10月にやった5回目の窯焚きは
1番の部屋を大友さんたちが詰めて
共同で焚いてくれた。
焚いている間、20年前からの大友さんたちとの
記憶を反芻していました。
証太は、19才の時に
ひとりで岡山に来て
大友さんの窯焚きを手伝わせてもらった。
今おもうと、それが焼物家になるきっかけだった。
旅から帰って、東京でユウにであって
次行く時は一緒に岡山へ行こうと誘った。
それから、ユウも一緒に毎年
岡山の大友家へかようことになった。
そのころ、大友さんの家には
ヒサシさん、エミコさんというふたりの作家がいて
40代のふたりには高校生と小学生の子供がいた。
20代のわたしたちは
こんな40代のひとたちはいいなあとおもった。
それに、こんな生活もいいなあとおもった。
そのころは二人で東京に住んでいて
自分たちの狭くて電車の音がうるさいアパートは、
夜中寝る時しか帰らない
アジトみたいなものだった。
岡山に来ると、
ひろくて静かな田舎の景色や
いくらでもあるきれいな空気も星空も
とても気持ちがよかった。
東京に住んで毎晩夜遊びしながらも
田舎で自由に遊んでいるひとの方が
なんか、楽しそうに見える・・・
大友家の、業務用のガス台が置いてあるキッチンで
焼き鳥を焼きながらビールを飲んだり
おでんを煮込みながらお酒を呑んだり
作っては食べ、喋っては飲み
音楽を聴いたり 映画を観たり
夜も更けたあとは
酔った順に各自部屋に入って寝かせてもらっていた。
家でリラックスして友人とご飯を食べたり
お酒を呑んだり、次の日まで遊んだりすることは、
わたしたちのどちらの実家のスタイルにもなかったけれど
すぐに自分たちの暮らしに取りいれる。
そのころ、自分たちがかっこいいとおもう大人は
「自由っていいやろ?」
っていう雰囲気がいつもしていた。
自分たちもどうしたら
そういう大人になれるんだろうかって
20代のころはよくわからずに
好きな大人にくっついてって
遊んでもらって
このひとくらいの歳になったときは
こんな風に暮らしていたい
と漠然とおもっていたことは
今ごろ、イメージ通りになってるなぁとおもう。
19や20才のころのわたしたちは
おたがいモラトリアム期だったので
今のこんな暮らしがずっとしていたいけれど
それは無理なんだろうなぁ・・・
とおもっていた。
若かったので
その場その場で楽しそうな仕事を選んでやりながら
忙しかったけれど
食べたり飲んだり旅したり
好きなことをやって暮らしていた。
好きなことをやって暮らしていたけれど
好きなことをしごとにはできていなかったので
まだ地面に根っこがないような状態だったんだとおもう。
その後、30代はほんとうに文字通り怒涛の時代で
なんの因果か馬車馬的に働いてしまった。
そしたら、40代になったら
しごとも遊びも暮らしも
ぜんぶ一緒になってもいいような
生活が今になってきがついたらできている。
20年前の自分に
今の自分がなにか言ってやれるとしたら
「好きなことをやるしかないよ」
っていうことだけだ。
今、自分たちが子供に
いつもそればかり言っているように。
証太は、窯焚きが好きになって、
今こうして焼物家になったのだ。
わたしは昔から証太が好きで
証太が好きになったものも好きになって
今ここにいるんだな。
窯焚きって、たいへんでしょう?
と、よく言われるのですが
たいへんじゃないんです。
いつも
窯焚きは「祭り」とか「神事」だなぁと。
わたしは無宗教なのですが
1000度を超す窯の
熱と光を体感すると
今行われているこの行為が
人智を超えた
貴重なことだとおもわずにいられません。
窯の火に精魂つくす男たちをみていたら
ほれぼれするほどかっこいいです。
うちの場合は、窯焚きがあるおかげで
夫婦や家族のパートナーシップが
うまくいっているのではないかとおもっています。
(ゆ)