2016年01月20日

3.11から今までのこと

寒いですね。

昨日今日は晴れの国にも

少し雪が降りました。

岡山は暖冬だったのですが

木枯らしが吹いて

いよいよ冬らしくなってきました。

これで一段と瀬戸内の牡蠣も美味しくなります。





ところで

このブログを読んでくれている方

ありがとうございます。





ここに移住した9年前に

開設したのですが

忙しさにかまけて長いことほったらかしたり

非常に安定感のない更新状態でした。






特に、2011年の3.11のあとは

正直言って

なにも書けないし、発信できない、

という状態が長く続きました。




あの3.11の直前の日本は

岡山の田舎から見ると

生ぬるい膠着状態だったのを

よく覚えています。


わたしたちは、

初めての子供が生まれ

初窯の準備中で

自分たちの人生がいよいよこれから

というところで全く余裕がない時期でした。



その当時の日本の中が

うまくいっているとか

文化的に成熟へ向かっているというふうには

まったくおもえず、

自分たちもこのまま死ぬまで

このぬるいかんじをキープし続けていくのだろうか?

このままでいいなんてまったくおもえないけれど

まるで戦前の雰囲気を漂わせたまま

何十年もやっていけるんだろうか?

という、とりあえず低空飛行の平和なんだな

っていうふうにかんじていたのをよく覚えています。





あの福一の原発のキノコ雲が上がったニュース映像を見て


一瞬で、絶望、後悔、恐怖、といった様々な感情 

が胸に押し寄せてきて、

ほとんど同時に

ああ、こういうふうに結果がでてしまったのだ、

という、誤解を恐れずにいえば安堵にちかい

諦観に一瞬襲われました。

そして、深く納得しました。


病気になったら、体から排毒するために

吹き出物がでるように、

このままなにもなく行くことは無かったのだなぁと。





ちょうど、1年前くらいにあった

ケニアで修行したパーカッショニストのの

大西マサヤくんのライブのごろから

そろそろほんとうに原発がやばいよね

と、話をしていた矢先だったので

思っていただけではダメだった・・・

という、虚脱感がありました。





わたしは、そもそも、昔から

わりと言いたいことは口にする人間だと自分でおもっていました。


でも、ほんとうのほんとうに

誰にでも発信していたかな?とおもうと

そんなことなかったんですよね。


3.11前は、他人に接する時

「気を使って」話していた。

「人によって」話す内容を

ここまででいいかな

ここまで分かってもらえるかな

と、推しはかりながら話していた。とおもう。








そういえば

子供のころ、小学校の先生に

「人と違うことをするのが個性だと

 おもっているんじゃないか」


と、叱られて





「 ??? 」





ってなったのを覚えています。



わたしは学校嫌いではあったものの

不登校も結局しなかったし

成績は良くも悪くもなかったし

普通の子供だったとおもうんですけどね。

ただ、少し妄想癖があったり

テンポがまわりと合ってなかったりしたかもしれない。



でも、人同士って、そもそもみんな違うでしょう。

小学校の道徳の教科書にも国語の教科書にも

そういうことは載っているのに

多少変わった子供がいると

おなじ型の中に嵌めようとするんだなぁというのは

常にかんじていたわけです。




そして、大人になっても問題はおなじで

結局、原発というのは

遡れば教育問題でもあります。


わたしたちは小学生のころから

原発はクリーンな未来のエネルギーだと

教育され洗脳されてきていました。









3.11後に情報収集のために

いろいろな人のブログを読んでいました。


ほとんどは原発や放射能の情報を得るためだったのですが

去年ひょんなことから

「生きにくさ」を克服して

「楽に生きる」というテーマでブログを書いている人が

実はたくさんいるということをしりました。


先日の日記にちょっと書いています。




アメーバブログを使っているひとが

やたら多いのが特徴なのですが

皆が口を揃えて言っているのは、とにかく

「自分を自分で幸せにすること」

