おととい10月の窯焚きの打ち上げをしたのだ。
友人のピザ屋 マンチズに
今回は60枚ピザを発注。
大人9人(ひとり風邪でおやすみ) 子供7人で 残らず食べた。
今回、窯に焼き直しの作品を入れてあげた関係で
伊藤環さんの家族もご招待。
環&香さん 「引っ越してきてよかった〜」
「街でこんなことしたら近所の人がたくさん来ちゃう!」
よろこんでもらえてうれしいです。
環さんは釉薬ものを作っている作家さんで
いちばん初めは
「伊藤さん一家、引っ越したいんですって
トシもちかいし、よろしく〜」
って連れてきてうちにおいていったのが出会い。
だいたい同年代だし
証太と環さんはけっこう同郷にちかい。
あとでわかったことだけど
証太の親戚のおじさんと
環さんのお父さん(お父さんも陶芸家)
は実は長い付き合いだったみたい。
まあ、いつかどこかで出会っていたのだろうなぁ・・・
というかんじだけど、
出会い方としてはベストだったんじゃないでしょうか。
わたしにとってベストな出会い方とは
「緊張感のない出会い方」です。
リラックスすることで人は魅力を発揮できるとおもう。
環さんと、相方の香さんはいつも
「薪窯はいい、すばらしい!」
と、薪窯愛を語ってくださるのだけれど
備前焼の修行をした人は
「ふう〜ん? ・・・窯作ればいいのに !!!」
あたりまえだけど
薪窯に対するスタンスがカジュアル・・・
その場にいた備前の作家は
みんな自作の窯を持っている人たちだったの。
だいたいみんな窯をつくるのは
プロに頼むので
自作で窯をつくる人は今は少ないんですが。
岡山の備前焼って、たぶん今の日本では最も
まだ普通に薪で窯焚きしている人が多い産地なのではなかろうか。
「薪で焚く」ということが
あたりまえで、特別じゃない場所です。
だから、うちはここに窯をつくった。
だって、他のところに行ったら
割木はどうするのか、土はどうするのか、
そして、最も困るのは窯焚きの手伝いを誰に頼めばいいのか。
その全ては備前にあるから、
ここが備前焼をつくるのには、いちばんいいところなのだ。
証太は、独立するころ
よく「焼物は産地の風土がつくるものなんだ」
と言っていた。
福岡っ子でとんこつラーメン大好き
やわやわのうどん大好きな彼は
福岡近辺で窯をつくる夢もすこしは見たとおもう。
でも、やはり焼物は産地のものなのだ。以上。
だから、備前焼って
全体が過去っていうか
ある意味取り残されているんだけど
ありがたいことです。
取り残されていてくれてありがとう。
そのまま残ってくれてありがとう。
プリミティブで、最高にかっこいい焼物だと
わたしたちは今もおもいます。
釉薬ものの方から焼物に入った作家の方たちは
薪窯が特別なかんじがするのでしょうが
備前焼においてはまったく普通です。
窯焚きは、
誰でもがすぐにできることじゃないのです。
マニュアルがない。
窯によって、人によって、毎回絶対に違う。
だから人の窯を焚かせてもらって
自分の窯を焚いて
経験を繋げていくことでしか
その雰囲気を身につけることができない。
備前焼では、窯焚きの技術(雰囲気)が
継承されているということなのです。
窯焚きこそが「伝統工芸の技術」なのです。
昔、パナソニックで技術者だったというおじさんが
窯焚きに興味がでたのか
毎朝見学に通ってきたことがありました。
毎日来ては、証太に
「窯焚きはどうやってやっているのだ」
ということをなにか聞き出そうとしているのですが
その仕様書もない、航海図もない、
頼る人もいない、前例もない、仕事の世界観に
「とにかく、俺にはこの仕事はできん!」
と、べつに聞いてもないのに諦めていました。
大丈夫!無理に誰もやれって言わないから〜
こんなこと、楽しいとおもった人しかやらないよ。
うちのようなまだ若い窯の場合
まったく安定していないので
そこが面白いところなのですが、
とにかく一回一回、一瞬一瞬が、
初めての判断の連続になります。
初めての海を航海しているのと一緒だし
子供を産む時と一緒です。
十回ほど焚くと、窯の中がよく焼けて安定してくるようなのですが
そうなると面白さを求めて、一部作り直したりする人もいたりするのです。
備前焼をやる人は予測不能を求める人が多いのかな。
窯焚きは経験を重ねて
身体に覚えさせるしかないようなのです。
ああ、なんて単純。
証太は、お弟子のころ
どんな人の窯でも、行けるチャンスがあれば
焚かせてもらいに行っていました。
「勉強したいのでやらせてください」というわけです。
夜中に頼まれることも多かったので
わたしはさみしくなると
その窯焚きを見に行って
朝までふたりで話しをしながら
窯焚きしていたりしました。
まだ自分の窯なんか無かったあのころ
火を見ながらとりとめなく話ができる
なかなかいい時間でした。
わたしたちは、これからも
自分で窯をつくりたいとおもっているような
若い陶芸家の人たちとも、たまに
窯焚きをやっていけたらとおもっています。
「気さくに他の作家の人の焼物を入れてあげるなんて
そんな人はなかなかいないでしょう?」
と言われたのですが、どうでしょうか。
他の人がどうしているのかは知らないんですが。
でも、証太が19才の時に大友さんの窯焚きに参加しなければ
わたしたちは
今、こうしていなかった。
ちょっとしたことで、
いろいろなことがより面白く変わったらいいとおもう。
証太が窯を作っていた時に
「手伝わせて」
と言って、日々、そして夜な夜な、
手伝ってくれた
剛くん、田中くん、三浦くんは、
今はもう自分の窯を自分で作っています。
剛くんは、もう窯つくりはフィニッシュしていて
あとは初窯まで、相方のまりちゃんと二人三脚。
あと、窯づくりを手伝ってくれた友人の
ヨッシーはパン職人だけれど
彼も自作で石窯をつくった。
(ピザ屋の友達はピザ窯をハーフビルドした)
窯づくりは伝染するらしい・・・!
薪窯の旅は
まず窯をつくるところが序章。
窯がないと、はじまらない。
レンガを積み上げ続ければ、いつかはできる。
このブログの前半部分は
証太が日々すこしずつレンガを積んでいく
写真の記録なので、参考になるかもしれない。
窯つくって
焚こうよ。
窯焚き、おもしろいから。
(ゆ)
12月の前半に窯出し展示を久しぶりにうちでやるので
せっせと手入れをしています。
posted by terra at 01:39| 岡山 🌁|
窯焚き
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