菜を毎週のように持ってきてくれる人、
・海でとれたばかりのワカメを手に掲げ持ってきてくれる人、
・とったばかりのタコやアラメという美味しい貝をくれる人、
・庭のお花を切ってプレゼントしてくれる人、
・通りかかっただけなのにキャベツをくれる人(しかも二玉 バギーに入れて帰った)
・なにかのお礼に立派な自家製ブドウをくれる人、
・朝取りのトウモロコシを山ほど届けてくれる人、
・イノシシやシカの肉をくれる猟をする人、、、
しかも、どれもこれも 絶品なのです・・・
わたし、20年前ですが
銀座の夜の蝶だった時代があります。
蝶といっても
場末というとママさんに悪いが
銀座の端っこ〜の方にある
ママさんの弾くピアノがウリの
しごく可愛らしいお店です。
ママさんはパトロン無しで
しっかり自分で経営されてました。
すごいことだとおもいます。
品の良いお店でした。
その時期は他の女の子たちも
良いひとばかりで
(口コミで美大系の面白い子ばかり集まったので)
わたしはあの時期ほんとに
好きなお酒を飲んで
美味しいものを食べて、
楽に稼がせてもらいました。
(それはのちに罪悪感というどうしようもない感情を
生んだりもしたのですが)
まぁ、ひとつの天職だったのだとおもいます。
なにが言いたかったのかというと
わたしは、都会に生活していた時も
美味しいものを食べていたっていうことです。
特に、ジャンクなもので食いつないだっていう武勇伝は
ないんですよね。
オーガニックなものに目覚めたりもしていなかったのですが
今でも銀座という街にいいイメージをもっているのは
「美味しいものを食べさせてもらった街」だからかもしれません。
でもね、
おじさま達は皆素敵な方なのですが
わたしは証太と学生のころから
一緒になって同居していたので
付き合うわけにはいかないのです。
(いや〜 おぼこいですね)
あの手この手で誘ってくるのを
カニを食べたり 寿司を食べたり
お肉を食べたり、
シャンパンを飲んだりしながら
かわす、かわしながら、食べる。
って、なんか後から
「食べた気がせん」
という気分になることも多々あったり。
しかしながら、田舎の紳士たちは
かろうじて、お茶は飲んでいくけれど
ご飯に誘ってみても
「いや、用事の途中なので」
「孫と一緒に食べないといけないから」
とか言ってのってはこない。
とにかく、くれるだけ。
おもいました
なにこの親切なひとたちは!
(街だったらありえない!)
自然がおおらかだから人もそうなの?
(散歩して山菜とってもだれもお金払えって言わない・・・)
田舎の愛すべきおじちゃんたちを
銀座の紳士たちとくらべよう、というのではなくて
(そんなことしたら、双方に対してしつれいっすよね)
要するに
都会の美味をたらふくいただいた自分でも
田舎の食生活を前に降伏です。
緊張しながら都会で食べる美食よりも
田舎で緩んで食べる新鮮な美味は
もー、感謝、感謝のこころが湧いてきます。
それも毎年感謝してしまう。
良いひとになれてしまいそう。
だからね、都会でがんばって
オーガニックの食材買ったりしている
食に関しての意識が高い方々〜
ただ、田舎へ引っ越すだけで
がんばらなくても、オーガニックな生活できますよん。
と、伝えたい。
・・・あれ、
最初に書こうとおもった
3.11からの5年の間のこと
って、ただ 『田舎は美味しい』
という話になっていました。
今日はこんなところで。
また続きそうなら続けます。
ゆ
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