他人や社会の価値観に合わせるのではなくて

自分がときめくことでワクワクしながら

生きていく、ということを

いろいろな切り口で語っている。


みたところ

原発のことやら放射能のことなどは

ブログ上の問題にしていない場合がほとんどです。



しかし、わたしは読みながら

人間社会の中で

「本来の自分」ではないものになって

生きにくさを抱えながら生きている人は

こんなにたくさんいるのだということと

これを読んでいる人たちが

皆、自分なりの価値観で生きだしたら


石油システム、原発システム、金融経済システム

の社会も確実に変わるんだろうなぁという

希望をそこに見つけて、愛読しています。


だから、原発のことなど、なにも書いていなくても

そこには希望がある、とおもいました。





この時代に生れてきた人たちは皆

変革していく社会を見たいのだとおもいます。


宇宙の真理や大きなシステムがある、とすると

人間もその中の一部であり、人一人一人が

小宇宙です。


その宇宙が上手くいくための仕様書は

なにかというと、人の場合は

自分がやりたいこと、をやるしかないのですよね。




たとえば、わたしは

どう転んでも、この人生で

電車やバスの運転手になることは無かったとおもいます。

バレーボールの選手になることも無かったし

おそらく学者っていうのも無かったとおもう。

政治家もないし、医者も弁護士もない。

ワクワクもしないし、ときめかないから。


でも、それらにときめく人はいくらでも世の中にいる!

全体のために、いてくれるのです。



子供と一緒に暮らしてずっと見ていると

生まれたばかりでも人には明らかな個性があるし

その人の生きたい方向性が見えています。



人というのは、好きでもないのに無理やり

医者になったり、弁護士になったり、政治家になったりするものではない

先生だって、子供や、教えることが

好きじゃない人はなったらいけない。



自分のやりたいことを、やる。

それが、人間が自分を発揮できる

唯一の生き方だし

全体の調和は、それによってとれる。

たかが、生れてから死ぬまで

肉体がある中でのはなしです。

好きなことをやるために

生れてきているのに

好きなことを自分にやらせてあげないから

生きにくいのです。






そういえば、今思い出しましたが

わたしは子供のころ

「人が自分のことをひとり幸せにすれば

 世界中の人が幸せになれる」

ということを大発見した気になって

大人に吹聴したのですが

相手にされなかったことがあります。


大人は皆

「そんな甘いものではない」
「貧乏な人はどうすればいい」

とか、そういうことを言っていた。


それから、大人になって

ついぞ忘れていましたが

今、やはりそれでよかったのではないかとおもう。





3.11以降、社会に対する義憤がたまって

(毎日毎日なにかに怒っていたので)

1年半後に腎臓の病気になりました。

今までなったことの無い病気に突然なって

調べてみると、腎臓っていう臓器は

怒りや恐怖が溜まるところらしいのです。




わたしはそのとき、自らを不幸にしていたなぁとおもいます。


まず、自分を幸せにすること。


その器が溢れたときに

人にも幸せをわけてあげられる。


今はそうおもって暮らしています。












今日は長い日記を読んでくださってどうもありがとう。






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ラベル:3.11
posted by terra at 12:21| 岡山 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 3.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

料理のできる男がいいわけ



わたしはなぜだか若いころから

「料理ができる男の人が好き」

と公言していました。




なぜだか、と言いましたが

とりあえずの、なぜだか? ははっきり分かっています。

単純に父親が、

ぜんぜん料理できない人だったから。


(ついでに周りにもぜんぜんできる男はいなかった)




そして、

母親がそれを増長させながら

次の瞬間には、同じ件で愚痴を言うのを

見ていて、

これは女って救われないわ、、、と、

子供心にずっとおもっていたのです。



うちの親は

一般的に、というのか

いい親なんで

わたしとあわないところはそりゃあるけど

とにかく善人だし。

今となっては文句言ったら

バチあたるってかんじなんですけどね。





皆、誰でも最初の人生勉強は親からではないかなぁ。

もしも

お父さんが料理上手だったら・・・

お母さんが男に対して手ほどき上手だったら・・・



わたしはそれは世の中のあたり前のことなんだなぁ〜って

対してなにも感じずにスルーしていただろう。



手をあげられたこともあったし

わたしの個性を尊重するよりは

世間体が気になるたちだった。

だから、反抗したよね。

そういうやり方で

教えてくれていたのだ。と、

今は思えます。





我が家は転勤族だったので

親戚や友人のコミュニティーが無いところばかりを

子供時代、転々とした。




孤独に子育てしている親は

子供の締め付けが厳しくなる。

うちの親は

まわりに信頼できる関係の人たちがいないので

子供を常に自分の目の届くところに

置いておきたがるようになった。


わたしは自由にやりたかったし

学校の勉強の本じゃなくて違う本が読みたかった。



大人は大人で

大変かもしれないけれど

子供は子供で

コミュニティーのない家庭の中だけで育つと

経験値が不足しているなぁって

自分でおもって

普通の大人がみると

不良になったなー?という行動をしだすのだよね。




近所に、不良で優しい暇なおじさんとか

面白いおばさんとか、いたらいいんだけどね。



私たちがいた「社宅」っていう場所は

そういう変な人、素性の分からない人は

普段は誰一人歩いていないのです。



今思い出すと

宇宙につくった

人口の基地みたいなかんじもしてくる。





わたしたちの親は、

初めての「核家族」世代だけれども

「孤独な子育て」も初めての世代だったのだ。

自分たちは大家族で育っているのだから。

きっと、初めてのことで

なにも確信がもてないままに

働いて子育てしていただろう。




社宅って

集団でいろんな家族がごっそり住んでいて

お父さんがみんな同じ会社って

考えてみると

ちょっとグロテスクじゃないですか?





私たちのいた社宅は

そりゃひどいの。

人権無視。というか

人権は会社ルール。



A社宅 B社宅、C社宅 ってあって

Aの社宅は「部長職以上」
Bの社宅は「課長職」
Cの社宅は「平・係長クラス」

って、はっきりしてるの。



そのABCは、丘の上に建ってるから

子供はいつも学校の帰り

坂道だらけできつい。


なのに

丘の下にある

同じ会社の社宅(高卒の人専用!)

の親たちは子供たちに

「あの丘の上の社宅に入れるように勉強するのよ」

とはっぱをかけていたという・・・

これはもちろん装飾なしの実話なんだけど

自分で思い出しながら

やっぱりSFかと思ってしまう。


わたしはあそこに住むのは

ぜったいにもういや。

コンクリートで固まった

軍艦島のミニサイズみたいな住宅街。

ぜんぶ一緒。間取りも一緒。




⭐︎

⭐︎

⭐︎




親の心配をよそに

私たち兄弟は

引っ越しが楽しかった。


転勤っていうのは

何年かおきにやってくる

長い旅行みたいなもの

というのが、子供のころは体に染み付いていた。

その土地と別れる時に泣いたのは

最初の時だけ。






⭐︎





おとうさんたちは

たまに

お酒を飲んだ後

うちに流れてくることがあった。



席にもつかず

ずっとおつまみをつくっている母親

夜、皿洗いさせられている10才の私。

おじさんたちは

がはがは言いながら

顔を真っ赤にして

タバコを吸い

飲んだり、歌ったり、

かと思えば大声でキーセン旅行の話。

人の家に来てるというより

完全に飲み屋にしてるんよね。



⭐︎




それでね、わたしは


大人になったら

酒は飲む、タバコも吸う。

それで、男と一緒に飲む。

ご飯はつくらん。

料理ができる男がいい。




・・・ということになったわけです。






⭐︎


同じ幼少期でも

そのまま皿を洗って

ますますお料理上手になって

サラリーマンの家に嫁いで

やりくり上手・・・

という人生の女子もいるでしょう。





でも、わたしはそれでは

幸せをかんじられなかったのだなぁ。





















posted by terra at 23:23| 岡山 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 女と男について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

子供を見る


「子供を見る」

というのは

家事をしながら忙しいなかでキリキリしながら

「横目で」見る

のではなくて

文字通り「見る」のである。





「観る」の字でもいいのかもしれない。






:::


はっと気がつくと子供が


・・・



土間に水たまりをつくって長靴でバシャバシャやっていたり

100本くらい入ったクレヨンの缶をひっくり返したり

犬のゲージに入って寝転んだり

白い壁にマジックで落書きし始めたり

包丁で野菜を切りたがったり

お客さんが来たとたんに「だっちー(抱っこ)」になったり

机の角に頭ぶつけて泣き出したり

トイレに入ろうとすると「ぱいぱい、ねんね」と言い出したり



同じ絵本を何度も何度も読んでと言われたり

起き抜けにいきなり本を読んでと言われたり

寝る前に毎日同じ本を読んでと言われたり







:::






そういう時に

余裕があって

ただ落ち着いて「見る」

ことができると

子供といる時間はとても楽しい。






同じことでも

自分が余裕がない状態だと

機嫌よく対応できないのに



自分に余裕さえあれば

逆に、笑って面白がれる






特に、小さな子供がいるのに

親が毎日締め切りのある仕事を抱えていると

どうしても眉間に皺の入った顔を

子供に向けるようになってしまい

子供の顔がくもってくる。







これは、わたしの体験談だから

全ての女性に当てはまることではないだろう。





しかし、眉間に皺を寄せて毎日母親やっている女性がいたら

こういう風に考えられないだろうか





今やっているその仕事は

誰か他の人に頼むことができないか? と



もしかすると、

今、誰もやらなくてもいい仕事かもしれない、と。






今掃除をしなくても

誰も困らないかもしれない

今洗濯をしなくても

誰も困らないかもしれない

今食器を洗わなくても

誰も困らないかもしれない



旦那が困るというのなら、

旦那がやればいいのだ。

大人なのだから。






お母さんが機嫌が悪くて

困るのは誰か。

まずは、子供だ。

そして、夫だ。






わたしは、一体

誰のことを愛して

幸せになって欲しいとおもっているのか。






わたしは自分がまず幸せになりたい。

そして、欲をいえば、自分の幸せのために

子供も幸せをかんじてほしい、とおもう。

夫も幸せでいてほしい。





小さな子供の幸せ、は

母さんといっしょにいること

それから 母さんが笑っていること





だから、母さんは

自分の機嫌を、良くさせることばかり

選んで行くのが

よいのだ、とおもう。




わたしの場合

子供を「見る」時間

他のことは

なにもしていない時間がたくさんほしい。



家事をするより、仕事をするよりもずっと。





子供はわたしの趣味で娯楽で、贅沢なのだ。


今日も天気がよかった



























(ゆ)







posted by terra at 16:46| 岡山 ☁| こどもと暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

あけましておめでとう 

あけましておめでとうございます。

元旦に書いていた記事が書きかけになっていたので
あとちょっと書いてアップします。


あけましておめでとうございます。<br /><br />昨年中はたいへんお世話になりました。<br /><br />今年もしごとと暮らしを楽しみます。<br /><br />みんな、よい一年になりますように。<br /><br />#cava

大晦日の夜。

モモと一緒に寝ていたら

「乾杯しようよー」と

0時に証太に起こされました

返事はしたものの、1時までうとうとしていて

やっとのおもいで起きたら

証太が「 もう眠くなって来た 」というので

まずむかっとして、怒る( 初怒り )

びびった証太が

「いや、大丈夫!もう飲みたくなってきた」

というので

チーズを切って、カバを飲みだす。( 初呑み )





そういえば、と

モンクくん

に貰ったCDを久々聞く( 初聴き )

あらなんか気持ちよかった。

普段はアルバムごとに聴くことが多いけど

こういうDJの友人が作ったCDって

けっこう重宝している。

(モンクαくん、また物交してください)



彼はすごい爽やかな青年なのです。

林業(キコリね)やりながら

夜な夜な、DJやってる。

キコリのしごとで

チェーンソー使っててケガしたとか。

爽やかな顔で怖いことを話します。



朝早そうな仕事と

夜遅そうな仕事、両方やっているみたいだけど

どうやってんでしょうね。

2枚貰ったCDはどちらも

うちのヘヴィーローテーションになっているのですよ。








1枚聞いている間に

2回授乳( 初授乳 )


モモ、1歳9ヶ月 おっぱいはまだまだたくさん飲む

おかげでわたしは歳のわりにすごく食欲がわくので

食べることを長く楽しめてて嬉しい。

これはモモからの贈り物だなぁ。








わたしは女性の中ではかなり大食いの人なので

いつもうどん屋で、3玉たべていました。

しかし、モモがお腹にくる直前ごろ(39か40歳ごろ)には

あれ、1玉へらした方がいいんでしょうか?

という腹具合になっていたので

授乳をやめたら2玉になるのかな?

どうなんだろう。






女の身体は年令で劇的に変わっていきますねー

年令でも変わるのに

出産があると、その前後

もう、ホルモンの移り変わりで

自分なのか自分じゃないのか

わけがわかりません。




自分の身体の変化を追っていくだけでも

男性基準で考えたら絶え間なすぎて

女で生きるのって、

フィジカル的にはたいへんなことですね

変化を受け入れていかねば生きられない。




生理、出産、

ただ生きてるだけで痛いこと多いものね。

ああ、脱毛とかも。

最近では男性も整えていらっしゃるようですが。





わたしは珍しく、というか

正月に生理が重なるのって今まで記憶にないのですが

年末から始まって

大晦日だったのでおせちを少しづつつくったり

でもお腹が重くなってきて

身体が動かなくなってきたので


証太に「生理になったからお腹いたい」

とただ伝えて、ぼおっとしたり。



ここで伝えておかないと

忙しい時期なのにただ機嫌がわるくて

怠けている人になってしまうので

説明がだいじとおもいます。







証太はけっこうわたしの生理の時期を

わたしよりも把握していたりします。



わたしのご機嫌に直にかかわるから、気になるのです。

(気になって当然っちゃ当然ですが。相方の体調のこと)



昔、機嫌がわるくてカッカしている時に

証太が「ああ、ゆう、もうすぐ生理なんだね」

と言った時に

「 へ? 」と脱力しました。

そういう認識?って。

まだあれは、お互い20代だったのではないだろうか。



証太は、妹が3人いる人。

わたしは、弟が2人いて、

自分も兄ちゃんみたいな気分だった。



わたしは、女なのに思考の人で

証太は、男なのに感覚の人だった。



わたしは若いころなんでも理詰めでやってて

その一方、どうしようもならない

自分の感情の波に身体ごと翻弄されていたのだ。

頭で考えたら、こうなるはずなのに


なにこの身体??

てゆうか、心??


そのころは、自分の感情の上がり下がりが

社会的にはゆるされないことだと思っていたので

ふだんはぼぉっとわりとなにも気にせずに暮らしているのに

ふとしたことで落ちると、泣きわめきながら

反省したり後悔ばかりしていましたね〜

ああ、やだやだ20代のことおもいだすの 笑













証太がわたしにとって

すごく良かったところは



女が感情が上がり下がりすること

生理の周期に関係があること

男の自分はこの流れに身を任せるしかないこと




ということを

若いのに

妹たちも母親も、みんなそうだから

という経験則で知っていたこと。



釣りが好きだったから

自然相手と一緒だからどうしようもないって

体感していたのかもしれない。




女に幻想を持っていない人。

現実の女をたくさん知っている人。




そういう男の人を、わたしは

求めていたので

わたしたちはそこでつながっているのです。










釣りの時に

潮の満ち引きを確かめるようなものなので

あなたの相方が女性だったら

彼女の生理の周期は覚えておいて

ご機嫌みてみたらいいとおもいます。



その方が

自分が楽に幸せに生きられそう。












今年もいろいろとよろしくお願いいたします。








ゆう 拝


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posted by terra at 15:15| 岡山 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする