2015年11月25日

窯出し展示会

2015年 12月5日から

12月13日まで


自宅で展示会を行います。


以下はDMの内容です。

また追加などあれば更新しますね。



イベントや出店をしてくれるお店、

各各、名前や店名をクリックすると

それぞれのホームページに飛びます。


尊敬できる仕事をしている

ご紹介したい友人たちです。


ぜひぜひ 見てみてください。

(ゆ)










こぶさたしております。


寺園証太です

仕事場

2014年5月に二女 百(モモ)が生まれて

8ヶ月ほど主夫をやっていました。


(今もやっています!)



そんなこんなで2年ぶり

自宅での窯出し展示会を開きます。

10月に焚いた実験的窯焚きの作品もごらんください。


土日は素敵な友人がライブ出店をしてくれます。

蝦名宇摩ちゃんは僕たちに津軽三味線のかっこよさを教えてくれた人。

MUNCH’Sここのところ毎回

窯焚きの打ち上げパーティーを頼んでいる、素材にこだわった石窯ピザ屋です。


期間中出張コタンも オープンしてくれてます。

日によってはワッカファーム野菜飛び入りライブもあるかも。


ゆるりと遊びに来てください。






>>イベントタイムスケジュール<<


open    am 11:00 ~ pm 6:00 

   2015.12.  5  sat    

pm3:00~ 投げ銭ライブ

   蝦名宇摩  



     2015.12.  6  sun        

 ▶︎( 6日:空のピアノ発表会の為openpm 1 :00

     2015.12.  7  mon 

       

    2015.12   8  tue 

   

   2015.12.  9  wed
   

   2015.12.  10  thu
   

   2015.12.  11  fri
   

   2015.12.  12  sat      


  

   2015.12. 13  sun    

 am 12:00~

   pm 12:00~ 



       

    MUNCH’S

    
       石窯ピザ 移動販売




     ※ マンチズのピザの時間は 昼の12時からです〜 
  amになっていたので訂正しますね!すみません。














ゆっくり、開けます。













posted by terra at 03:11| 岡山 ☀| 展示会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

窯出しイベント 準備中

ここ最近は来月12月5日から


自宅で行う「窯出し展示会」の準備。


この展示会は初窯の時からやっています。


窯をつくって、初窯を焚いて


まだ個展をやってなくて


どこのお店にも置いてないころ


確か最初は2週間とか長〜い展示期間で


誰が来てくれるんだろう・・・と思いながら準備して。


それなのに、お客さんは毎日来てくれて


ありがたかったなぁ。


途中すごい風の日があって


「今日はさすがにお客さんは来るまい」と


家で酒盛りを始めていたら


来たじゃないですか、お客さん。


その人、ゆうりちゃんは、風が吹いたから来たくなったらしい。


人は色々だから、うまくいくんだなぁ。



手でものをつくって


それをひとつひとつ売って、暮らしていくことは


それだけで


キャピタリズムに対する


レジスタンスなのだとおもう。



修行がおわって独立したばかりのころ


初窯の商品を今みると


やっぱり今よりは下手ですよ。



でも、小川壮一さん に言われたのは


「下手でもかわいげがあれば、いい。


 上手くてもかわいげがないのは、よくない。


 寺園くんのはかわいいからいいよ」



小川(オガソー)さんは


すごく率直で自分軸の人なので


わたしたち二人とも好きな人だし好きな作家です。


好きな作家さんに本質的なことを褒めてもらって


うれしい。



褒められるのって、誰に言われるかが重要だな。






初窯のころに買ってくれた


お客さんや、友達、すごいとおもう。



看板も評判もない


証太がつくった焼物を


気に入ってくれて、買ってくれて。



なーんのブランドもないのに。


なんて目のあるヒトなんだと、わたしはおもうのです。


お客さんはある意味いつも自分を越えた人が来るなぁとおもう。


その時の自分になにかを教えてくれる人がきたりする。



わたしから見た証太は、純粋でスロウな人で


修行時代に展覧会などの出品をなにもしなかったのは



「だって、自分の窯で焼かないと自分の焼物じゃ無いとおもった」


と言うから、わたしは


その時は、正直困った人だとおもった。


だって、子供生まれたばかりだったし。




何度も一緒に窯焚きをした今なら


彼の言っていることの一端はわかるようになったけれど


ようするに世の中のことを計算とか、計画とかできんのだなぁ。



でも、彼のそういうところはすごく好きなところでもある。



うちに来てくれるお客さんが


いい人ばかりなのも


彼が心の広い人だからなんじゃないかとおもう。


独立するころに先輩に聞いた「困るお客さん」には、


実は会ったことがなくて


うちのお客さんって


ほんとうに素敵な人が多いのです。



たまにわれわれ夫婦で


お客さんのことを


「あの人たち元気かなぁ」と


言い合ったりすることも、よくある。


友達なのか、お客さんなのか


さだかでない時だってよくある。



あたりまえだよね


わたしたちみたいに自分をさらけ出す仕事していたら


どうやってもそうなっていっちゃうんだ。


焼物好きだって、気に入ってくれたら


自分たちの子供を褒められているようにうれしいのだから。




今回久しぶりに家で展示をして


お会いできるのがとてもうれしいのです。


個人的にゆっくり話をできたらいいんですけどね。



焼物だけだと、せっかく牛窓に来てもらってもったいない


とおもうので


今回はイベントの日をつくっています。



初日に 宇摩ちゃんの津軽三味線の超絶ライブがあったり。


最終日に美味しい石窯ピザが目の前で一枚一枚焼かれたり。




平日はけっこうゆっくりだとおもうので


焼物のほかには コーヒーくらいあったらいいわ


という方は、平日を選んでいらしてくださいね。







詳細は追って更新します。










モノには、初めは価値などない


ヒトが、モノに価値を与える


ヒトのおもいが、モノに価値を与えるのだ。





今45度<br />10月後半の朝は肌寒い



(ゆ)




posted by terra at 03:02| 岡山 ☀| イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

窯をつくるところから



おととい10月の窯焚きの打ち上げをしたのだ。

友人のピザ屋 マンチズに

今回は60枚ピザを発注。

大人9人(ひとり風邪でおやすみ) 子供7人で 残らず食べた。



今回、窯に焼き直しの作品を入れてあげた関係で

伊藤環さんの家族もご招待。

環&香さん 「引っ越してきてよかった〜」
      「街でこんなことしたら近所の人がたくさん来ちゃう!」

よろこんでもらえてうれしいです。


環さんは釉薬ものを作っている作家さんで

いちばん初めは


「伊藤さん一家、引っ越したいんですって
 トシもちかいし、よろしく〜」

って連れてきてうちにおいていったのが出会い。


だいたい同年代だし

証太と環さんはけっこう同郷にちかい。



あとでわかったことだけど

証太の親戚のおじさんと

環さんのお父さん(お父さんも陶芸家)

は実は長い付き合いだったみたい。




まあ、いつかどこかで出会っていたのだろうなぁ・・・

というかんじだけど、


出会い方としてはベストだったんじゃないでしょうか。


わたしにとってベストな出会い方とは

「緊張感のない出会い方」です。

リラックスすることで人は魅力を発揮できるとおもう。




環さんと、相方の香さんはいつも

「薪窯はいい、すばらしい!」

と、薪窯愛を語ってくださるのだけれど



備前焼の修行をした人は


     「ふう〜ん? ・・・窯作ればいいのに !!!」
          

あたりまえだけど

薪窯に対するスタンスがカジュアル・・・

その場にいた備前の作家は

みんな自作の窯を持っている人たちだったの。



 だいたいみんな窯をつくるのは
 プロに頼むので
 自作で窯をつくる人は今は少ないんですが。



岡山の備前焼って、たぶん今の日本では最も

まだ普通に薪で窯焚きしている人が多い産地なのではなかろうか。


「薪で焚く」ということが

あたりまえで、特別じゃない場所です。

だから、うちはここに窯をつくった。

だって、他のところに行ったら

割木はどうするのか、土はどうするのか、

そして、最も困るのは窯焚きの手伝いを誰に頼めばいいのか。

その全ては備前にあるから、

ここが備前焼をつくるのには、いちばんいいところなのだ。

証太は、独立するころ

よく「焼物は産地の風土がつくるものなんだ」

と言っていた。

福岡っ子でとんこつラーメン大好き

やわやわのうどん大好きな彼は

福岡近辺で窯をつくる夢もすこしは見たとおもう。


でも、やはり焼物は産地のものなのだ。以上。


だから、備前焼って

全体が過去っていうか

ある意味取り残されているんだけど

ありがたいことです。

取り残されていてくれてありがとう。

そのまま残ってくれてありがとう。

プリミティブで、最高にかっこいい焼物だと

わたしたちは今もおもいます。



釉薬ものの方から焼物に入った作家の方たちは

薪窯が特別なかんじがするのでしょうが

備前焼においてはまったく普通です。




窯焚きは、

誰でもがすぐにできることじゃないのです。


マニュアルがない。

窯によって、人によって、毎回絶対に違う。


だから人の窯を焚かせてもらって

自分の窯を焚いて

経験を繋げていくことでしか

その雰囲気を身につけることができない。

備前焼では、窯焚きの技術(雰囲気)が

継承されているということなのです。

窯焚きこそが「伝統工芸の技術」なのです。





昔、パナソニックで技術者だったというおじさんが

窯焚きに興味がでたのか

毎朝見学に通ってきたことがありました。


毎日来ては、証太に

「窯焚きはどうやってやっているのだ」

ということをなにか聞き出そうとしているのですが

その仕様書もない、航海図もない、

頼る人もいない、前例もない、仕事の世界観に

「とにかく、俺にはこの仕事はできん!」

と、べつに聞いてもないのに諦めていました。



大丈夫!無理に誰もやれって言わないから〜

こんなこと、楽しいとおもった人しかやらないよ。




うちのようなまだ若い窯の場合

まったく安定していないので

そこが面白いところなのですが、

とにかく一回一回、一瞬一瞬が、

初めての判断の連続になります。

初めての海を航海しているのと一緒だし

子供を産む時と一緒です。



十回ほど焚くと、窯の中がよく焼けて安定してくるようなのですが

そうなると面白さを求めて、一部作り直したりする人もいたりするのです。

備前焼をやる人は予測不能を求める人が多いのかな。



窯焚きは経験を重ねて

身体に覚えさせるしかないようなのです。


ああ、なんて単純。


証太は、お弟子のころ

どんな人の窯でも、行けるチャンスがあれば

焚かせてもらいに行っていました。

「勉強したいのでやらせてください」というわけです。

夜中に頼まれることも多かったので

わたしはさみしくなると

その窯焚きを見に行って

朝までふたりで話しをしながら

窯焚きしていたりしました。

まだ自分の窯なんか無かったあのころ

火を見ながらとりとめなく話ができる

なかなかいい時間でした。



わたしたちは、これからも

自分で窯をつくりたいとおもっているような

若い陶芸家の人たちとも、たまに

窯焚きをやっていけたらとおもっています。


先日、カフェドグラス の末藤さんに

「気さくに他の作家の人の焼物を入れてあげるなんて

 そんな人はなかなかいないでしょう?」

と言われたのですが、どうでしょうか。

他の人がどうしているのかは知らないんですが。



でも、証太が19才の時に大友さんの窯焚きに参加しなければ

わたしたちは

今、こうしていなかった。


ちょっとしたことで、

いろいろなことがより面白く変わったらいいとおもう。



証太が窯を作っていた時に

「手伝わせて」

と言って、日々、そして夜な夜な、

手伝ってくれた

剛くん、田中くん、三浦くんは、

今はもう自分の窯を自分で作っています。


剛くんは、もう窯つくりはフィニッシュしていて

あとは初窯まで、相方のまりちゃんと二人三脚。


あと、窯づくりを手伝ってくれた友人の

ヨッシーはパン職人だけれど

彼も自作で石窯をつくった。

(ピザ屋の友達はピザ窯をハーフビルドした)



窯づくりは伝染するらしい・・・!



薪窯の旅は

まず窯をつくるところが序章。

窯がないと、はじまらない。


レンガを積み上げ続ければ、いつかはできる。



このブログの前半部分は

証太が日々すこしずつレンガを積んでいく

写真の記録なので、参考になるかもしれない。




窯つくって

焚こうよ。

窯焚き、おもしろいから。



(ゆ)





#窯出し手入れ中


12月の前半に窯出し展示を久しぶりにうちでやるので
せっせと手入れをしています。




ラベル:登り窯 薪窯
posted by terra at 01:39| 岡山 🌁| 窯焚き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月14日

昔の日記から 母乳のこと 2007・2・6

Mother's milk
2007年02月06日22:52
じぶんは母乳がよくでるタイプのよう。 

近所に乳がでなくてこまっている方がいたら 

わけてあげたいと思うくらい。 

最近は乳がはじめごろより薄くなっているのか 

娘が口を離すとぴゃーっと飛んだりしてる。 


たのしい。 



このおかげで愛娘の体重はもりもりと増えて4600g越。 

もーなんか太ももとかおしりとかおなかも手も 

まるまるしちゃって、おいしそー 




いざという時にミルクを飲まなくなるから、 

たまには哺乳瓶にも慣らしておきなよ、と 

アドバイスもらうのだけど 

哺乳瓶、なんか面倒でだめ・・・特に眠たいとき。 


生まれてすぐから添い寝してたから 

夜中は「添い乳」娘とお互い、寝ながら授乳。 

これじゃないと、身体がもたないだろー。 

32歳初産 なんで無理しないでおこうと。 




娘が夜中に横で、ねえねえ、と乳を求めてくる 

ジェスチャーもかわいらしいし 

そこで、ぽいっと乳を出して咥えさせたらおしまいの 

簡単さがよいです。乳って。 

おきて哺乳瓶にミルク溶かすなんて、とてもわたすには無理。 






ところで、授乳してるとお腹がやたらすくので、妊娠中よりも 

大量に食べてるんだけど、食の好みもすごく変わった。 

妊娠中でも食べたくなかった甘いものがおいしいのなんの。 


まいにちチョコレートやパウンドケーキやカステラなんかの 

甘味をぱくぱくぱくぱく。くってます。 


もともとは酒飲みで甘いものは興味がなかったので 

不思議なほどの趣味のかわりよう。 

糖分が乳からでて虫歯になったりしないのか。 





でも、乳を出している間は私は太らないらしい。 

高カロリー食を大量に食べてるので 

私の場合は減らないでだいたい元に戻ったところでキープだけど、 

この時期に激やせしちゃう人もいるらしいやね。 



しかし次から次へと面白いことがおおいよな 

子育てしかしないのに全く退屈しない・・・ 








そら が生まれて2〜3ヶ月のころの日記を
ひっぱりだしてきました。
ああ なつかしい。


むかしの日記を読むのは
自分のことのようでいて
自分のことじゃないかんじ。
今の自分とは違うひとです。

昔のわたしは
そら の授乳ができる自分のおっぱいに
よろこんでるんだな。
おっぱいって不思議だもんなぁ。
なんでいるだけでるんだろう。
とっても便利!
これがでている間は
子供を育てるのにこれを使うのよって
体に言われているかんじ。
まるで魔法使い。
ふつうのお母さんって魔女じゃないの。

自分の昔の日記って
自分がいちばん読んで楽しめるんだとおもう。



二女 もも が生まれて1年半。
毎日ももが欲しい時におっぱいあげてるけど
この子はいくつまで飲むのかな。
もう、昔のようには乳が飛んだりしないけど、
これがわたしの今生のさいごの授乳だとおもって
おっぱい生活を楽しんでる。

そら の時は卒乳とかそういうことは考えずに
飲みたい時に飲みたいだけ飲ませていたら
4歳のときに自分で
「もうのまなくていい」
と言って 飲まなくなった。

4歳なんて超たいへんな〜って
おもうひともいるかもしれないが。


ひとが「やりたくないこと」を
がんばって「やらせる」こと。
わたしはほんとに苦手。

そこの努力はしたくない。
わたしにとってはその努力は
無駄。だって自分が楽しくない。
飲ませっぱなしの方が楽なのだ。

おっぱいもうんちも事情は
人それぞれだとおもうんだよね。

親の性格と生活スタイルと仕事と
子供の性格と嗜好と興味と
組み合わせは無限にあるよ。


うちは、基本的には見守る。
やりたいことを手助けだけする。


そら の小さいころは
足りない知識を補うべく
育児書も何冊か読んでみた。

ぴんときたところは
本質的なことだけとりいれた。
解説書ではなくて
その提唱者の本を読んでみるのが
理解が早いとおもう。

最初に読んだのは
シュタイナーで
いつ出会ったのかも
覚えていないくらい
自然に出会っていた。

彼の教育に対する気持ちは
共感するところが
たくさんある。


ただ、この教育を徹底しようと
おもうとうちはむりだなぁと。

近くにシュタイナーの学校があれば
行かせてみたとおもう。
でも学校のために引っ越しはしない。
親には親の事情がある。

なにせ3年以上かけてつくった
登り窯が、家のとなりにいるのがうちなのだ。

今、ここで、できることだけを探していた。
また原発が爆発したら
この限りではないけれど。


モンテッソーリは
役に立ちそうだなーとおもう工夫が
たくさん紹介されていて楽しい。

子供がよろこぶ道具をたくさん
つくってあげるんだけど

わたしには
この努力はできないだろうなぁと。

現実的に靴下の穴を
繕うのも滞る時があるのだから。

子供の成長に応じて
自分がいろいろ工作するのが
間に合うか?
たぶんむり。


教育論もいろいろあるけれど
結局、親の適性で選べるものって
違うんじゃないのかとおもった。
子供以上に親は良いからっていっても
いきなりできない。

育児書に書いてあることが
すばらしくても
読んだだけで
人生の中で「実践」できなければ
まったく意味がない。


わたしと証太が
実践できそうだ、
自分たちの指針になるなぁと
採用したのは
デモクラティックスクールのはなしだった。

子供の成長を
子供の自然な自性に任せて
見守る学校のはなし。

これは乳幼児の育児書ではなくて
そら が学校へ行かないと自ら決めてから
わたしと証太が読み始めた本の一部だった。

デモクラティックスクールは
イギリスのサマーヒル
アメリカのサドベリーバレーなどが有名。

読んだ本は周りの人に貸している間に
どこかに行ってしまった。
これを読んでいる友達が持っていたら
返してほしいな。


これを読んだ友人の中には
日本のフリースクールを
見学に行きまくって自分でも
フリーホームをやってみたり
がんばってる人もいる。


わたしたちは
子供が自主的に育つ
ということを実証している人たちが
この世にほかにもいるということを
確認できたらもうそれでよかった。

「見守る」って実は
簡単に見えて難しいのだけど、
心がけることによって
わたしたちも鍛えられた。


出産の時と一緒。
自分の持っている不安を
学習によって解消したら
あとは「やるだけ」なのだ。
「やってみるしかない」
時間はとまらない。


子供のことって
お腹の中にいたころと一緒で
その子だけをじいっと見て
声を聞いていたら
基本わかることが多いんじゃないか。
と おもってる。


(ゆ)


IMG_0760.JPG












posted by terra at 05:31| 岡山 ☔| こどもと暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

10月の窯焚き



























10月にやった5回目の窯焚きは


1番の部屋を大友さんたちが詰めて


共同で焚いてくれた。

焚いている間、20年前からの大友さんたちとの

記憶を反芻していました。





証太は、19才の時に

ひとりで岡山に来て

大友さんの窯焚きを手伝わせてもらった。


今おもうと、それが焼物家になるきっかけだった。


旅から帰って、東京でユウにであって

次行く時は一緒に岡山へ行こうと誘った。


それから、ユウも一緒に毎年

岡山の大友家へかようことになった。


そのころ、大友さんの家には

ヒサシさん、エミコさんというふたりの作家がいて

40代のふたりには高校生と小学生の子供がいた。


20代のわたしたちは

こんな40代のひとたちはいいなあとおもった。

それに、こんな生活もいいなあとおもった。


そのころは二人で東京に住んでいて


自分たちの狭くて電車の音がうるさいアパートは、


夜中寝る時しか帰らない


アジトみたいなものだった。






岡山に来ると、

ひろくて静かな田舎の景色や

いくらでもあるきれいな空気も星空も

とても気持ちがよかった。



東京に住んで毎晩夜遊びしながらも


田舎で自由に遊んでいるひとの方が


なんか、楽しそうに見える・・・




大友家の、業務用のガス台が置いてあるキッチンで

焼き鳥を焼きながらビールを飲んだり

おでんを煮込みながらお酒を呑んだり

作っては食べ、喋っては飲み

音楽を聴いたり 映画を観たり

夜も更けたあとは

酔った順に各自部屋に入って寝かせてもらっていた。


家でリラックスして友人とご飯を食べたり

お酒を呑んだり、次の日まで遊んだりすることは、

わたしたちのどちらの実家のスタイルにもなかったけれど

すぐに自分たちの暮らしに取りいれる。





そのころ、自分たちがかっこいいとおもう大人は

「自由っていいやろ?」

っていう雰囲気がいつもしていた。



自分たちもどうしたら

そういう大人になれるんだろうかって

20代のころはよくわからずに

好きな大人にくっついてって

遊んでもらって

このひとくらいの歳になったときは

こんな風に暮らしていたい

と漠然とおもっていたことは


今ごろ、イメージ通りになってるなぁとおもう。




19や20才のころのわたしたちは

おたがいモラトリアム期だったので


今のこんな暮らしがずっとしていたいけれど

それは無理なんだろうなぁ・・・


とおもっていた。


若かったので

その場その場で楽しそうな仕事を選んでやりながら

忙しかったけれど

食べたり飲んだり旅したり

好きなことをやって暮らしていた。

好きなことをやって暮らしていたけれど

好きなことをしごとにはできていなかったので

まだ地面に根っこがないような状態だったんだとおもう。


その後、30代はほんとうに文字通り怒涛の時代で

なんの因果か馬車馬的に働いてしまった。


そしたら、40代になったら

しごとも遊びも暮らしも

ぜんぶ一緒になってもいいような

生活が今になってきがついたらできている。



20年前の自分に

今の自分がなにか言ってやれるとしたら

「好きなことをやるしかないよ」

っていうことだけだ。



今、自分たちが子供に

いつもそればかり言っているように。


証太は、窯焚きが好きになって、

今こうして焼物家になったのだ。

わたしは昔から証太が好きで

証太が好きになったものも好きになって

今ここにいるんだな。



窯焚きって、たいへんでしょう?

と、よく言われるのですが

たいへんじゃないんです。



いつも

窯焚きは「祭り」とか「神事」だなぁと。

わたしは無宗教なのですが

1000度を超す窯の

熱と光を体感すると

今行われているこの行為が

人智を超えた

貴重なことだとおもわずにいられません。


窯の火に精魂つくす男たちをみていたら

ほれぼれするほどかっこいいです。

うちの場合は、窯焚きがあるおかげで

夫婦や家族のパートナーシップが

うまくいっているのではないかとおもっています。




(ゆ)

posted by terra at 17:32| 岡山 ☁| 窯焚き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

昔の日記から 「45日目」 命の責任は誰がとるのかということ



ソラはお腹にいた時から体重が

少ない赤ちゃんだった。


お医者:「小さいですね」

わたし:「なにか原因があるんでしょうか」

お医者:「わかりません」

わたし:「・・・・・」

毎回この会話を繰り返したなあ。



臨月ごろにはお医者さんが

「責任が持てない」から

「病院で産んだ方がいい」

と言っていたみたいなのだけれど


この場合

誰が「責任が持てない」のか?

医者でしょうか。

わたしでしょうか。


お医者さんはこの場合、出産は

「自分の責任」だとおもっているのですね。



わたしは命に関することって

「究極的に責任は誰ももてないものなのだ」から

「わたしの責任でさえない」し

「医者の責任」なんてものが、

あるってまったくおもわなかった。

だから

「結局家で生みたい」

と思っていたので

この二人はこの時、

あまり話が通じなかったわけです。



☆☆☆

妊娠後期は、わたしの頭のなかは

↓こういうことで始終

ぐるぐるとしているわけです。

文章にしてみるとこういうかんじ、というだけだけど。



子供は自分で生まれてくる。

好きな時に、好きなやり方で。

女が自分の体をつかってこの世に命を降ろすのが出産なんだな。


結局生きる死ぬを人間はなんともできないよな。


お医者さんだって

命に責任なんかとれないよな。


そもそも責任って、なんなのだろう。

いざという時の延命治療なのか。


子供には生まれるという

意志がある。



もし生まれてすぐに死ぬのだとしたら

そういう人生を選択して生まれてきた命だったのだとおもう。


どんな命なのか、それを全うするまでは

誰にも分からない。

結局、子供を宿した母の気持ちと身体にそって

やるしかないのだ。

それがいちばん子供の意志に近い選択なのだから。






☆☆☆





結局、生まれてみたらソラは

脂肪がとても少ないだけで

まったく健康体の赤ちゃんだったわけです。

そういうこともそりゃあるよな。

大人だって人それぞれ体格が違うんだから。

体格というのは個性です。


平均値っていうのは

あくまでも平均するから平均値なわけで。

平均にみんなを近づけようという努力は

意味がない。


エコー検査が発達したって

毎月毎週のようにエコーで見てみて

体長を計ってみたって

その赤ちゃんが

「ただスリムなのか」

「病気をもってて痩せているのか」

それさえも

分からないんだったら

エコーってなんのためにやるんだか。

ソラの妊娠時

あんまり何回もエコー検査ばっかりされたうえに

なにも得るものがなかったので

次の妊娠の時には

2回だけ。

あんまりエコーやりすぎるのも、

いいわけないでしょう。

そのこと考えると、

わたしは珍しく反省してしまいます。





(ゆ)






45日目
2007年01月03日18:04
2006は初めての子供を産んだ年。 

わが娘、空(そら)は 
生まれたときは2060gだった。 

生まれてから一ヶ月は 
ほとんどまともに寝ることもなく 
授乳していた。 

平常時のわたしなら無理なことだったけど 
できてしまう。 
体がつらいのはあたりまえだけど 
脳内に今まで無かった快感を覚える。 

昨日44日目、3470gになった娘。 
1410g体重が増えた。
posted by terra at 12:29| 岡山 🌁| こどもと暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

昔の日記から「21日後」



ソラが生まれた時のこと、昔の日記です。


助産師さんは二人ペアだったのだけど

暗い中、懐中電灯つかって

這いつくばって赤ん坊を受け止めて

羊水をさっと処理して

全てをスムーズに進めてくれていました。


それがよく分かったのは

モモの出産の時。

二人とも卵膜に入ったまま生まれてきたのだけど

モモの時は

羊水どば〜

置いてあった布団がびしょびしょー

っていう笑えるお産だったので

この時みたいな

静かな感動を味わう時間、ていうのはあまり無くて

動物的〜ってかんじだった。

全てが終わったら

生まれたてのモモと一緒にみんなぐったりぐっすり

すぐに寝たのでした。

助産師さんて自分を消して仕事してるのね。

ありがたいことですね。


しかし、助産師さんの顔を立てねばならないような

状況も多々あり

この粉ミルクがいい例ですが

わたしはおっぱいいっぱいでるし

ぜんぜんやりたくなかったので

言われたことは守らずに

さっさと止めました。

自分できめられることは自分で決めたらいいと

今ではなおさらそうおもいます。


(ゆ)

2006年12月11日17:01友人まで公開
3 view
ごぶさたです。 

気が付くと子供が誕生してからもう3週間がたっていました。 





前回の新月の日の夜、 

私の実家の一室で、父母が隣の部屋で見守る中 

相方にしがみついて娘を産み落としました。 

陣痛がはじまってから5時間 

助産師の到着から1時間の 

いわゆる安産でした。 


良いだろうと思って計画した実家での出産でしたが 

想像していた以上に素敵でした。 



娘は、生まれてすぐに私の胸の上で初乳を飲んで 

その後、胎盤がでるまでの間 

目をぱっちりあけてきょときょとしながら 

相方に2時間抱かれて 

お腹の中で聞いていた声のするほうへ顔をむけ 

父母の顔をみまわし 

その後、わたしのとなりでぐっすり眠りました。 


静かに、あっというまに誕生してきた娘。 

産声を元気に2回くらいあげたあとは 

ほとんど泣くこともなく 

ほにゃほにゃといつもご機嫌よくしています。 

それから、彼女とわたしは 

ほとんど家の外へ出ず 
(彼女は一度病院へ行った) 

二人の世話をしてくれている家族以外の人にも会わず 

彼女はぐんぐん成長して 

私はお産の疲れを癒しているのです。 




::: 





産道をひろげて降りてくる赤ちゃんの勢い 

会陰から頭がでてくるときの熱さ 

羊膜をかぶったままの頭を撫でるとぬるりとする感触 

懐かしいような羊水の匂い 




出産のすべてが刺激的だったので 

お産後の1週間は頭がさえてよく寝られませんでした。 



もちろん、寝ているわけにもいかず 



授乳→オムツ替え→うたた寝→授乳→オムツ替え→うたた寝 
(エンドレスで繰り返し) 


とてもシアワセを感じながらこれらをリピートしていたです。 

寝れなくてちょうどいいくらい。 




今までの人生で最も時間が経つのが早かった。 

黄金色のウンチを前に、 

「いいウンチしまちたね〜」とにこにこしている自分など 

今まで想像したこともなかったよ。まじで。 





ミクシはおろか、自分のブログも、メールチェックさえも 

生活からあっさり省かれていて、 

授乳マシーンになっていたのでした。 





母乳は優秀な助産師のMさんの丁寧なマッサージのおかげで 

生まれた翌日くらいからじゃんじゃんでてきた、のですが 

子供が(いわゆる)低体重児だったので 

お産の提携医からの指導が入り 

張る乳を押さえながらミルクもあげていたのですね。 





病院で産んでいたら、保育器入りだったんでしょうが 

色々気をもんだあげく、実家で産んだんだし、 

どうせ言ったわがままは最後までつきとおさせてもらって 

いくら体重が標準に足りなくても 

入院は拒否させてもらいました。 






お腹の中で10ヶ月つきあってきて 
私はこの子供の生命力を感じていたし 

できれば動物のように産んで、 
本能に従って育てたかったんだよね。 






生まれた翌日に病院へ検診に連れて行った相方の話では 

妊婦検診の時から提携のお医者も止めてるのに 

自宅出産を決行した私のことは 

もう、ほっておくことにしたみたいで 

なにも言わず。 

帰りに低体重児用ミルクを、ただでくれたらしい。 



そのミルクさえも、もう途中からあげたくなかったから 

早々と乳だけにしちゃったんだけどね。 

ごめんよ、お医者さん。 

あの人は悪い人じゃないのはわかってるんだ。 



やっぱり「病院」てとこのことを 

いまいち信用できないだけなんだよねえ。 



次に産むことがあっても、なにかできないって 

はっきりした理由がないかぎり 

どうあってもやっぱり自宅出産を選んじゃうからね。 





あ、でも 

相方は完全に母乳だけだったら一度も 

赤ちゃんにミルクをやる体験ができなかったのに 

ミルクをあげることができて 

うれしかったみたい。 



生まれる前には、新生児はこわい、かわいいと思えない。 

と、発言していた彼ですが 

立会い、というより、 

一緒に生んだ、みたいな出産だったし 

生まれてすぐの赤ちゃんの瞳に射貫かれて 

母性ホルモンが脳からどばーーっと出ちゃったようです。 
(女性ホルモン?)



深夜3時間おきに目覚まし時計もなく起きては 

ミルクをつくって授乳して、 

哺乳瓶を煮沸消毒するという 

めんどくさい仕事を嬉々としてしていました。 




普段、夜中なんか地震がきても起きないのに 

母性ホルモン、おそるべし。 

人間ってホルモンに突き動かされる動物なんだねーって 

再確認ですわ。 




ほんと、いろいろ面白かった。出産て。 


posted by terra at 10:52| 岡山 ☀| こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の日記から「3日前」

過去の休眠mixiの日記から



そうそう、ルービンシュタインさんの弾くモーツアルトのCD

恵美子さんから借りて

擦り切れるほど聴いてたんだよな(擦り切れないけど)

お腹から出てきたら、ぱたっと聴かなくなったから

あれはやっぱりソラが聴きたかったんだろうなぁ。

今、ソラはピアノ弾くのだいすきだし。

お腹の中からのリクエストだったんだ。





タイトルの3日前っていうのは予定日から数えてってことですね。

次のお産の時には自分で予定日計算してから

産婦人科に5ヶ月くらいで行ったら

やっぱり計算した通りのことを医師に言われた。

あたりまえっちゃあたりまえだけど。

行く意味なかったな、あれは。

予定日っていうのもちょうどその日に生まれる人の方が

少なくないですか。

なんのためかっていうと

病院のためなんでしょうね〜

何回産んでも(もう産みませんが)

わたしは病院じゃなくて

自宅でゆっくり産みたい。



昔の日記みたら、親を説得したり、相方をはげましたり

自分がほんとうにしたいことのためには

粘り強く頑張れるもんなのだなと

過去の自分に感心しています。

がんばってるな〜、わたし。

そのがんばりは、おおいに報われるからね。


(ゆ)








2006年11月11日 「3日前」
臨月に入って 
あと2週間というところで 
実家へ。 


お母さん、上げ膳据え膳ありがとうございます。 


モーツアルト 
アロマオイル 
ハーブティー 

な毎日。 

「ザ・妊婦」です。 





★ 


えてして出産予定日とはあてにならないもの。 




本当に月曜にでてくるの? 

と、皿を洗いながら言うお父さん。 




たぶん、でてきません。 


まだ腹蹴ってるもの。 

でてくる前には動かなくなるって言うしね。 




しかも週末から天気が悪そうなので 

なんとなく、天気の良い日にでてくればいいのに 

とも思う。 






今はもっぱら買ったり貰ったりしたベビー服を洗ったり 

オシメを縫ったり。 



ベビー服は母さんがはりきって買ってくれたので、 


一応選ばせてもらったんだけど 


結局自分自身では一枚もベビー服買ってない・・・ 


どーも、ベビー服ってよくわからないので。 



その上、各所からお下がりでもらったものが大量に・・・ 

みな、新生児の服ってあまり着てないのね。 

新品みたいだし。 

値札が付いたものまであるよ。 




わたしが買ったもの 

赤ちゃん用綿棒 
カット綿(おしり拭き用) 
乳幼児用つめきり 
ベビー用石鹸(友達につくってもらってる) 


以上 


ごめんよ赤ちゃん 
母さん、貧乏性なんだろうか・・・ 

てゆうか、貧乏なんだろうか。 




★ 




当初、せっかくだから行っちゃおう。と 

思っていた 

マタニティスイミングも 

マタニティヨガも、整体も 


結局、あまり家を出たくない気分なので 

行かなかったのです。 



かわりに、散歩と階段昇降と床磨き 

を適当にやってます。 

臨月の妊婦は体を鍛えるためにこういった運動がよいらしいですよ。 
あとスクワット。 






やっぱり母さん貧乏なんだろうか・・・ 






それにしても、のどか・・・


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posted by terra at 07:23| 岡山 ☀| こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の日記から 「9ヶ月」

ほんとに、産婦人科に行っても
なにも得るものが無かったのでびっくりしています。


(ゆ)








妊娠も最後の月に入りました。 



★ 


ところで、最近 
骨盤が開いてきてしばらく恥骨がいたかったのです。 

産婦人科医、曰く 
「骨盤がひらいてきているのです。よくあることです」 
...心配ながら放置していました。 







先日、お産の介助をしてもらうことにした 
M助産婦さんと面談した時 
子供が小さいので早産したら困るという話をしたら 
「もしかして恥骨はいたみませんか」と聞かれて 
それが、実は痛いんですよ。 
と言うと 

「早産になってはいけないので 
 その危険を回避するために骨盤を締める方法をお教えします」 
と、サラシをつかってさっさと実演してくれました。 



その方法で、しょうがない痛みだと思っていたものが解消。 
それよりなにより、 
早産になったら困る、と少しもんもんとしていた気持ちが 
おかげで、ずいぶん楽になった。 

★ 




女の人の骨盤は普段から簡単に閉じたり開いたりするもの。 
私は腰や間接部分が、頑丈そうな見た目とちがって 
普段からわりと弱い。 

私がかかっている医者は男なので 
骨盤がひらいて恥骨がいたい、というのを、 
実感としてはわからないだろうね。 

でも、このまま早産になったら 
どうするつもりだったんだろうか。 

早産は早産なりに出産させて 
子供を保育器にいれればいい、というのが医院の常識かね? 
ここって、 
評判がよくて実に流行っているクリニックなんだけどね。 


何度通っても、エコーでお腹の中を見ては 
「あ、ちょっと小さいかな〜」 

あの、前回もそうおっしゃいましたけど 
ますます小さいのですか? 



医者、グラフを見て 
「あ、前回も小さいんですね〜・・・・・・」 



・・・・・・・で、だからどうなんだっつーの。 




その前まで、「じゅんちょ〜です」しか言わなかったくせにな。 


ちなみに、 



クリニック/2~3時間待って5~15分の診察 
(毎回おなじルーチン診察) 
5,500〜6,000也 



助産婦/自宅に来てもらって2時間話と診察をしてもらう 
(出産のために良いレメディーやハーブティーの説明なども含) 
3,000〜5,000也 


懐妊してからというもの、妊娠、出産の本を読みあさったり 
人やネットの話を聞いていたので 
こういってはなんですが、医者と話していて、新しいことは何も教えてもらえなかったのよ。悪いけど。 

助産婦さんは、私が欲しかったその先の 
新しい、深い、情報をくれた上に、 
カウンセリング的なことをしてくれ、話をしているうちに、 
うちの母親の出産時のトラウマまで 
自然と解消していたのには驚きました。 
ここまで職業意識が高いのか、と。 




今回の出産に関係ない、妊婦の母親の昔の話をされても、 
私なら、面倒になっちゃいますけど、 
もしかするとそういうことが大切なのかもしれないです。 
お産は、やはりすごくメンタルを鍛えることが大切だと 
思うからね。 



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posted by terra at 00:50| 岡山 ☀| こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の日記から 「産み方」

昔のmixiの日記より転載


わたしはこの日記に書いたことは
きれいに忘れていたのですが、
なんと

次にもし子供を産むチャンスがあったら、
今度は相方と、この子供と
3人で自宅で産んでみたい。

と既に言っていたのですね。はっきりしてるわ。
文字に書くのって、いいですね。

自宅出産に関して
親を説得するのってどうするの?
っていう相談もたまに受けるんですが
ほんとに単純に、産む人次第ですよ。っておもいます。

わたしは心から、相方と空と3人で産みたかった。
だからそうした。それだけです。

2回とも医者にはぜんぜんいい顔されないし
親には心配ばっかりされるし
出産が近づいたら相方もしごとが手につかなかったし

べつに人のことを考えて出産方法を探したわけじゃないです。

ただ、自分の出産なので
自分の思ったようにやるのだ、というわたしの気は
完璧に整っていました。

「こどもになにかあったらどうするの」
とまことしやかにおっしゃる方もいる・・・気がします。
実際には、あんまり会ったことはないかな?

実物の人間が直接発言する、というより
ふわっと漂っている、キャラクターの無い
「世間の声」みたいなかんじ。

それは・・・実は自分の奥の声なんでしょうな。
そういう風におもう人は病院で出産するのが
合ってらっしゃるとおもうのです。
頭と心と体をばらばらにしてまで自宅出産に
こだわらなくていい、とおもいます。

わたしはそういう声は「全然」気にならないのです。

医者が助産師の前原さんに
「自分は止めたつもりだけど全然聞いてなかった」
と言ってたらしい。

というのも、カルテにじゃじゃっと
「自宅出産にはむかない」みたいなことを
走り書きして目の前においたらしいのですが、

既にわたしの頭は
「いかに満足いく自宅出産をするか」
に向かってるんですから、見えてません。

結局、反対するには理由が全然弱かったのです。
ちゃんと声にだして言えないなんて
変な人。

ま、結果、大満足で
第2子の時には、またそれをしのぐ
超満足でしたよ。

こういう時に
結果オーラーイ、ってつかっていいのかな?

IMG_1882.JPG









(ゆ)






2006年 9月30日

ちょっと前に助産院を探して決めたのだが... 
http://terracoya.seesaa.net/article/23743305.html) 

いい助産院がすぐ決まったことで、欲が出てきて 
もうひとつハードルをあげて(?) 
実家で自宅出産をさせてもらうことに。 

幸い、助産院という段階をふんだことで、 
最初は病院以外での出産を 
不安がっていた母上も、父上も、 
「なんでも好きにして」ってかんじになっているし。 

本当の本当は、今住んでいる家で産みたいのだけど 
今相方が窯つくっていてそれどころじゃないので、
産後を母上に手伝ってもらうために 
里帰り出産にした。 

次にもし子供を産むチャンスがあったら、 
今度は相方と、この子供と 
3人で自宅で産んでみたい。 

★ 


まだ今岡山の家にいるけど、10月11日に 
新助産婦さんと面談なので10月10日に 
広島へいくことにするかな。 

予定ではもっとあとだったのだ。 
86才の助産婦さん曰く 
「あまり早くに実家に帰ると、のんびりして 
 だいたい出産が遅れる」 

らしい。 


★ 


「産休に入ったらすごい暇」と、 
出産の先達たちは言っていたけれど 
もともと暇なのが好きな私は、 
ぜんぜん暇っぷりがたらんのよね。 



思わず、カラマーゾフの兄弟、を読破したくなる、 
電車に乗ってヨガに毎日通っちゃうくらい、 
一日中猫をじっと見ていられるような、 

...そんな「暇」を想像していたのに、 
それほどでもないのよね〜 
あたりまえかな〜 

あいている時間は睡眠につぎこみたいから実際は暇じゃないしね。 



ゆっくり普通に家事をして、ご飯をたべていたら 
ふつうに一日たってしまうね。猫とおなじような生活態度。 
あ、これは専業主婦ってやつか... 
子供がまだいない専業主婦...極楽じゃ。 

しかし、布団が毎日干せるのが幸せやなぁ... 


ひと月もたってないのに通勤してた時のペースは既に忘れてるぞ。 


そして、相変わらず掃除をすることは身体が欲求しているので 
日中は、ごしごしと流しのタイルの目地を磨いたり、 
窓の桟の埃を小帚でとったりしている。 

これが気持ちいい... 


なぜ妊婦になると掃除が急にしたくなる人がいるのかということは、ものの本によると 

[1] こういう労働は安産のためにいいからと、 
[2] 赤ちゃんを迎えるために巣づくり本能が働くから 

だそうな。 




妊婦はおもしろい。 
動物の身体がよくできていることを実感。 

リラックスして、今なにをしたいのか考えていたら 
出産というのは恐れることでは無い気がする。 


★ 

安産のために掃除以外にもうひとついいのは、 
なによりも「散歩」らしい。 

マジメな人は、1日3時間歩くとか。 
わたしは1~2時間で、まあ、ええかと。 
3時間も歩くと疲れて眠れんようになるので。 
根性なしというか、年寄りやん。 


しかし、このあたり 
散歩道だけはさすがにど田舎だけあって恵まれていて、 

赤蜻蛉を見ながら田んぼのあぜ道をずっと歩いていくコース、 
川に沿って上流まで上る犬散歩コース、 

が気に入っている。 


途中、農協で安い無花果を山盛り買って土手で食べたり 
帰りに田んぼわきの花をいろいろ採ってきて 
部屋に帰って飾るのもたのしみ。 

果物は身体を冷やすからあんまり食べちゃだめ、 
だそうですが、 

秋やからねえ。やめられません。 

コメント

posted by terra at 00:38| 岡山 ☀| こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする