2006年10月21日

自宅でお産をするということ

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某日 (ゆ)の実家のある広島にて
新しい助産婦さんMさんとの面談をしました。



運が良いことに、そのM助産婦さんがまた、
私の求めていたような助産婦さんだったので
その日のうちに介助をお願いすることにしたのです。







面談の終わりに、出産まで時間ももうあまりないので、
あらかじめ岡山の医者に貰って来ておいた紹介状を渡すと、
気の早い展開にややびっくりされていたようだった...

でも、わたしは会って話を何時間もしたら、
お願いしたい人かしたくない人かくらいは分かる、と思うし、

それでピンとこない人とは私はその後もまず無理そうな気がします。
なにせ子供を産む時に立ち会ってもらうんだから。
仲良くなれそうな人じゃないと。








前回の86歳のO助産婦さんとの面談から、はやひと月経っていました。

助産院で出産できることが分かってから一息ついたあと、
ゆっくり考えて、やはり最初の希望だった自宅(実家)出産をしようと思い
前出のO助産婦さんは、もうご高齢で出張はしないと伺っていたので
他の助産婦さんをあれから探していたのです。


結局、介助をお願いはしないことになったけれど
こういう考えを持つ事ができたのも、
助産院での出産について
勇気を与えてくれたO助産婦さんのおかげだと思っています。


不安いっぱいの両親の緊張を解いてくれた
巫女のようなO助産婦さんは やはり恩人です。


その日のうちに、岡山のお菓子を持って相方(し)と
O助産婦さんを訪ねて、やはり自宅で出産することにしたと報告。

OさんはM助産婦さんもお友達だそうで、
自宅で産みたいので他の助産婦さんに出張してもらうことを
話すと、「Mさんかね?」と先に聞いてこられて、
にっこりして「Mさんなら大丈夫」と太鼓判を押してくれました。

素敵な方です。
妊婦のカリスマですな。
会って話をすると、やはりほっとします。

また赤ちゃんが生まれきたら、来てちょうだい
とおっしゃってくださったので、行かせてもらおうと思います。






実家での自宅出産の最初で最後の関門は、両親の理解を得ることでした。


彼らが20~30代くらいのころ、私たちが産まれたころというのは、
日本の医療が急速にアメリカ型になっていった時代だったので、
両親とも、本人たちは産まれる時に自宅でとりあげられていてるにも関わらず
子供は病院で産むもの、という認識しかなかったのです。

初めて話をした時はその通じなさにちょっとびっくりしたくらいです。


私と同世代の相方(し)は、不安はなかったらしく
ありがたいことに全く反対もなく。

M助産婦さんもおっしゃっていたけれど
今の私たちと同じ世代の人達は、
自宅でのお産に興味がある人が微妙に多くなっているそう。

しかし、実際に自宅でのお産にこぎ着けるかというと
そうはいかず、相方は賛成するけれど
ご両親の反対で実現しない、ということが多いらしい。


私の両親は、私が急に、人の家で子供を産ませてくれと頼むという
ひどい勝手なことを言い出して、
心情的には今でも反対なんだろうけど、
結局好きなようにしろと言ってくれました。

とても感謝しています。いつもありがとう。


そして、巫女的なパワーで両親を安心させてくれた
86歳の0助産婦さんと、
今回、いろいろな資料を用意して
理路整然と自宅出産について分かりやすく説明してくれた
M助産婦さんとの出会いにも

心から感謝しています。







ところで、産科医が減っていて出産場所が無い、
という問題があるようです。


これについて、妊婦となる人は、
産科医と助産婦を併用して
母子ともに問題なく健康な人の場合は
自宅や助産院で産むようにすれば、
すこしは解決する問題なのではないかと思う。


最近あった、出産中の脳内出血で亡くなられた
私と同じ年の妊婦さんの事件。

担当医は、子癇と誤診したようで、いたましいことでした。

病院のベッドが空いていなくて
たらいまわしにされたらしいですが、
この事件はぜひ、しっかり調査して
せめて後の出産医療に役に立つようにしてほしいものです。




できれば、医院での検診では、妊娠中に問題がおこりそうな
妊婦を探し出すことに専念してほしい。



そして、まず健康に産めそうな問題の無い妊婦は
助産婦、助産院に引き渡したらどうか
と、思う。



問題が無い人はいいお客さんだから
医院で引き受けたいかもしれないけど
本来、医者というのは健康に問題が有る人を
サポートしてあげるのが、職業的使命なのではなかったかな?





健康な人の出産まで、数を稼ぐ為に受け入れて
そのあげく、本当に医者が必要な人が
ベッドが無くて亡くなってしまうのでは
うかばれないなと思うのです。








私は、今回の出産介助をしてもらう方を決めるまでに
結局2人の助産婦さんと、2つのクリニックに行きました。
この時点で、既に安くはないお金を使っています。
(助産婦さんは特に相談の時は高いお金をとろうとされませんので
 主にクリニックの検診にかかっているのですが)



もちろん、私はお金持ちじゃないので、いたい出費が続きますが
「近いから」「評判がいいから」「施設がリッチだから」
そんな理由で安易には決められない。



ある助産婦さんの言葉で
「産み方は、生き方にも通じる」

私は、この言葉は何事にも通じると思うけれども
特に出産という多くの人の人生の一大事には
特に感銘深い言葉になると思う。



我が子がこの世の中に出てくる
最初の瞬間を、どういう風に受け入れたいか?
それを考えると、例えば私は、
自然に自分が納得できる方法を選びたいのです。


私の初めての出産は、これからどうなるのか
もちろん人並みの不安もあるのです。

しかし、たくさん自分で考えて、
選びとったのだということは、
私の中で
既にひとつの自信になっています。


子供が生まれたら、私たちは、あなたと会うために
こういう助産婦さんと話し合って、助けてもらって

お父さんと一緒に、

おじいちゃんと、おばあちゃんの家で
出産したんだよ、と話してあげられる日がくると良いなと思います。










ちなみに、助産婦さんとクリニックの診察について



クリニック/2~3時間待って5~15分の診察
(毎回おなじルーチン診察)
5,500〜6,000也



助産婦/自宅に来てもらって2時間話と診察をしてもらう
(出産のために良いレメディーやハーブティーの説明なども含)
3,000〜5,000也







(ゆ)
posted by terra at 21:36| Comment(3) | TrackBack(0) | こどもが生まれる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

コッキンへ

(し)は見積もり書類などを揃えて
 国民金融公庫へ提出に。

(ゆ)も後学のために同行してみる。


初めて入る国民金融公庫は、静かな役所で
銀行よりもお客さんは少ない。

窓口にはお金を払いに来た一見アクセサリー屋さんっぽい男の人と
お金を借りる為に書類を提出しにきた水商売風の女の人。

なるほど。ここでこうやってお金を借りて商売している人が
たくさんいるんだな。

待ち合いのソファ脇のマガジンラックには
「アントレ」という個人事業主向けのリクルートの情報誌が
たっぷり。これは銀行には置いてない。

緊張して揃ってジャケットを着込んで来たんだけど
今日は「申し込みが込み合っているから」と言って
書類を出しただけで終わり。面接は来週以降の後日。

拍子抜けしたけど、なんか疲れた...



その後、今窯をつくっている知り合いのところへ行って
つくり方を見学させてもらって帰ってくる。

お金が借りられたら、まず窯を作り始める。
窯職人さんが3人工くらいで2〜3ヶ月かかるところ、
(し)がほとんど一人でつくると、どのくらいかかるだろうか。




疲れをとるために、ソフトなコメディでも見るか、と
ベン・スティラー主演のお馬鹿映画「ズーランダー」を
借りて観てみた。

結果、あまりにお馬鹿すぎて、ますます疲れてしまったよ。
ま、嫌いじゃないですが。お馬鹿なことを一生懸命やるって、
素敵なことです。



明日は晴れるといいなあ。

(ゆ)







posted by terra at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 窯づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする