2015年12月18日

かわいい ほしい

昨日の記事のつづき



Lucie Rie展にて

美術館のTVモニターで繰り返し流していた

彼女の制作風景。

小さな電気窯で

ひとつひとつ丹念につくっていく様子。



リーさんとうちの焼物は

まったく逆ほどやり方が違う。とおもった。




リーさん、若いころ結婚したことは

あったようだけれど

焼物をやり始めてから

家族は持たずに

ハンス・コパーや バーナード・リーチの

協力を得て制作していたという話。





リーさん は

電気窯で  
さまざまな釉薬をかけ 
女性が
男性の協力をもとに
つくった焼物



うちのは

薪窯で
無釉で
男性が
女性の協力をもとに
つくる焼物



なりたちが真逆でしょう。


それなのに

それだからなのか

証太にも、わたしにも

とても学ぶところや気づきや

これからのモチベーションになるヒントに満ちた

展覧会だったのです。


証太は言葉ででてくるのはゆっくりな人なので

作品で昇華されるのを待ちましょう。

楽しみです。



会場にも、きっと自分でも「つくる人」

けっこういたとおもう。


みんな目が真剣だったもの。


「つくる人」は

見るところがわたしとはぜんぜん違うんだろうね。


うちの場合

証太は「つくる人」で

わたしは「みる人」


いつもそうだったな。

わたしは「みる」だけだけど

それはそれは真剣です。










焼物って、やっている人がとても多い工芸です。


クラフトフェアで出店者を見ていても
8割がた焼物で
あとの2割で木工・金工・布もの・紙もの など
というかんじ。

土と水と木と火があればできるから。







うちの焼物のやりかたは

焼物という小宇宙を創造するために

登り窯を手でもって長い間「焚く」という祭りで

マジカルなことがおこることを

祈っているわけです。



窯の中で何日間も火で焚かれて

狙うに狙えないほどに

多様な変化をして窯から出てくる焼物は

すでに自分たちの手を離れて

まるで鉱石みたいな自然物になるから。









ルーシーさんは

そんな窯の変化ではなくて

釉薬と、綿密に計算した電気窯の

温度の完璧な変化で

自分が狙った通りの


トルコ石色や、ピンクや、エメラルドや、白や、

黒や、ブロンズや、ゴールドや、様々なときめく色をつくりだした。

その配色が、なんと絶妙な。










リーさんの展示会

悶えながらガラス越しに

ひとりでブツブツ


かわいい、ほしい、かわいい、ほしい


と言いながら、全部見る見る見る。




ちなみに

帰って家で調べてみたら


ボタン一つ3万円から。

しかも市場に出回る数はごく少ないみたいだ。


もう、つくる人がいないっていうのは


こういうことなんだな。



あのカップアンドソーサーも

あのビネガーアンドオイル入れも

フラワーベースも

サラダボウルも

すべて今はガラスケースの中。



花魁みたいに。

あでやかな色に魅入られて

触れてみたいが

触れられない。






美術館で、となりに立ってた人も

「う・・・し 志野みたいだ・・・」


とか、つぶやきながら白い花器を凝視していたなぁ。



みんな自分の世界。


みんな自分とリーさんの焼物の世界に入っていて


幸せそう。


あまりに美しい焼物をつくってしまって


誰かのテーブルの上ではなくて


こうして様々な都市の美術館から美術館へ


疲れを知らず旅をして


たくさんの人を幸せな気持ちにさせてきた器たち。



リーさんがどれだけ


強く優しく美しかったか

そこからわかります。












そんなリーさんが

結局、家族を持たなかったのは、なぜだったのだろう。

常に、周りに魅力的で才能溢れる男性たちがいたにもかかわらず

誰とも結婚せず、同居せず、ひとりで世界をつくりだしていた。



聡明で、才能豊かで、ノーブルで、ユーモアがある、

あまりに完成されすぎ、しかも美しいリーさんという人は

パートナーを必要としなかったのか。





リーさんの時代は

まだまだ女性が自分の名前ではたらくだけでも

難しかったのかもしれない。



その上に、主婦までなんて

とんでもないとおもったのかもしれない。



今と同じ感覚では

彼女の人生をはかることはできないけれど






実物を見るというのは

ほんとうにいろいろ考えさせられるものだ。


今まで、写真で見るだけでは

彼女の女としての人生まで

おもうことは無かったのだ。



手で作ったものは


それだけ


たくさんの情報をもっている。


作った人の肉体がなくなっても


やはりそこへ込めた魂は


なくならないのだな。




#ルーシーリー






(ゆ)




ラベル:登り窯
posted by terra at 17:36| 岡山 ☁| 焼物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Lucie Rie 展 へ


Lucie Rie の展示会へ
姫路の美術館へ行ってきました。

#ルーシーリー展






















今回は美術館へ行くだけになったけれど
姫路もなんだか良さそうな街だな。
レンタルサイクルがたくさん置いてあったから
ソラは乗りたかったらしい。
今度来た時乗れたらいいなぁ。

ルーシーリーの作品、実物は初めてだったので
親はひとつひとつ夢中で観ていたけれど

作品の高さが大人の目線になっているからか、
子供は早くに飽きちゃったみたい。

自転車が気になっていただけかな。


入ってすぐのところに展示してあった青い台鉢
宝石みたいに綺麗な色だった。



わたしは証太の焼物が好きだけど
もちろん焼き締めだけが好きなわけじゃなくて
色々な焼物が好き。


リーさんの焼物いいなぁ。
できれば食卓にぜひ置いて使いたいとおもう。
美術館の中にあって使えないのがざんねんだ。


リーさんはもうこの世にいないから
残されたリーさんの作品は、昔は「商品」でもあったのだろうけれど
今は後世に伝えるべき「作品」としてあるわけだ。


映像で見たリーさんはとても上品な女性だ。
「品が良い」を体現している。
白い服を着てロクロ台の前に座って
黙々と制作する落ち着いた顔。
ロクロの回転に合わせて拍をとるように頭も回っている。



わたしは焼物やさんに出会う機会がまぁまぁ多いわけですが
20年前からずっとおもっているのは

焼物は作った人にほんとうにそっくりだなぁ
ということ。


容姿や性格、スタイルやプロポーション、
なんやかんや、
とにかく、ひっくるめて
焼物はその人に似ているのです。



技というのはうまくなりたいとおもうのが当然で
そんな気持ちでしごとをしていたら
年々どうしてもうまくなっていきます。



技以外のところで、その物のもつ雰囲気は
どうやって作られるのでしょうか。


リーの作品がどうしようもなく持っている
「品」



傑作だらけの個展のような
素晴らしいセレクションのルーシーリー展を見ながら

その器が作られた時の
彼女の指のうごきや
息遣い
目線
それらがどこに注がれたのか
なにを思ってこの形をつくったのか。

想像しながら

見ていると
ドキドキします。



女性がつくったんだなぁ。


あ、モモが泣いているのでおやすみなさい。







(ゆ)
posted by terra at 03:36| 岡山 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする